この世界に来て一週間が経った。
ノエルはまだ療養として部屋に籠っていた。
バルコニーに立ち、外の景色を眺める。
この部屋は学院の寮だ。聖バルドル魔術学院は全寮制なので、貴族平民問わず全学生が入寮している。
(バルコニー付きの部屋なんて、平民にしては贅沢だよね。さすが実家が宝石商なだけある)
精霊国には階級制度がある。
国に貢献した家は今でも貴族に取り上げられる。
また、平民だから貧乏という訳でもない。
ワーグナー家のように爵位はなくとも裕福な家は多い。平均して平和な国といえる。
ノエルはバルコニーから地面を見下ろした。
(この高さなら、ノエルは死ななかったんじゃないのかな)
決して低くはないが、ノエルの身体機能があれば、充分着地できるのではないかと思えた。
ユリウスの話から察するに、ノエルの魔法能力は決して高くない。
だが、それを補うに余りある優れた身体能力を有している。
それは日常生活を送っているだけでわかった。
(前の私は運動神経悪かったから、余計に感じるんだよなぁ。この娘の体の機敏さに頭が付いていかない時がある)
だとしたら何故、ノエルはバルコニーから飛び降りたのか。
自殺以外に理由があったのかもしれない。
(魔石の影響? 行動を操作するほどの力なんかないはずなんだけどなぁ)
だとすれば、『呪い』の闇魔術による精神操作の可能性が濃厚だ。
むしろ、そうであってくれないと、この乙女ゲの世界が最初から破綻する。
(破滅の原因そのものがノエルなのか? ノエルが死ななきゃ、物語は始まらないもんな)
とはいえ、ノエルの中に転生した自分が今更、死んだところで世界が救われるわけでもないように思う。
それでは、神様がわざわざ原作者をこのゲーム世界に送り込んだ意味がない。
(ノエルに一体、何があったんだろう)
モブでしかないはずのノエル=ワーグナーという人物が気になった。
そもそも、ノエルがユリウスに魔石を貰いに行く、なんて話はシナリオにない。
ノエルの自由な行動は、ここがゲームに収まらない現実世界だからなのか、神様の言う世界の滅亡に関係があるのか。
(調べてみないと、わからないか。何を切り口に探ればいいかも、わからないんだけど)
気が重くて、バルコニーに額を付けて項垂れた。
「ノエルー! おーい!」
ノエルを呼ぶ声がした。
(ああ、私が呼ばれているのか)
意識していないと、うっかり流してしまう。
まだノエル=ワーグナーが自分の意識に馴染まない。
(表記は『あの娘』とかで誤魔化して、名前も付けてなかったもんな。モブのノエルに名前をくれたこの世界、ありがとう)
自分が考えなかったモブに名前がありバックボーンが存在する時点で、この世界がゲームを逸脱した現実なんだと、嫌でも思い知らされる。
名前がないくらいだから当然、性格設定なんか考えなかった訳で。
裕福な平民の魔力ソコソコの女の子、という魔術学院では普通にいる設定でしかない。
(その辺はやりやすいか。いやでも。この世界で生きていたノエルの性格はあるだろうから。引き続きマリアにちょっとずつ探りを入れて、合わせていかないと)
などなど考えながら、足下に目を落とす。
マリアがノエルに向かい手を振っていた。
「今、部屋に行こうと思っていたの。暇なら一緒にお茶しよう! 気分転換にもなるわよ」
マリアが見慣れた笑顔を向けてくれる。
ゲームの立ち絵でよく見る可愛い笑顔だ。
(マリアの笑顔、良き。今日も私の主人公は元気だ)
とは思うものの、マリアの性格設定にも若干の疑問がある。
(三つの性格が全部混じっている気がするんだよね)
初めて会ったあの日以来、マリアは毎日ノエルの元に顔を出してくれる。
ノエルの体調を気遣いながら、着替えだ部屋の掃除だと、甲斐甲斐しく面倒をみてくれている。
如何にも世話焼き自立系キャラなのだが、時々見せる甘えた表情は庇護欲を誘う天使系にも見える。『呪い』についてあれこれ詮索してくる辺りは、好奇心旺盛キャラにも感じる。
(まぁ、現実の人間なら性格が一面しかないってことはない。ゲームみたいに決まった会話しかしないわけじゃないんだから)
付き合う時間が増えれば、何気ない日常の色々な側面が見えて然るべきだ。
(あの性格のお陰で、収穫もあった。ノエルが『呪い』のせいでバルコニーから飛び降りる奇行に走ったとマリアは認識している。ノエルが呪い持ちだったのは間違いない)
その点だけでもシナリオ通りであってくれて良かった。
ノエルの奇行のせいで、今のマリアは少なからず『呪い』に興味を持っている。
療養期間中も、さりげなく色々聞かれた。
(ノエルをきっかけにマリアが『呪い』に興味を持つ展開はシナリオ通りだ。……ノエルが生きている点以外は、問題ない展開だ)
あとは、興味止まりでなく、積極的に調べ始めてくれるとよい。
シナリオでは、友人の死というセンセーショナルな体験が、『呪い』という病に疑問を抱くきっかけになり、『呪い』の正体と、その裏に潜む暗部を明かす展開に繋がる。
そうなってくれないと、攻略対象との恋が芽生えないし、育たない。
(マリアの恋が育たなければ、どっちにしろ、この世界は破滅するからな)
あの小さい神様が指摘した破滅が何きっかけで、どの辺りなのか、わからないが。
そうでなくとも、この乙女ゲ自体が元々、そういうストーリー展開なのだ。
マリアが幸せにならないと、破滅する前に詰む。
ノエルを見上げて、マリアが心配そうな顔をした。
「ノエル? どうしたの? やっぱり調子悪い? 無理しなくって大丈夫よ」
「そんなことないよ。そろそろ部屋の外に出たいし、今、降りるね」
(マリアの幸せを守る。それがこの世界の破滅を止める第一歩だ)
原作者的決意を新たにして、ノエルはマリアの元に向かった。