そうしてやって来た夜会当日━━
私は朝から夜会の準備の為に、ジェーンを始めとする侍女たちと支度をしていた。侯爵様は日中は変わらずお仕事をされていると聞く。ルーセル王太子殿下からはあのドレス一式以外は特にコンタクトも無かった。侯爵様の言う通り、自分の贈り物を拒める筈が無いと思っているのだろう。カトリーヌのお店で誂えた濃紺と白のドレスに袖を通す。
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どうにか賭博場の仲間に融通して貰い、招待状を手に入れた。賭博場の仲間に聞けば、今回の夜会はどうやら魔法師に関係する家門や魔法師を輩出している家門、魔法師が仕えている家門や魔法師自身など、魔法師に焦点が当たっているらしい。魔法師か…。これを機に魔法師をスカウトして我が家門に誰か一人雇い入れるのも悪くない。そして魔法師であるジャスミンももちろん、今回の夜会には参席するだろう。
マルゴワール侯爵家のお茶会ではバーンスタイン侯爵に邪魔されてジャスミンと話す事が出来なかった。今更ジャスミンと話したところで何かが変わるとは思えないが、魔法師に関する事を全く知らなかったのだから、ジャスミンの価値を分かっていなかったのは仕方ない。1級魔法師というものがどれだけ価値の高い事なのか、知らなかったのだ。
それどころか、ジャスミンとの婚約が決まる時、俺はジャスミンが魔法師だと聞いて、気持ち悪いとさえ思っていたのだ。婚約した時、身寄りのない女だった事、男爵家という爵位だった事、更その見た目は貧乏臭くて、辛気臭かった事で、俺はジャスミンの女としての価値を見出せなかった。見下す事で自分が優位に居ようとしたのだ。でもジャスミンは頭が良く、家の事をジャスミンに任せていれば俺自身が遊んで暮らせるという事に気付き、それを利用した。どうせ身寄りのない女だ、婚約破棄しても行く宛など無いのだろうし、ぞんざいに扱っても逃げないと思っていた。
だが。ジャスミンは華麗に俺の元から去った。いつの間にか屋敷の使用人たちを仲間に引き入れて。
まぁそれも過去の事だ、今は雇い入れた執事が良い仕事をしてくれている。忙しい事に変わりは無いが、そうやって家の事や事業の事をやっている俺を見れば、ジャスミンだって俺を見直すだろう。一度は婚約した仲なのだ、それがどんな種類でも情はあるだろう。ジャスミンと夜会で会う事が出来れば、今までした事が無い事をやってやろう。ダンスに誘い、華麗にダンスのリードをしてやれば、ジャスミン程度の女なんか、すぐに俺に夢中になる筈だ。そうやってジャスミンをまた手に入れて、家の事をやらせれば良い。俺が外で女に会っていても文句一つ言わなかった女だ、またそうやって扱えば良い。しかもジャスミンは1級魔法師なんだから、それを使えば他の家門との交流だって今よりもっと優位に進められる。利用価値は高い。
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王宮では急ピッチで夜会の準備が進んでいる。俺は優雅にそれを見ながら、今夜現れる1級魔法師が俺の選んだドレスでこの夜会に来る事に心が躍った。あのバーンスタイン侯爵が苦々しい顔で俺を見るだろう。俺の選んだドレスを着た女をエスコートする事になるんだから。選んだドレスはピンクだと聞いた。ピンクなら嫌がる女も居ないだろう。それに合わせた宝飾品も王家からの贈り物なのだから身に付けない訳が無い。笑いが漏れる。吠え面を拝めるまたと無い機会だ。
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夕刻、支度を終えた私は鏡の前に立っていた。鏡に映る私は今まで見たどんな自分よりも美しかった。青と白のコントラストが絶妙で首元や耳にはサファイアが輝いている。髪には小さな花々が散らされたように見える飾りがなされている。その一つ一つがそれぞれ宝飾品で作られた小さな花になっていて、贅沢極まりない装飾に、私は少し不安になった。髪の装飾品が一つでも無くなれば…そんなふうに思って、その不安をマーサに打ち明けると、マーサは笑って言う。
「不安に思う必要はございませんよ、仮に装飾品の一つや二つ無くなったところで、何の問題もございません。そのような些末な事でジャスミン様が気を揉む必要は無いのです。」
些末な事とマーサは言う。小さな花を模した宝飾品一つでどれぐらいの価値があるのだろう。イエローダイヤやルビー、ピンクダイヤやアメジスト。それぞれがキラキラと贅沢に私の髪を彩っている。
「今日はジャスミン様の晴れ舞台なのです、これぐらいはしませんと。」
マーサはそう言って笑う。
「さぁ、侯爵閣下がお待ちですよ。」
マーサにそう言われて、私は気を取り直して部屋を出る。
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「閣下、ジャスミン様がおいでになります。」
エントランスでジャスミン嬢を待つ俺にバーノンがそう耳打ちする。さぞ綺麗だろうと心を弾ませる。視界に入って来たジャスミン嬢は息を飲む程、美しかった。青と白のドレスに身を包み、その長い髪には色とりどりの花が咲いている。天使が居るならきっとこんな容姿なのだろう。俺は自然と彼女の前に片膝を付いて、彼女を迎える。彼女こそが天使そのものだ。ジャスミン嬢は俺の前に立ち、俺の差し出した手に自身の手を乗せる。俺はその手の甲に口付け、彼女を見上げる。
「今日、あなたをエスコート出来る私は、きっとこの世の中で一番の果報者でしょう。」
そう言うとジャスミン嬢が少し笑う。
「侯爵様もとても素敵です。夜会に来る令嬢がきっと放っておかないでしょうね。」
立ち上がり、そう言うジャスミン嬢に俺は微笑む。
「あなたに変な虫が寄り付かないように、虫除けは私がしましょう。」
侯爵様が手を上げると、騎士服を着た数人の騎士が私と侯爵様の前に来て、膝を付く。
「今日の夜会に連れて行く護衛の者です。私設騎士団の精鋭たちですよ。」
馬車に乗り込む。馬車の中で侯爵様が言う。
「今日の夜会ではそれなりの警戒態勢を取っています。既に数人の騎士たちを王宮には送り込んであります。」
そう言われてこれがただの夜会では無い事を実感する。
「何か起こるでしょうか。」
そう聞くと侯爵様が微笑む。
「何かが起こっても対処します。ご心配には及びませんよ。」
そう言って侯爵様は懐から何かを取り出し、私の隣へと移動すると、私の髪にそれを挿した。
「これはアーレントの察知魔法が付けられた髪飾りです。そして。」
侯爵様がまた何かを取り出す。侯爵様の手の中には指輪があった。
「これはアーレントの転移魔法が付けられた指輪です。この指輪にジャスミン嬢が触れれば、その場に私が転移します。」
アーレント自身では無く、侯爵様自身が転移する…。
「アーレントはこんな高位魔法が使えるのですね。」
そう言うと侯爵様が笑う。
「あれでも一応、2級魔法師ですからね。」
侯爵様はそう言って笑い、そして私を見下ろす。
「ジャスミン嬢は自身の魔法で自身の身を守れるとは言え、やはりそれは切り札として残しておきたいですからね。些末な事などは私に任せてください。」