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「やっぱり奏だ、あのね……」


 彼女が手を伸ばそうとした途端、カナデの肩がピクリと動いた。視線が一瞬揺らいだかと思うと、すぐにわたしから半歩ほど距離を取る。その仕草は無意識のものに見えた。まるで、反射的に何かを避けるように。彼女の手は虚空を掴み、その勢いがたじろぐ。数秒の沈黙が続く中、二人の異様な雰囲気を察知して、わたしはただ見守ることしか出来なかった。


「……ミナ、ごめん。今日は先に帰るね、また連絡するから」


 表情を曇らせ、俯いていたカナデは咄嗟に踵を返し、改札を目掛けて走り出した。カナデ、と呼び止めるための声は出ず、わたしは呆然とすることしか出来ない。


「待って、奏!」


 女の子がカナデの背中を追おうと駆け出した。ハーフアップにしたロングヘアが目の前で風に乗って揺れていく。彼女が改札に定期ケースを勢いよくタッチすると、「ピンポーン!」という警告音が鳴り響いた。彼女は改札機のバーに行手を阻まれ、突然のことであわあわと困った表情を浮かべている。走り去ったカナデの後姿は、既に人込みの中に消えていた。


「あ、あの……大丈夫ですか?」


 終始何も出来ずに立ち尽くしていたわたしも、流石に女の子に声をかける。よく見たら、彼女の鞄から伸びたぬいぐるみの定期ケースは上下が逆になっており、見事にぬいぐるみの顔が潰されていた。


「あはは……ありがとうございます。定期券、逆でしたね……」


 照れ笑いなのか、彼女は定期ケースを離し頬の横に手を添える。改札を通ることは諦めたのか、身を翻してわたしの方に向き直った。東高の制服を清楚に着こなし、見るからに優しそうな風貌。人当たりの良さそうな笑顔を浮かべながら、一瞬だけわたしが持っている楽器ケースに視線が移った。彼女の視線を感じ、自然とケースを持つ手に力が入る。彼女も同様に、ケースをぎゅっと握りしめているように見えた。


「奏のお友達ですか? ……ちょっと聞きたいことがあって、このあと、少しだけお時間いただいてもいいでしょうか」


 彼女の真剣な眼差しに圧倒され、わたしは少しばかり身を引いてしまいそうになった。カナデの、どんな関係かは分からないけれど、きっと因縁のある相手。一つ心当たりがあるとすれば、いつかカラオケ屋の店長が言っていた、中学の同級生だ。あの時のカナデも、どこか様子がおかしかった。


 カナデの事情に、どこまで入っていいんだろう? わたしが関わったら、嫌がるかな。でも……友達として、さっきのカナデを放っておくなんて、できない。


 わたしが頷いたのを見て、彼女のぴんと張り詰めたような空気が少しだけ和らぐ。


「ありがとうございます。じゃあ、どこか入りましょう。もちろん、ご馳走させていただきますので」


 にこりと微笑んだその姿は、花が咲いたように可愛らしいものだった。先に歩みを進めた彼女の背中を追うために、わたしは唾を飲み込み一歩を踏み出した。


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