あれから数日、社交界ではかなりの噂が飛び交っている。マルゴワール侯爵家令嬢のライザ様があのジャスミンとかいう女に対して非道、卑劣な行いをした、人の手を使ってあの女を手籠めにしようと画策したらしい、という話だ。そしてその後のライザ様の処遇も噂を呼んでいる。どうやらライザ様は王都からかなり離れた領地へ結婚するという名目で送られるらしい。これは体の良い追放であると。社交界にほぼ顔を出していない私の元にも届くくらいなのだから、外ではその話題で持ち切りなのだろう。
かく言う私はマイヤー邸にて謹慎するようにクレマン様から言い渡され、貴族のマナーについて学ぶよう、言われている。私に貴族のマナーを教えるという名目で付けられた家庭教師は、どこかの家の御婦人らしいけれど、それも良く覚えていない。
「マデリン様、良いですか? 伯爵夫人になるのですから、最低限のマナーは覚えて頂きますよ。」
最初はあの女に出来て私に出来ない訳が無いと思って臨んだけれど、どうしてこうも面倒なマナーが多いのだろう。女性からむやみに話し掛けてはいけないとか、話す時には互いにそれなりの距離を持って話すとか、立って歩くだけだというのに、姿勢が悪いとか、歩き方が美しくないと言われてしまった。こんな事をせずとも、私の容姿があれば男性なんていつもすぐに私の言う通りになるというのに。けれどそこで思い出したのだ。バーンスタイン侯爵様には教養が無いと言われ、マルゴワール小侯爵様にはあなたは自分が思う程じゃないと言われた事を。
◇◇◇
春の園遊会は1週間後。急いで色々なものを用意しなくてはいけないけれど、そう思っていると、エジットが言う。
「本日、カトリーヌ・ペローのご予約がとれましたので、ご用意お願い致します。」
カトリーヌ・ペローは予約すら取れないと有名なお店なのに。前回の時もそうだったけれど、今回も取れないと言われている予約をどうやって取ったのだろう? 支度をして部屋を出てエントランスに向かう。エントランスには侯爵様がいらっしゃった。侯爵様もどこかにお出掛けなのだろうか。そう思いながら階段を下りる。
「ジャスミン嬢。」
侯爵様はそう言って私に手を差し出す。私はその手に自身の手を乗せて、聞く。
「侯爵様もどこかにお出掛けですか?」
そう聞くと侯爵様がクスっと笑う。
「私もカトリーヌ・ペローに行くんですよ。ジャスミン嬢のエスコート役で。」
◇◇◇
馬車に乗り込み、侯爵様と向き合う。侯爵様が話し出す。
「ライザ嬢の処遇について、ですが。」
そう切り出されたのを聞いて、きっとこの話がしたかったのかもしれないなと思う。
「えぇ。」
返事をすると侯爵様が言う。
「ライザ嬢は王都から離れた家へ結婚という形で出されました。アーレントが察知魔法を処しましたので、ご安心を。」
マルゴワール侯爵様が仰っていた通りの処遇だった。
「それから、此度の事に関わった者たちはそれぞれ罪を犯した者として烙印を押され、マルゴワール侯爵家の永久的な下働きをさせられるそうです。」
烙印を押される…それは生涯消えない印を体に刻まれる事だ。その印がある者はまともな職には就けなくなる。
「そうですか。」
そう言いながらもライザ様に関わっただけ、という者も居ただろう事を思うと哀れにも思う。
「可哀想だと思いますか?」
そう聞かれて私は曖昧に頷く。
「そうですね、そんな気もします…」
そう言うと侯爵様が言う。
「ですが、あの時、ライザ嬢の蛮行に加担する事無く、断る事も出来た筈です。断れば屋敷内で罰が与えられようとも、罪に加担するなど、あってはならない事ですから。」
