「……何言ってるの、無理だよ。触ったことないし……出来るわけないじゃん」
わたしはトランペットをカナデに押し返そうとする。でも、彼女はにっこり笑って、わたしの手をそっと押さえつけた。
「大丈夫。まずは口を付けるマウスピース……その銀色のやつ。それだけ抜いてみて」
「ええ……?」
「ほらほら、試しにやってみてよ」
気乗りしないまま、カナデの言う通りに銀色の管を抜く。細いカップが手に冷たくて、なんだか妙に落ち着かなかった。さっきの彼女の演奏が頭にこびりついて離れない。あの鋭い音、キラキラした輝き。わたしには絶対無理だ。でも……もしわたしがあんな音を出せたら、少しだけでもカナデみたいに輝けるんだろうか。
「それを唇の真ん中に付けて、息を入れてみて」
カナデの声が柔らかく響く。わたしは迷いながら、マウスピースを口に近づけた。無理だって分かってる。壊したらどうしようとか、笑われたら嫌だとか、頭の中でぐるぐると考える。でも、彼女の視線がわたしをじっと見つめていて、その瞳が「大丈夫だよ」と言ってるみたいだった。
試しに、ほんの少しだけ息を吹き込む。スーッと気の抜けた音が漏れて、わたしは慌てて口を離した。
「鳴らない、やっぱり無理」
「ううん、いい感じだよ。最初はみんなそんなもん。次はもっと力抜いて、唇を震わせるように、トゥーって音をイメージして」
カナデが笑いながら言う。トゥーって何だ、意味が分からない。わたしには無理だ。でも、彼女の声があまりにも楽しそうで、さっきの演奏の余韻がまだ耳に残っていて、なんだか悔しい気持ちが湧いてきた。カナデのことが、ちょっとだけ羨ましい。わたしだって、少しだけでも、あんな風に鳴らしてみたい——そう思った瞬間だった。
もう一度、マウスピースに唇を付ける。息を吐いて、唇を震わせるイメージで力を抜く。すると、変な震えが管を通って、小さく「プッ」と音が鳴った。
「そう、それだよミナ! 今の感じ!」
カナデが目を輝かせて叫ぶ。わたしは驚いて、マウスピースを握ったまま固まった。えっ、今のって。でも、きっとまぐれだろう。喜んでいたカナデは、もう一回吹いてみるよう促した。
「ええ……もう無理だよ。わたし音楽の才能とかないし……」
「そんなの関係ないって。今出来たじゃん! それに私だって、最初は全然ダメだったし」
カナデは自分のトランペットを軽く指で弾きながら、どこか遠い目をした。
「えっ、そうなの?」
「あはは、信じられない?」
カナデは笑いながら、ほんの少しだけ視線を落とした。
「最初は全然音が出なくてさ。今のミナよりも出来てなかったと思うよ。ずっと練習して、唇痛くなって。でも、辞めなかったんだよね」
「……どうして?」
「んー……たぶん、辞めたら自分が消えちゃう気がしたからかな。諦めが悪かったのかもしれないね」
そう言って、カナデは軽く肩をすくめる。
「でもさ、続けてるうちに、音が出るようになって、楽しくなってきてさ。それで、気づいたら、音楽が私の居場所になってた」
「……居場所」
息を吞む。居場所。わたしの居場所ってどこなんだろう。何もない、何も出来ない。どこかいつも所在なさげなわたしの居場所って。そんなもの、この世界にあるのかな。