療養期間が明け、晴れて学院に復帰となった。
入学式からはすでに二カ月以上経っているので、皆それぞれに仲良しグループのようなものが形成されている。
(学校って、嫌いだな。大して親しくもないクラスメイトと仲良しごっこするの、苦痛だった)
休み時間はよく一人で本を読んでいた。
作家になったのは、そのせいかもしれない。
(作家って一人で仕事できていいかもって思ったけど、案外、人と関わるんだよね。社交性も処世術も必要だし、結局、人間社会なんて、そんなもんだ)
二十代で、そこそこの作品数を描かせて貰えていただけ、きっと恵まれていたのだろう。
(死ぬ直前は、忙しすぎてイライラしていたからなぁ。他に雑誌の連載も抱えていたし、主食はコーヒーとエナジードリンクだった)
前世での自分を思い出す。悪態を吐きながらⅡのシナリオの直しをしていた。三徹くらいしていたので、エナジードリンクは何本飲んだかすら覚えていない。
(死因はきっと、カフェイン中毒だろうな)
改めて、自分という人間のダメさ加減に苦笑いする。
(今の方が生活は真面だ。前と違ってゆっくり眠てる。きっと、なろうと思えばまた作家にもなれるよな。せっかく魔法ありきの世界なんだし、そういう仕事に就くのも良い)
ふと、本物のノエル=ワーグナーを想う。彼女はどんな気持ちで死んだのだろう。彼女の心情を思うと、自分がここにいていいのか、不安と罪悪感に駆られる。
(望んで来たわけではないけど、体を貰っているのは事実だしね。最低限、ノエルに恥じぬ生き方をしないと)
ノエルの本当の死因は、何だったのだろう。
やはり『呪い』だったのだろうか。まだ検討すらつかない。
(魔法で何とかならないか、ユリウスに相談してみるかな)
ユリウスは、何か知っていそうな気がする。
だが、「事故前のノエルは知らない」以上の言葉は、相変わらず言わない。頼りには出来ないかもしれない。
それに、ユリウスは攻略対象だ。本音としては、あまり接触したくない。
(毎日毎日通ってきていたけどな。私より、マリアと仲良くなってほしいのに、上手くいかない)
協力者としては頼りになるが、モルモットだと思われている節があるから、あまり歓迎する気にもなれない。
(能力の高いモブとかが協力者だったらよかったのに。せめて攻略対象じゃないサブキャラだったらなぁ)
溜息を吐きながら学院の廊下を歩いていると、ひそひそと噂話が聞こえてきた。
「あの子でしょ? 『呪い』を解呪して生き残ったのって。どうやったのかしら」
「解呪なんてできる訳ないわよ。自作自演じゃないの?」
「でもユリウス先生が助けたらしいよ。嘘ではないんじゃない」
噂にはなるだろうと思っていたので想定の範囲内だ。
この千年、『呪い』を抱えたまま天寿を全うした人間は存在したが、解呪して生き残った者はいない、という設定だ。
噂にならないほうが、世界観的にどうかしている。
(ノエルは、私が作った設定を思いっきりぶち壊したモブになってしまったな。自分のせいながら、大変遺憾だ)
「ねぇ、ねぇ~!」
遠くで誰かを呼ぶ声がしたと思ったら、庭の方から犬が飛んできた。
ひょい、と身軽に避けると、子犬が足元にじゃれてきた。
(トイプーかな? この世界の犬設定までは作っていないけど。てか、犬いるんだ)
まぁ、いるだろうよな、と思い直して子犬を抱き上げる。
人懐っこい小型犬は、ノエルの顔をペロンと舐めた。
「ごめん、ごめん。思ったより走るの速くてさ。摑まえてくれて、ありがと」
これまた小型犬のように人懐こい笑顔が目の前に現れた。
うっ、と顔を歪めそうになった。
(またかよ。攻略対象とは、もう三人会ってしまっているから、会うだろうとは思っていたけど)
彼は、ロキ=オフィーリア=カーライル。
王族であるウィリアムとアイザックの従兄弟だ。
カーライル家は代々近衛兵の家柄だが、王室直下の間諜でもある。
ロキは小柄だが武芸に長け、器用で魔法技術も高い。表裏がなく人懐っこい性格で誰にでも愛される、いわゆる弟キャラだ。
(可愛い弟系キャラ。一番やメインにはならないけど、一定以上需要のある外せないキャラ設定ではある)
だが、それだけだと何かつまんないな、と思って加えた設定が『剣を持つと豹変する』だ。残酷なまでに無慈悲に敵を殲滅し、血に染まった顔で子犬のように屈託なく笑うロキは、猫又先生の神絵で拝むと最高過ぎて辛い。
(本物も見てみたいけど、実際見たら普通に引くだろうから、やっぱり見たくない)
実際に見る機会はありませんように、と心の中で神様に祈る。
ぼんやりとロキを眺めていたら、不思議そうな顔をされてしまった。