侯爵様はいつも常に清廉潔白であるべきだと、そう仰る。それを実行出来るのは強い意志と、そしてそれを実行出来る程の力が必要だ。侯爵様にはそれがある。でも屋敷内で行われる蛮行に加担させられた人も居た筈だ。屋敷内ではその屋敷の主人に逆らう事は許されない。溜息をつく。どちらにせよ、マルゴワール侯爵家で働いていた事、ライザ様に付き従っていた事が裏目に出た事になる。
◇◇◇
カトリーヌ・ペローに到着する。店内に入ると、すぐにカトリーヌが出迎えてくれる。
「ジャスミン様、ようこそいらっしゃいました。」
そう言ってカトリーヌが微笑む。そして私の後ろに居た侯爵様を見て微笑む。
「レイノルドも。」
侯爵様をレイノルドと呼んだ事に驚く。どういう事なの? そう思っていると侯爵様が笑ってカトリーヌに言う。
「なかなか繁盛しているみたいだな。」
砕けた物言い。二人は特別な関係…? 胸がチクッと痛む。そんな私を見て、カトリーヌが侯爵様に言う。
「レイノルド、あなた、まさか話して無いの?」
話してないとは…? やっぱり二人は特別な関係なのだろうか。カトリーヌが侯爵様を睨み、そして私に向き合うと言う。
「レイノルド…バーンスタイン侯爵家と私は縁戚なのですよ。」
縁戚…? 話が見えない私に侯爵様が笑う。
「カトリーヌは…従姉妹に当たります。亡くなった私の父の兄の子がカトリーヌです。」
二人が従姉妹…そんな事実、知らなかった。
「そうなんですね…」
そう言いながら、だから侯爵様は予約が必要なこのお店に予約しなくても入れるのだと分かる。カトリーヌが笑いながら言う。
「レイノルドが珍しく、服を誂えたいなんて言うもので、驚いていたんですよ。しかも聞けば淑女の服だと言うじゃないですか。」
カトリーヌが私に近付いて言う。
「これは見てやらないと、なんて思いましてね。」
砕けた物言いに笑う。
「おいおい、そこまでにしてくれるか?」
侯爵様が止めに入る。カトリーヌは笑って言う。
「どうぞ、中へ。」
◇◇◇
侯爵様とカトリーヌの勧めで色々なドレスの試着をした。二人の勧めで決めたドレス。
「じゃあ、私の服も同じ色合いで。」
侯爵様がそう言い、カトリーヌが頷く。
「
同じ色合い? それは私が侯爵様と揃いのものを着るという事だ。
「揃いのものを…?」
聞くと侯爵様が微笑む。
「えぇ、そうです。」
さも当然のようにそう言う侯爵様。
「良いのですか?」
聞くと侯爵様が笑う。
「パートナーとして王宮に上がるんです。揃いにしなければ。」
王宮での夜会は初めてだ。だからそういった場所でのマナーとかそういうものに関して、私は疎い。確かにパートナーである方とは揃いのものを着るという話は聞いた事がある。
「カトリーヌ、宝石商は呼んであるな?」
侯爵様がそう聞くとカトリーヌが頷く。
「もちろんよ、レイノルド。」
カトリーヌが手を叩くと、奥から数人の男性が出て来て、私と侯爵様の座っているソファーの前のテーブルに色とりどりの宝石を並べ始める。
「気に入ったものがあれば、何なりと。」
侯爵様がそう言う。ズラッと並べられた宝石たち。見ているだけで目が痛い。
「レイノルド、ジャスミン様には刺激が強いようだけど。」
カトリーヌがそう言う。こんなにたくさんの宝石を見た事が無い私には善し悪しが分からない。困っているとそんな私を見て、カトリーヌが言う。
「選んで差し上げたら良いと思うの。」
侯爵様が頷いて、テーブルに並んでいる宝石たちの中から選び出す。侯爵様が手に取ったのはサファイアのネックレスだ。
「これはどうでしょう?」
手渡されたネックレスは精巧な作りが美しく、サファイアはまるで侯爵様の深い碧眼のようだ。
「綺麗ですね…まるで侯爵様の瞳の色のよう…」