「バーンスタイン侯爵閣下。」
そう声を掛けられる。振り向くとそこには会いたくない人間が立っている。
「これは、マイヤー伯爵。」
侯爵様はそう言って、二人を見る。クレマンは真っ黒な正装をし、その隣には真っ白なドレスを着たマデリン嬢を従えている。真っ白なドレス…まるで結婚式のような出で立ちの二人。礼儀知らずにも侯爵様に話し掛けて来るのを見る辺り、厚顔無恥なのは変わっていない。クレマンは私を見てニヤッと笑い、言う。
「ジャスミンも来ているとは思わなかったよ。」
もう婚約者でも無いのに、名前を呼ぶとは…本当に礼儀を知らないのだなと呆れる。
「ご無沙汰しております、マイヤー伯爵様。」
私はそう言って挨拶する。私にマイヤー伯爵と呼ばれた事が意外だったのか、クレマンの表情に苛立ちが見える。クレマンは一歩進み出て、私たちに近付く。
「バーンスタイン侯爵閣下、話し相手を変えられるのはどうでしょう。」
何を言い出すのかと思えば。突拍子も無い事を言い出した事に驚く。
「私もジャスミンには話があるのですよ、その間、侯爵閣下には私のパートナーをお貸ししましょう。」
そう言われたマデリン嬢はキラキラとした瞳で侯爵様を見上げている。不意に侯爵様が笑い出す。侯爵様は笑いながら言う。
「いや、失礼。」
そう言って侯爵様は私の前に立つと、クレマンに言う。
「話し相手を変える必要性は感じていませんよ、それにマイヤー伯爵にはお話があっても、ジャスミン嬢には無いように思いますがね。」
そして一歩踏み出し、クレマンに囁く。
「私の話し相手であれば、それなりの教養を持って頂かないと務まらないのですよ。その教養をパートナーの方が持っているとは思えませんね、今日の装いを見る限り。」
そこまで言われて初めて、二人は周囲を見る。周囲の奇異の目が彼らに刺さっている事に気付いたようだ。テーマは春。だからこそ、皆、それなりに色味のある色をチョイスする。それなのに、クレマンは真っ黒、マデリンに至っては真っ白だ。そんな装いをするのは、このお茶会にはそぐわない。侯爵様は一歩下がり、私に歩くように促す。
「行きましょう。」
そして、ふと、足を止め、大きな声で言う。
「あぁ、そうでした、マイヤー伯爵。」
侯爵様は振り返ると、クレマンに言う。
「あなた方は礼儀を知らないようなので、教えて差し上げますよ。ジャスミン嬢はもうあなたの婚約者では無いのですから、名前を呼ぶ事は控えた方が良いでしょう。」
侯爵様はそう言って、私をエスコートする。
「ありがとうございます。」
そう言うと侯爵様は微笑んで言う。
「これくらいの事は想定内です。」
そう言われて、なるほど、と思う。きっとイザクから彼らがお茶会に参加する事を知らされていたのだろう。
通常であれば、お茶会の席は、パートナーと離れる事も多々あるのだけれど、今日はずっと侯爵様が私に付き添ってくださっていた。
「お仕事のお話など、あるのではありませんか?」
そう聞くと侯爵様は笑って言う。
「仕事の話など、このようなお茶会で話すような内容ではありませんからね。それぞれ、挨拶程度で良いのです。」
その時。
すぐ傍を通った侍女の一人が躓いて、持っていたトレーをひっくり返す。ひっくり返ったトレーの上のティーセットが宙を舞う。カップの中に残っていたお茶が私のドレスにその染みを広げる。
「申し訳ございません!!」
侍女はそう言って、土下座をする。
「あらあら、いけませんわ、素敵なドレスに染みが出来てしまいます。」
そう言ったのはライザ様だ。ライザ様は私たちの方へ歩いて来て言う。
「すぐに染み抜きをしませんと。」
そう言って私を見る。
「さぁ、中へ。」
そう言って私を促す。私はその時にはその意図が分かっていた。
屋敷の中へ案内され、着替えを渡される。着替えとあっては侯爵様も部屋の中に入る訳にも行かず、部屋の外で待っている事になった。
通された部屋の更に奥の部屋に案内され、何人もの侍女たちが私に付き、着ていたドレスを脱がす。せっかく侯爵様に頂いたドレス、染みを残したくはない。渡されたドレスは真っ赤なドレスだった。真っ赤なドレスに袖を通そうとしたけれど、侍女の誰も動こうとはしない。それを見て溜息をつく。
「レイノルド様を誑かした女を見てやろうと思ったのだけれど。」
そう言って現れたのはライザ様。…やっぱりあのミスはライザ様の指示だったのだと分かる。ライザ様は私を上から下まで見て、嘲笑うかのように言う。
「大した事ないじゃない。」
そう言って私に近付き、私を睨む。
「どうしてあなたみたいな女がレイノルド様と一緒に居るのか、全く分からないわ。」
ライザ様はそう言って持っていた扇子で私の顎を持ち上げる。
「でも、今、重要なのはそんな事じゃないの。」
扇子が私の顎の下を押す。
「レイノルド様もあなたの奔放さを見れば、お気持ちも変わるわ。」
奔放さ? そう言われて何となく事態を飲み込める。扇子が私の顎の下を押し、肌に食い込む感覚がする。
「大丈夫よ、心配しないで、優しくするように言い付けてあるもの。」
ライザ様はそう言うと、私の顎の下から扇子を離し、一歩下がる。その部屋と繋がっていただろう隣の部屋から数人の男が入って来る。
さて、どうしようか。
普通の貴族子女ならば、ここで叫び声を上げたり、悲嘆に暮れたり、ライザ様に助けてくれと懇願したり、恐怖に恐れおののいたりするのだろう。ドレスを脱いだ状態で、逃げる事もままならず、更に知らない男たちに下着姿を見られたとあっては、その名前に傷が付くのだから。
ふと、笑えてしまう。
私が1級魔法師だという事は知っている筈なのだけれど…そう思う。私が笑い出した事でライザ様や私を囲んでいた侍女たち驚くのが手に取るように分かる。あまり手荒な真似はしたくないのだけれど。そう思っているとライザ様が言う。
「笑い出すなんて、気でも触れたの?!」
普通の貴族子女ならば、そう思うだろう。私は笑いながらライザ様に言う。
「こんな事を仕出かして、これが外部に知られたら、ライザ様は修道院送りになるかもしれませんよ?」
ライザ様が鼻で笑うように言う。
「修道院送り? この私が? やれるものならやってごらんなさい。」
私は指の先で円を描く。ライザ様が言う。
「外部に知られる事は無いわ! ここに居る人間はマルゴワール侯爵家の者たちだもの!」
えぇ、そうでしょうね、と思う。
「ですが、私は違いますよ?」
そう言うとライザ様は笑い出す。
「だから何だと言うの? ここはマルゴワール侯爵家、私の言う事の方が皆を納得させられるのよ!」
ライザ様は部屋に入って来た男たちに言う。
「早く、手を付けなさい!」
でも、誰も動こうとはしない。
「何をやっているの! 早く…!」
そう言ったライザ様は男たちに振り返る。