そういうこともあって、今日は午後イチの時間に主要駅での待ち合わせを指定した。昨日のうちに、それぞれの店の場所は大体把握済み。スマートフォンがある時代に生まれて良かったとつくづく思う。地図アプリが無かったら、たどり着ける自信が全くない。
カナデは待ち合わせの五分前にやってきた。毎日背中に背負っている黒い楽器ケースが無いせいか、いつもより足取りが軽く見える。人混みの中、片手を振りながら黒っぽいシンプルな格好で決めている。わたしも手を上げて、カナデに近づく。
「ミナ、待った?」
「ううん、さっき来たばっかり」
デートっぽい会話にカナデが笑って、いきなり手を握ってきた。温かさがじんわり伝わってきて、心臓が跳ねた。突然のことに驚いて言葉を無くしていると、余程変な顔をしていたのか、カナデが吹き出す。
「ごめんごめん。今日は珍しく、ミナがデートに誘ってくれたからさ」
ぱっと手を離して、戯けたように笑う。片手に熱の余韻を感じながら、少しだけ名残惜しさを感じていた。
「ところで、ミナの私服って初めて見るね。かわいい、似合ってるよ」
「も……もう! さっきから! からかってるでしょ⁉」
先ほどからのカナデの様子を見るに、明らかにわたしをからかっている。一時間ほど悩んで決めたワンピースを褒められるのは、悪い気はしないけれど。さらっとそう言うことを言ってくるのだから、心臓に悪い。一体どこでそんな口説き文句を覚えてくるのだろう。もしかして、誰にでも言ってるの?
ニヤニヤとしているカナデから視線を外し、まずは駅直結のショッピングビルに向かって歩き出す。まあとりあえず、カナデが元気そうで良かった。出だしはまずまず順調と言えるだろう。
カナデが横に並んで、「ありがとね、誘ってくれて」と小さく笑った。照れた横顔に、心臓がぎゅっと締まる。なに、その珍しい顔。
わたしが知っているカナデは、大抵自信に満ち溢れたキラキラしている姿だから、そんな気弱そうな姿を見せられるとどきりとしてしまう。心情を悟られないように、わたしは先導をきってエスカレーターに足を載せた。
わたしとカナデは駅ビルの最上階の雑貨屋へ。いろんな雑貨が並ぶ中、カナデが意外にも文房具コーナーに目を輝かせた。
「文房具って、テンション上がらない?」
芯の先がくるくると回るシャープペンシルを手にしながら、カナデは言う。紺色のメタリックな本体が、店内の照明を反射して鋭く輝く。確かに、少しかっこいいかもしれない。
そういえば、カナデは成績優秀者であったことを思い出す。わたしも同じ文房具を使ったら、ちょっとは成績上がらないかな。カナデにおすすめの文房具を教えてもらい、次回のテストに挑む決心をした。
次に、下の階の服屋を流し見する。マネキンはもう秋物で、可愛いトレンチコートを見つけたけれど、値段を見て諦めた。フェミニンな服だらけの中、カナデが一人そわそわとしている。
シンプルを基調とした私服が多いカナデだけれど、凛としたその顔は、意外と女の子らしい服も似合うんじゃない? 試着してみてよ、とマネキンが着ている比較的落ち着いた印象のワンピースを指さしたら、すごい勢いで拒絶されてしまった。
「私には絶対似合わないから。そういう可愛い服は、ミナの方が似合うよ」
なんて、軽く口説くようなセリフを入れてくる。どう考えたって、わたしよりカナデの方が美人なのに。本人が嫌がるならしょうがない。落ち着かなそうなカナデを見て、じゃあそろそろ移動しようかと声をかけた。
次は、カナデのテリトリーである楽器屋に足を運ぶ。楽器屋のくせにCD販売がメインであるようで楽器のコーナーは手狭だったが、カナデはやっと息がし易くなったようだ。トランペットのメンテナンスに使うオイルを一通り眺めた後、ショーウインドウに並べられた楽器を見つめる。
「これ、ミナに貸してるのと同じやつ。私が買った時より高いかも」
カナデが指さした楽器には『初めての一本に!』とポップがあって、横に十七万五千円。十七万! 思わず「たっか!」と声が漏れた。そんなに高価なものを借りていたのか、と驚いてしまう。丁寧に扱っているつもりだったけど、今後はより大切に扱わせて頂こう。
カナデとほのかは、中学の時にこの楽器を買ったと言っていた。中学生で十七万の買い物だなんて、余程本気でないと、きっと親が許してくれないだろう。それだけ二人の、トランペットにかける思いが強かったことが窺える。
「ちなみに、私が今使っている楽器はこれ」
その楽器には『あなたの求める理想の音楽表現に』という文句が添えられ、値札には三十七万円。先ほどのトランペットが約二台買える値段だ。驚いてカナデの顔を見ると、頬を掻いて苦笑していた。
「高校に上がるタイミングで新しいのが欲しくてさ、どうせならいいやつが良かったから……お年玉の貯金とお小遣い前借と、高校の入学祝いを合算してなんとか……って感じで大変だったよ。でもおかげで、今、ミナに楽器を貸すことが出来てるしね」
透明なガラスの向こうに飾られた、真新しい楽器を優しく見つめる。きっと、カナデはいろんな思いを抱えながら、この楽器を選んだのだろう。
新しい楽器を選んだカナデと、カナデと選んだ楽器を今でも使い続けているほのか。二人は対極の存在だった。自由と規律。そんな二人だからこそ、長年上手くやってこれたのかもしれない。そう思うと、胸のあたりに、もやもやとした暗い霧がかかったようだった。呼吸が浅くなる。
わたしは、ほのかのような存在にはなれないだろう。レベルも何もかもが違いすぎて、カナデの横に並ぶ資格がないかもしれない。ざわつく心を抑えつけながら、今はカナデを楽しませることに集中しなければと意気込んだ。