「ああ、すみません。私に何か御用でしょうか?」
ロキが、ノエルの腕の中の子犬を指さす。
「俺の友人の犬なんだ。逃げられて困っていたんだよ。君が抱き上げてくれたお陰で走るのやめたし、良かった」
にっこりと笑う顔は、何とも破壊力がある。
(特別推しって訳じゃないけど、ウィリアムの胡散臭い笑顔とかアイザックの儚い笑顔と違って、健全な笑顔というか。なんか眩しい)
原作者は創作したすべてのキャラを愛しているから、分け隔てしない。全員が推しだ。
目を細めていると、ロキが子犬を片手で抱き上げて、ノエルの手を握った。
「学内は居心地悪くない? 庭で一緒にお茶会でもしようよ」
耳元で囁くと、ノエルの手を引いて歩き出した。
(噂が広まっているのを知っていて、誘い出してくれたのか)
関係上、ロキはウィリアム辺りに事情を聞いているのだろう。
気遣ってくれているのかもしれない。
(情報提供のお礼のつもりかな。そういうのは、特に必要ないのに)
「私のこと、御存じなのですね」
念のため、確認してみる。
ロキが振り返って、不思議そうな顔をした。
「ノエルは有名人だよ。自力で『呪い』を解呪した魔術師がいるってさ」
血の気が下がっていくのを感じた。
この速さで噂が広がっているのなら、国中に広がるのも時間の問題だ。
(世界観が……二年前の私が寝ずに作った設定が、崩れてしまう。いや、それ以前に、世界の崩壊が)
誰も成し得なかった『呪い』の解呪なんて栄誉は、
ノエルの青い顔を察して、ロキが付け加えた。
「でも安心して。学内には広まっちゃったけど、緘口令が敷かれている。国王の命だから逆らえば死罪だし、学生も家族にすら話せないから」
笑顔で怖いことを言ってくれる。
しかし、少しだけ安心した。
(現国王は女性。ウィリアムとアイザックの母親だ。フレイヤの剣を手にした唯一無二の聖魔術師ジャンヌ)
聡明で利発な彼女なら、そのあたりの守備は問題ないだろう。
女神フレイヤに愛され、
元々王族で婿取りだったこともあるが、彼女がそれだけ有能である証拠だ。
(アイザックルートなら確実に、次代継承者はマリアだ)
物語の後半、フレイヤの剣は必須アイテムになる。前半の『呪い』の解呪は前哨戦のようなものだ。だからこそ、マリアには中和術を何としても習得してもらわねばならない。
(まぁ、あの
学内に噂が広まったのは、何故だろうかと不思議に思う。事件が起きたのは夜で、ユリウスも関与していた。あのユリウスが王室に報告を怠るとは思えない。
(緘口令を敷くほどに厳しく情報を制限するくらいなら、学内に広まる前にどうにかできたんじゃないのかな)
「あの、ロキ様」
「ロキでいいよ。もっと気軽に話しかけてくれて、いいからさ」
(曲がりなりにも貴族相手なんだけどな。ノエルは平民だし、私はマリアと違ってモブなんだが)
良いというのなら仕方がない。
あまりに意固地にしても逆に気を遣わせてしまう。
「では、ロキ。どうしてここまで噂が広まってしまったのでしょうか? 事件があったのは夜で、人目に付く時間だったとも思えません。私の部屋は奥まっていて門からも遠いですし、秘匿できる範疇に思えます」
ロキの纏う空気が変わった。
少しぴりっとした雰囲気に、やはり戦士なのだと実感する。
「やっぱりノエルも変だと思うよね。俺も変だと思う。もっと変なのは、誰の意図で誰が動いているのか、わからないこと」
ノエルは首を傾げた。
「滅多な話は学院内でもできないってこと。だからさ、場所を移そう。アイザックのためにもなるし、君のためにもなる話だよ。一緒に来てくれる?」
振り返った顔は笑っているが、目が真剣だ。
学内に不穏な動きがあると言いたいのだろう。
(設定上、
俯くノエルを、ロキがじっと見詰めている。
ノエルが顔を上げると、ロキの顔が華やかに笑った。
「ノエルって、小さいね。俺は男の割に小柄だからさ。俺より小さい女の子見ると、可愛いなって思う」
迂闊にも、その笑顔にときめいてしまった。
確かにロキは小柄設定だが、他の攻略キャラの身長が高すぎるだけで、低身長という訳ではない。
(ノエルが、やけに小さいだけだよ。君より小さい女の子なんか山ほどいるわ)
測っていないが、マリアと比べてみるに、おそらくノエルの身長は一五〇そこそこといったところだろう。
「私はもう少し、大きくなりたかったです」
ぼそっと答える。
ロキが、ノエルの顔を自分の胸に押し当てた。
「うん、ちょうど良いよ」
(何が???)
あんぐりと口を開けて佇むノエルの手を、ロキが握り直す。
「早く行こう。皆、待ってる」
笑顔が眩しい。ノエルは素直にロキに連行された。