次の日の放課後、ノエルはユリウスの研究室に向かっていた。
(昨日、勝手に帰っちゃったから、ちょっと気まずい)
行かないでおこうかとも考えたが、明日以降がまた気まずくなる。
仕方なく、ノエルは研究室のドアを開けた。
「こんにちは。ユリウス先生、今日は何か、やることありますか?」
いっそ先に声を掛けてしまおうと、言いながら姿を探す。
いつもの椅子に腰を掛けていたのは、マリアだった。
「ノエル、お邪魔しています」
「マリアがユリウス先生の研究室に来るなんて、珍しいね」
「うん、講義の後、声を掛けてもらってね。ここに来るように言われたの」
マリアが心なしか緊張しているように見える。
「そうなんだ。特別授業かな?」
「わからない。ノエル、隣に座ってて」
促されて、とりあえず座る。
ソワソワしているマリアを眺めながら、考えを巡らした。
(もしかして、昨日あんなこと言ったからかな?)
昨日のユリウスとの話を思い出し、ノエルは立ち上がった。
「やっぱり、私は……」
「やぁ、マリア。よく来たね」
ユリウスが書斎から顔を出した。ノエルを一瞥すると、マリアの向かいに腰掛ける。
「ノエル、座らないの?」
ユリウスはノエルに目もくれず、マリアに向き合っている。
「いえ、今日は寮に帰ります」
荷物を持ち挙げ、出口に向かう。
「そう、わかった」
ユリウスからは、それ以上の言葉はなかった。
寮に繋がる渡り廊下を歩きながら、考えを巡らす。
(マリアと仲良くする気になったのかな? どういう心境の変化だろう。マリアに中和術を仕込んでくれるとか? でも闇魔術師のユリウスじゃ、光魔術の中和術は教えられないし……)
ノエルは思考を放棄した。
「何でもいいや。マリアとユリウスの親密度が上がってくれれば、友情エンドの保険になる」
呟いた言葉は、まるで自分に言い聞かせているようだった。
それからも、学内でマリアとユリウスが一緒にいる姿を何度か目にした。
講義のあとや、放課後に二人で楽しそうに話をしている。
一度は一緒に昼食をとっている姿を目撃して、マリアを誘うのを断念した。
(突然、マリアに興味を持ったのかな。私の話が功を奏したってことか?)
不思議なのは、時々そこにアイザックが混じっていることだ。
アイザックは談話というより、真剣にユリウスの話を聞いているように見えた。
(アイザックルートのユリウスは、二人が『呪い』を調べている時にアドバイスをくれるんだよね。解呪についても協力してくれる。今は、そんな感じなのかな)
だったら、邪魔はできない。
ノエルは意識してユリウスを避けるようにした。
放課後、ユリウスの研究室に行かなくなると、時間ができた。
その分、クラブ室に通うようになった。
「ここの所、毎日クラブに顔を出すね。ユリウス先生は、いいの?」
ロキに声を掛けられて、気まずい気持ちになる。
(クラブを立ち上げてから、あんまり来てないからなぁ)
「最近、あまりやることがないから、行っていないんです」
「だったら、調べ物を手伝ってくれないか?」
レイリーがノエルに茶を出しながら、声を掛けた。
「レイリー、そういうのは私がやりますから」
慌てて立ち上がる。
貴族の御令嬢に茶を淹れさせるなど、平民の立場ではあってはならない。
「いいんだ。私がやりたくてやっているんだから。美味しいお茶を自分で淹れられたら、好きな時に楽しめるだろ」
「レイリーなら、好きな時に淹れてもらえるでしょう」
ノエルは、溜息交じりに返事した。
使用人を何時に叩き起こして茶を淹れさせても良い立場の人だ。
「本当は違うんだよ、ノエル。レイリーはリアムに美味しいお茶を淹れてあげたくて、練習しているんだよ」
訳知り顔のロキが、ニシシと笑う。
「別に、それが目的ではなくて! ついでにリアムにも美味しいお茶が出せるだろうとは、思うけど」
取り繕うレイリーの頬が赤い。
(レイリーのツンデレ激可愛い。照れる顔とかマジ尊い)
レイリーに見惚れながら、耳を赤くしているウィリアムを視界の端に発見する。
何食わぬ顔で本に目を落としている姿がまた、可愛い。
(マリアがアイザックルートで良かった。ウィリアムルートだったら、こんな風に照れ合う二人の姿は見られなかった)
