私は自身に“入れられた”力を使って、人々の治癒をして回った。最初は
そうよ、そうやって私に感謝なさい。
私はすっかり魔法の虜だった。けれど、難点もあった。あの女のように物を宙に浮かせる事や、言葉を縛る事、保護する魔法は使えなかった。
「テリル様、私、あの女が使っていた制約魔法…とか、保護魔法? っていうのも使いたいですわ。」
夜遅くに屋敷を抜け出して、私はテリル様との逢瀬を重ねていた。私の使えるようになった治癒魔法でテリル様の痛みを軽減出来るようだったから。テリル様とは王都の隅にある寂れた宿屋でいつも会う事にしていた。ベッドに寝転がって何も着ていない私の肩を撫でながら、テリル様が言う。
「制約魔法や保護魔法は、高等魔法なのですよ。魔塔で学ばなければ使いこなす事は難しい魔法です。元々、持っていた力ならそれも難なく使えますがね。制御の難しい魔法なのです。」
高等魔法だと言われ、あの女との落差を感じ、劣等感がまた私の中に淀む。
「それに比べて治癒魔法はそれ程、難しくないのですよ。だからあなたにはその力だけで充分です。その力を使って、知名度を上げて、色々な人の目に留まるんです。そうすれば力の使えなくなったジャスミン嬢はあなたに嫉妬する筈です。それに。」
テリル様はそう言いながらクスっと笑う。
「魔法を元々使えなかった人間ならば、治癒魔法が使えるだけであなたを女神のように扱うでしょう。あなたが自分を天使だと名乗れば、何も知らない馬鹿な連中はあなたを崇拝し、あなたをそう呼ぶ筈です。」
テリル様の言う事は最もだ。実際に私は聖女か天使かと言われている。
「上出来ですよ、魔力を持たない人間にしては。」
そう言ってテリル様が急に私に覆い被さり、私の胸元に手を突っ込んだ。私の胸の中心部にはぽっかりと穴が開いている。けれどそれはどういう訳か、テリル様のみがその穴の中に手を入れる事が出来るようだった。私自身でさえ、自分の胸の穴の中に手を入れるなんて事は出来ないのに。見た目には全く分からないようなそんな穴。テリル様の首元には真っ赤な雫のような宝石がぶら下がっている。
「たまにこうしてあなたの様子を確認しなければいけないのは厄介ですが、それも仕方ないですね。」
穴の中に手を入れられていると、意識がぼんやりとする。ぼんやりする視界の中でテリル様の首元の真っ赤な雫のような宝石がほんの少し光を宿す。手を引き抜き抜かれた後は、しばらく動く事は出来ない。いつもそうだった。ぼんやりする意識の中でテリル様が呟く。
「やはり、本質は抜き出せないのか…」
本質…? 一体、何の事なんだろう。テリル様はベッドから出て、衣服を着始めている。
「私は先に出ます、お帰りは気を付けて。」
そう言って服を着たテリル様が部屋を出て行く。ぼーっと天井を眺める。
◇◇◇
マデリンが力を使うようになってから、マイヤー家は復活の兆しを見せていた。人々に施しをしているマデリンの婚約者という立場は相当に旨味があった。だがマデリンの使う魔法はジャスミンの使っていた魔法とはまた違っていた。ジャスミンが使っていたような、物を浮かせるとか、文字が宙に浮かぶような、そんな魔法は使えないのだという。
でも俺にとってそんな些末な事はどうでも良かった。このままマイヤー家が天使のような女を家門に加えたという事実の方が大事だ。実際に、普段ならこの俺に見向きもしないような貴族たちが列をなして、マデリンの力を欲するようになっている。俺はマデリンに力を使うのは貴族に限定しろと命じ、マデリンもそれに同意した。
そのお陰で貴族たちからはお礼と称して、金がどんどん入って来るようになった。借金はあっという間に無くなって行ったが、今まで散財した分の半分くらいにはなった。
連日、貴族たちが俺の屋敷に来ては、マデリンに会いたがり、その力を享受しようとしている。マデリンも今まで会った事の無いような貴族たちから乞われるのは満更でも無いようだ。
そんな中に居てもジャスミンは大丈夫なんだろうかと、つい考えてしまう。俺もマデリンも魔力を持たずに生まれて来た人間だ。そんな人間が急に力を使えるようになったのには、何か裏がある筈だ。しかも他でもないジャスミンの力だとマデリンは言ったのだ。ジャスミンから力を奪ったのか、それともジャスミンの力を一時的に借りているのか。いずれにせよ、取り上げた事には変わりはないだろう。
力を取り上げられたジャスミンはどうなっているんだろうか。バーンスタイン侯爵家に居る以上、そして俺がジャスミンとの婚約を破棄した以上、俺がバーンスタイン侯爵家に訪ねて行く理由が無い。ジャスミンの噂はすっかり影を潜めていた。今ではマデリンがその噂の主となっているからだ。
◇◇◇
力が奪われてから、私はしばらくの間、体をベッドの上で起こすくらいしか出来なかった。それではいけないと思い、医師のアドバイスを聞きながら、少しずつ体を動かすようにした。ひと月も経つと、私はベッドから出られるようになり、バーンスタイン侯爵家の庭園を軽く散歩出来るまでになった。
侯爵様からは調査の結果を包み隠さず、聞けている。
マデリンが急に治癒魔法を使うようになり、その治癒の力に色々な人が殺到している事、そのお陰でマイヤー家の立て直しが進んでいる事、マデリンを聖女か天使かと人々が持て
魔法を使う為にはある程度のコツがいる。多くの魔法師たちは生まれ持っているので、多少、制御する事に時間がかかっても、それ程、苦労せずに使いこなす事が出来るようになる。治癒魔法に関しては手をかざすだけで良いのだから、簡単だろう。でも制約魔法や保護魔法は違う。更に言えば、天使の加護の力は治癒魔法の事では無い。けれどそれを知っているのは現状、私と侯爵様、そして王室の一部の人間のみだろう。
だからこそ、私がマデリンに力を奪われたと主張しても、その主張が通る筈が無かった。私があの夜の事を暴露したとしても、バーンスタイン侯爵家がそれを支持したとしても、マデリンがこれだけ治癒魔法で周囲の人間を取り込んでいる以上は、無駄な抵抗だというしか無い。
「ジャスミン嬢。」
そう言われて庭園を散歩していた私は声の主の方を向く。そこには侯爵様がいらっしゃっていた。
「侯爵様。」
侯爵様は私の元へ歩いて来て、手を差し出す。その手に自分の手を乗せると侯爵様が私の手の甲に口付ける。
「お体、大丈夫ですか?」
そう聞かれて頷く。
「えぇ、もうだいぶ、慣れました。」
魔力が枯渇している私は体力の消耗が激しかった。それでも少しでも動けるようになりたくて、私は日々、体を動かすようにしている。侯爵様は私の歩くスピードに合わせてくださっている。二人で歩いて白亜のガゼボに入り、石造りのベンチに腰掛ける。侯爵様が私に言う。
「あの夜、倒れていた者の身元が分かりました。」