ほのかと別れて帰宅すると、電気も付けずにベッドへ倒れ込んだ。制服がシワになるかもしれないけど、着替える気力はない。
ほのかが語ったカナデの過去。何かを感じていたけれど、退部して登校拒否……。
枕に顔を埋める。生真面目なほのかが嘘をつくとは思えない。楽器が上手すぎて部で浮いて、当時のカナデはどれだけ孤独だったんだろう。凡人のわたしは一生理解することは出来ないと思うけど、何かしてあげることは出来ないのかな。
部屋の隅に置いた、ほのかとお揃いの楽器ケース。カナデはどんな思いで、これをわたしに託したのだろう。この楽器は、カナデの過去の象徴だ。因縁のあるものだから、自分の元から手放したかったのだろうか。それとも。いくら考えたって、カナデの思いはわかりっこない。
暗闇の中で目を瞑りながら、ほのかの言葉を思い出す。
『奏に謝りたいし、昔みたいに友達に戻れたらなって思うんだけど……もう戻れないのかな』
と、寂しそうに笑っていた。小学校四年生からずっと一緒に頑張ってきて、強い絆で結ばれていたはずの二人なのに。カナデには、わたしの知らない時代にそんな大切な子がいたんだなと、少しだけ気持ちが沈んでいく。仕方ないことであるのは、分かっているんだけど。
重い身体をベッドから起こし、放り投げていた鞄の中からスマートフォンを手探りで取り出す。画面を点けると、見慣れた待受画面が眩しくて目を逸らした。通知が来ていないのを確認し、メッセージアプリを起動する。トーク画面の一番上には、カナデのアイコンが並んでいた。
どうしたものか。躊躇しつつも、カナデのアイコンをタップする。ほのかに話を聞く前のやり取りが残っている画面を眺めながら、文字を打ち込もうとするけれど、何と打てばいいか分からなかった。大丈夫? が無難だろうか。いや、でも大丈夫? と聞かれたら、大丈夫以外返事のしようがない。元気? はちょっと違うし……。何も気にしていない風を装って、今日もありがとう! とかだろうか。
うーんと唸りながら画面を見つめる。この気持ち、文字じゃダメかも。勢いで通話ボタンを押してしまった。
暗い部屋の中で、コール音が響き渡る。身体から、じんわりとした汗が噴き出ているのが分かった。息を吐きながら、できるだけ心臓の音を落ち着かせようと努める。五回ほどコールが続いたのち、音がぷつんと切れた。
「……ミナ?」
落ち着いたカナデの声が、電話から聞こえてきた。深呼吸したのに心臓がどくんと鳴って、手がじっとり汗ばんだ。
「あっ、カナデ……あ、あの」
これじゃあただの挙動不審な人だ。完全にテンパって、口から言葉が出てこない。あたふたとしていると、カナデの息がふっと漏れたのが分かった。どうやら笑っているらしい。
「今日はごめん、心配して電話かけてきてくれたんでしょ? もう大丈夫だからさ、心配しないで」
「で、でも。カナデが、辛そうだったから……」
「ちょっとね、過去に色々迷惑かけた子なんだ。まだ自分の気持ちが上手く言葉にできなくてさ」
はは、とカナデは自嘲するように笑う。カナデに、ほのかと話したことを言うべきなのだろうか。ほのかの気持ちを伝えるべきなのだろうか。
「……カナデ」
名前を呟くと、電話越しに「ん?」と優しい声が聞こえてくる。カナデは優しい。二人の問題だと分かってるけど、カナデに、何かわたしがしてあげられることはないのだろうか。
「……今週の土曜日か日曜日、どっちか空いてる?」
わたしの口から飛び出たのは、突拍子もない誘いだった。
「今週? どっちも空いてるけど、どうしたの?」
「じゃあ土曜日に、遊びに行こう」
一瞬、スマートフォン越しの空気が止まった気がした。カナデが何かを考えているのが、沈黙から伝わってくる。
「……え?」
間の抜けた声が返ってきて、わたしは少しだけ口元を引き締める。
「だから、遊びに行こ!」
「……急にどうしたの?」
「カナデが、少しでも気が楽になったらって……思って」
カナデがふっと息をつく。少し間があって、柔らかい声が返ってきた。
「そっか。じゃ、土曜日ね。……ミナとのデート、楽しみにしてるよ」
「えっ⁉ ち、違う! 別にデートじゃないから!」
電話越しにカナデが笑い出して、からかわれてるのが悔しい。でも楽しそうな声に、わたしも少しほっとした。
全くノープランだけど、カナデとどこかに遊びに行こう。カナデが抱えている悩みが、少しでも軽くなるように。少しでも気が晴れるように。わたしにそんなことが出来るか分からないけど、やってみる価値はあるかもしれない。
「……楽器は持っていかない方がいいよね?」
冗談っぽく言うカナデに頷く。もちろん、楽器はない方がいい。カナデの演奏を聴きたい気持ちは確かにあるけど、それでは遊びに行くとはいえない。カナデの演奏は、今度の個人レッスンの時に聴かせてもらおう。
それからいくつか雑談を交わし、わたしもだいぶ電話に慣れてきた頃に通話は終わった。さあ困ったぞ。言い出しっぺのわたしが、当日の予定を考えなきゃいけない。そもそも、わたしにプランなんて考えられるの? なんて言う暇はない、やらなきゃいけないのだ。
スマートフォンの画面をなぞり、検索エンジンを起動する。『高校生 遊びに行く どこ』なんて言葉を検索バーに打ち込んで、わたしは暫く画面と睨めっこを続けていたのだった。