ノエルまでニヤニヤが止まらなくなる。
レイリーが淹れてくれた紅茶を一口、含んだ。
「美味しいです。これならきっと、ウィリアム様も気に入ってくれますよ」
レイリーを見上げる。
さっきより頬を染めて、レイリーが目を逸らした。
「だから、そうではなくて……」
「ノエル、悪いが図書室で本を借りてきてくれないかな」
言葉を失ったレイリーの助け舟は、ウィリアムが出した。
差し出されたメモを受け取る。
「わかりました。冊数が多いから時間がかかるかもしれませんねぇ。ゆっくりじっくり探してきますね」
「だったら、俺も行く。重い本をノエルに持たせるわけにはいかないからね」
ノエルの意図を察して、ロキが立ち上がった。
「待て、図書室なら私も一緒に……」
「ダメだよ。俺がノエルと図書室に行きたいんだから。二人はゆっくりイチャイチャしててよね」
ロキがぴしゃりと断って、ノエルの手を引きクラブ室を出た。
ちらりと覗いた二人の顔は、赤くなっていた。
(さすが乙女ゲの世界。恋の要素は、どこにでも落ちているな)
主人公以外でも、恋愛しているキャラはいる。特にウィリアムとレイリーは、どのルートでもラブラブだ。ウィリアムルートを選ばない限り、二人は必ず結ばれる。
ウィリアムルート以外ならレイリーという悪役令嬢は主人公に対して、時に厳しく時に協力的に、時に追い落とす存在だ。だが、不幸になる設定にはしていない。
(推しのレイリーの照れ顔尊い。また是非ウィリアムをいじろう)
決意と共に拳を固めた。
「ノエルが来てくれるようになって良かったよ。最近、アイザックとマリアも来ないから、俺、居心地悪かったんだよね」
「ああ、それは辛かったですね」
あの空気の中に一人で混じるのは、ノエルでもしんどい。
「ねぇ、敬語やめない? 俺たち同級生なんだし、学院内では身分も関係ない。俺もっと、ノエルと仲良くなりたいんだ」
無垢な笑顔を向けられて、思わず目を眇めた。
(ロキの素直な笑顔は、お姉さんには眩しいよ)
ノエルの年齢は十六歳だが、中身は二十四歳だ。
実際、光っていないのにロキが眩しく感じる。
「わかりま……、わかった。じゃぁ、お言葉に甘えるね」
ロキが嬉しそうに頷いて、ノエルの手を引く。
「手を繋がなくても、歩けるよ?」
「繋いじゃ、ダメ?」
小首を傾げられて、ダメと言えなくなる。
「ノエルの手は小さくて包み込めちゃうから、握っていたくなるんだ」
そういえば最初に会った時にも、ロキには手を引かれていた。
返事がないのを肯定と取ったのか、ロキはノエルの手を握ったまま歩き出した。
(ま、いっか。手を繋ぐくらいは問題ないだろう)
図書室へ向かう角を曲がると、中庭を挟んだ向こう側の廊下にユリウスの姿を見付けた。
こちらに背を向けて立っている。
反射的に足を止めた。
(まずい、最近、研究室に行ってないから、顔を合わせずらい)
気が付いたロキが、ノエルの視線の先を追った。
「ユリウス先生とマリアだ。珍しい組み合わせだね」
ロキに言われてよく見ると、ユリウスに隠れていたマリアの姿が見えた。
「早く、行こうか」
ノエルはコソコソと歩き出した。
ユリウスの視線がこちらに向いて、ぎくりとする。
「そうだね、早く行こう。ノエルと二人でゆっくり調べ物がしたいからさ」
ロキがノエルの手を放して、腰を抱いた。
驚いて見上げると、反対の手で手を握られた。体がやけに密着している。
(なんだ、なんだ、なんだ⁉)
ノエルたちを眺めていたユリウスが、マリアの肩を抱いた。
そのまま反対方向へ歩いて行ってしまった。
(ユリウスとマリアは順調に仲良くなっているみたいだな)
去っていくユリウスを確認して、ロキが体を離した。
「やっぱり歩きづらいから、手を繋いでいこうか」
ロキが、さっきと同じようにノエルの手を握る。
自然と、ロキの手を握り返した。
「そんな顔、するくらいなら、はっきり聞いた方が良いと思うよ」
「え?」
ロキを見上げる。
少し寂しそうな笑みを向けられた。
「何でもない。俺はノエルが毎日クラブ室に来てくれた方が良いから、今のままが良いけどね」
ロキがノエルの手を引いて歩き出す。
ロキの言葉に答えることも、手を振り解くこともできずに、ノエルは廊下を歩いていた。