最後の療養日、ノエルは自室で机に向かっていた。
乙女ゲーム『フレイヤの剣と聖魔術師』の内容を再確認するため、ノートに書き殴っていた。
「何せ二年くらい前に書いたシナリオだしなぁ。世界観は制作班と一緒に作ってるし、記憶が曖昧だな」
恋愛シミュレーションゲーム、いわゆる乙女ゲームは基本、世界観や登場人物の枠組みを制作班がある程度決めた状態で、作家にシナリオが委ねられる。
作家はシナリオを書くにあたり、人物設定を作り込みながらプロットを立てる。その過程で制作班と細かい世界観の設定などを詰めていくのだ。
作家はゲーム会社内のシナリオ班だったり、フリーの作家やライターだったりと様々だ。
「私の場合は、シナリオ未経験のフリーの小説家。異例中の異例だった」
右も左もわからない状態からのスタートだった。
制作班の人たちに沢山教わって勉強しながら書き上げたシナリオだ。
思い入れは強い、が。
「普段、書いている小説は時代劇、SF、ミステリー。恋愛要素が薄いものばかり。おまけに要素があっても悲恋好き」
正直、何故自分にこの話が回ってきたのか、最初は不思議でたまらなかった。
「先生、元気かな」
ぽつりと呟く。
小説の書き方を教えてくれた高校時代の恩師は、この乙女ゲームのシナリオライターに自分を推薦してくれた人でもあった。
古い知り合いがゲーム会社を立ち上げたから、シナリオを手掛けてくれないか、と。
『君は良い話を書くのに、愛や恋には疎いから、きっと良い勉強になると思うよ』
恩師がくれた言葉を思い出す。
「Ⅱのシナリオ、どうなったかな。私のパソコンから、誰か見付けてくれているといいけど」
二度と戻れない世界だ。売り出されたとしても、評判を知ることはできない。もう関係ない世界の話では、あるけれど。
信頼して託されたシナリオを渡せなかったのは、心残りだった。
「書きたい話が他にもたくさん、あったのにな」
俯きかけた顔を上げる。
「いかん、いかん。今は目の前の問題を何とかしないと」
ノートに目を向けて、ペンを取る。
乙女ゲーム『フレイヤの剣と聖魔術師』は物語が前半と後半に分けられる。
第一部:呪いの解呪編は、主人公が攻略対象と共に、この世界に長年蔓延る『呪い』を究明するストーリーだ。
その過程で、主人公は攻略対象と恋に落ち、仲を深める。
本来なら、友人ノエルの死がきっかけで、主人公は『呪い』の究明に意欲を持つ。
「ノエルは生きているけど、マリアはやる気になってくれているし、出だしはとりあえず、クリアとしよう」
次の課題は、病院イベントだ。
『呪い』の正体に近付くために、主人公たちが踏まねばならない不可避イベント。
「ウィリアムかアイザックが、うまく気付いてくれるといいんだけどな。無理そうなら、マリアにそれとなく情報を流して……」
この世界を破滅から救う。正直、どうすればいいのか、わからない。
しかし、神様が破滅回避のために
主人公たちの行動がシナリオから外れない限り、破滅は免れるはずだ。
「最終的に、誰かがフレイヤの剣を手にすれば、世界の滅亡は免れる、はず」
この乙女ゲームのタイトルにも入っているフレイヤの剣は、精霊国を守る結界の要になる。この世界は浮島のような国が結界に守られて多数点在、浮遊している。
それらの国の結界を維持しているのがフレイヤの剣であり、継承者だ。つまり精霊国は、数多ある国の中心に位置する。
フレイヤの剣を継承した人物は、男女問わず王族と婚姻を結ぶのが通例だ。
アイザックルートなら、マリアが中和術を習得し、アイザックの『呪い』を解呪した時点で、フレイヤの剣の後継者候補に入る。
別のキャラがフレイヤの剣を手にする場合もある。
それは主人公が誰とハッピーエンドを迎えるかで決まる。
