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第31話ー存在の価値ー

「ルーセル王太子殿下?」

そう呼び掛けられて我に返る。

「あぁ、すまない。考え事をしていた。何か手違いがあったようだ。私はマイヤー家に贈り物をした訳では無いんだ。そのドレスは…その、名を何と言ったか…」

俺がそう言うと女が言う。

「マデリンです、殿下。」

媚びへつらうような言い方に悪寒が走る。

「あぁ、そうだったな、マデリン嬢、そなたに贈った訳では無い。そのドレスは他の令嬢に贈ったものだ。」

そう言うと目の前の女がわなわなと震え出す。

「他の誰かに贈ったドレスというのは…」

その女が言う。俺は辺りを見回して探す。あの男を。存在感だけはある筈だ。遠くにその男を見つける。バーンスタイン侯爵を。

「そのドレスはバーンスタイン侯爵家に贈ったものだ。今日、王宮に初めて来るというジャスミン嬢に。」

そう言いながら遠くのバーンスタイン侯爵の隣に立っている女を見る。それはそれは美しい女性を連れているのが見えた。あれが、バーンスタインで保護しているというジャスミン嬢か。バーンスタイン侯爵と揃いの濃紺と白の装い。俺の贈ったドレスを着ていない。

「ハハ…」

俺は乾いた笑いを抑えられなかった。王太子であるこの俺からの贈り物を身に付けず、更に他の家門の令嬢に贈るとは…。これは俺に対する宣戦布告だ。だが残念ながら俺はあの男に対して、差し向ける刃を持っていない。

「失礼する。」

そう言ってその場を後にする。


◇◇◇


周りの貴族連中がヒソヒソと話しているのが聞こえる。


王太子殿下が贈り物を?

でも手違いがあったと仰っていましたでしょう?

何でもバーンスタイン侯爵家の魔法師の方に贈ったそうですわよ?

でもそれじゃあ、あのドレスは他の御令嬢に贈ったものをそのまま着ているという事ですの?

他の御令嬢に贈ったドレスを我が物顔で着ていらっしゃるなんて…

あのバーンスタイン侯爵家なら、あのドレス以上のものを用意するなんて造作も無いでしょうね

ジャスミン嬢が着ていらっしゃるのはカトリーヌ・ペローのものでしてよ!

まぁ! あのカトリーヌ・ペローのドレスですの!


どんな手違いがあったのか分からないが、どうやらジャスミンに贈る予定だったものがマデリンに贈られて来た事になる。なるほど、だからか。マデリンにはサイズが合わず、急遽、手を入れてドレスのサイズを直したのだ。元のサイズであれば、ジャスミンにピッタリだった訳だ。こんなふうに恥をかかせる算段をしたのはジャスミンか? それともバーンスタイン侯爵か。


どちらにしても今の俺に何かが出来る訳では無い。この広い会場でバーンスタイン侯爵閣下にも、ジャスミンにも近付く事すら出来ていない。人が多いのもあるが、ジャスミンとバーンスタイン侯爵の近くにはバーンスタイン侯爵家の私設騎士団の騎士が二人を守っている。誰も近付けない雰囲気を醸し出し、二人は優雅に何かを話しながら微笑み合っている。


マデリンはさっきから俯いて、この事態になった事を恥じているようだ。それもそうだろう。他の令嬢に贈られたドレスを手直ししてまで着て来たのに、贈った当事者からは手違いだと言われ、丁寧に謝られる事も無く、この場に残されたのだから。しかも、元の宛先は他でもない、ジャスミンだ。何故、ジャスミンはこれ程までに俺たちを窮地に追い込むのだろう。


◇◇◇


侯爵様に話し掛けて来る人は、それ程、多くは無かった。皆、話し掛けたくても話し掛けられない、といった雰囲気だった。侯爵様はそれでも楽しそうに微笑み、常に私のエスコートをしながら歩いている。決して私の事を離さないと決意しているかのように。少し離れた所でザワザワと人がざわめいている。見ればそこにはルーセル王太子殿下と向かい合って話しているクレマンが見えた。マデリンに至ってはルーセル王太子殿下を見上げ、うっとりとした顔をしている。

「始まったようですね。」

侯爵様が楽しそうに言う。マデリンはあのピンク色のドレスを着ていたけれど、何故か、マデリンには似合っていないように見える。ルーセル王太子殿下とクレマン、マデリンの3人が向かい合って何かを話し、ルーセル王太子殿下がその場を離れる。その時、ルーセル王太子殿下が私たちの方をチラッと見た気がした。マデリンは俯き、クレマンは苦笑いしている。

「どうやらあのドレスを誰に贈ったのか、真相が分かったようですね。」

侯爵様は優雅に飲み物を飲みながらそう言う。

「あのドレスを着ていなかった事は、問題にはなりませんか?」

私がそう侯爵様に聞くと侯爵様が笑う。

「問題になど、なりませんよ。あれはただの贈り物です。それが誰からの物であっても、選ぶ権利を有しているのはジャスミン嬢です。そしてあのドレスは選ばれなかった、それだけです。」

侯爵様は飄々とそう言う。一国の王太子からの贈り物をこんなふうに扱えるのは彼がバーンスタインだからだろう。こんな事が起これば、通常であれば、不敬罪になっていてもおかしくはない。そこで侯爵様がふっと笑う。

「1級魔法師は数える程しか居ないのです。そんな希少な存在の方に、似合うかどうかも分からないドレスを贈る、その方が無礼なのですよ。」

侯爵様はそう言って私を見る。

「ジャスミン嬢はそんなふうに扱って良い存在では無いという事です。」

そして遠くにただ立って、周囲の目に晒されているクレマンとマデリンを見ながら言う。

「ジャスミン嬢をぞんざいに扱えば扱う程、ジャスミン嬢の存在を過小評価する程に、彼らは堕ちて行くでしょうね。自分たちが何をしているか、何を大事にしなければいけなかったのかも分からない彼らには当然の結果です。」

そう言って私の手を取り、手の甲に口付ける。

「大事なもの、大事にしなければならない人は、こんなに近くに居たのに、それに気づかない者は愚か者の道を突き進むのですよ。」


◇◇◇


夜会が進み、ダンスの時間になる。侯爵様が私に言う。

「ファーストダンスのお相手の栄誉を私にくださいますか。」

手を差し出してそう言う侯爵様はこの会場に居る誰よりも素敵だろう。

「足を踏んでしまうかもしれません。」

そう言いながら手を乗せると、侯爵様が笑って言う。

「この国始まって以来の英雄と呼ばれる私が、それを避けられないとでも?」

そう言われてクスクス笑う。

「そうですね。」

フロアに出て、ダンスを始める。侯爵様のリードは優しく、それでいて力強い。

「何も考えなくて良いですよ、私に任せて。」

侯爵様がそう言う。侯爵様のリードで踊るダンスはとても心地良かった。


◇◇◇


あの女が楽しそうに、優雅にバーンスタイン侯爵様と踊っている。私は今、着ているドレスが自分に贈られたものでは無い事が皆に知られて肩身が狭いというのに。しかも元々はあの女に贈ったドレスだっていうじゃない!


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