「例えば、ユリウスとか闇魔術師だし王族でもないから、
各ルートのエンディングまでの流れを、丹念に確認していく。
「主人公が誰かとハッピーエンドを迎えることが最低限の絶対条件だな。あとは、フレイヤの剣の後継者候補を逐一チェック、と」
現段階では、後継者候補はいないはずだ。
現れれば国中が騒ぐはずだから、すぐに気付ける。
「で、一番の問題は……」
主人公が攻略対象とバッドエンドを迎えた場合と、主人公が誰とも結ばれず親密度も上がらなかった場合だ。
誰とも結ばれなくても、全員と一定以上の親密度があれば、友情エンドで終わる。その時点でのフレイヤの剣の後継者はウィリアムだ。
だが、友情エンドにすら入れなかった場合、主人公はフレイヤの剣の後継者に選ばれない。それどころか他の継承者も現れずに、結界が壊れて精霊国が滅亡する。
他国の結界維持も担う精霊国の滅亡は、この世界そのものの破滅を意味する。
「すべては主人公の親密度アップに掛かっているといって過言でない」
まさに、愛は世界を救う、である。
この世界は乙女ゲームだから、世界観として当然だが。もっと違う媒体だったら、手段は他にもあったかも、と無駄なことを考えてしまう。
『君は、愛や恋に疎いから』
先生の言葉を思い出す。
恋愛経験も少ないし他者に恋愛感情を抱いたことも、ほとんどない。
こんな自分が、この世界を救うことなんて、できるのだろうか。
(自信ない。けど、恋愛するのは私じゃなくて、マリアだから)
ノートをパタン、と閉じて、息を吐いた。
「とにかく、マリアには中和術を覚えてもらって、皆と仲良しになってもらおう」
「皆って誰のこと?」
背後から声がして、振り返る。
ユリウスが、ノエルを見下ろしていた。
「なっ、何しているんですか。勝手に人の部屋に入らないでください」
「マリアに中和術を覚えさせたいの? 君が覚えたほうが、早いと思うけど?」
質問はガン無視で、ユリウスがノエルに迫った。
「ユリウスさんがいう中和術は、禁忌の術式でしょ。無理ですよ」
「ユリウス、先生、だよ」
ユリウスがノエルの額を突く。
「明日から、学院に復帰するんだ。僕は学院の教師でもあるからね」
(そういえば、こんなんでも教師だったな。教師が生徒に禁忌術を強いるなよ)
そう思いつつも、ノエルは素直に頷いた。
「でも、禁忌の術式を覚える気はないですよ。命は惜しいので」
国の法に逆らえば、死罪だ。
特に禁忌術は、曰くがありすぎる。
「光魔法と闇魔法、両属性適応者でなければ成し得ない特別な魔法ってだけだよ。光魔法単一の中和術より、ずっと強力な魔法だ。覚えてしまえば、こっちのものだよ」
どっちのものなのか、わからない。
(ユリウスが興味あるってだけだろうな。私は平和に世界を救いたい。できれば目立たず静かに余生を過ごしたい)
すでに一度、死んでいるので、危険にはできるだけ近付きたくない。
「どんなに強力な魔法でも、法律からは身を守れないでしょう。嫌ですよ」
背けた顔を、顎を掴んで引き戻される。
唇が触れて、魔力が流れ込んで来た。
「ぅぁ……」
柔らかい熱さが、体の中に沁み込む。唇が押し付けられて、体が崩れそうになる。
ユリウスの腕が、ノエルの体を引き寄せた。
「お気に入りを放置するほど、薄情ではないつもりだけど?」
唇を離したユリウスは、満足そうだ。
最初の日から毎日、ユリウスは魔力を分け与えにやってくる。
魔石に耐性を作るために必要だと言われている。
(本当に必要なのかな。ユリウスに都合がいいように体を作り替えられている気がする)
怖気が走って、身震いした。
「……それでも、嫌です」
ノエルの頬に手を添えて肌を撫でるユリウスから、目を逸らす。
少しだけ熱い頬を見られたくなくて、ノエルは俯いた。