わたしがカナデを連れてきたのは、海辺のタワー。この街は東京のベッドタウンで派手な観光地はないけれど、このタワーは一応観光スポットだ。でも、いつも閑散としていて人気はない。わたしはあまり人混みが得意な方では無いので、人がいないのはむしろありがたいんだけれど……収入やらの面を考えると、少し心配になってしまう。
一階のロビーにある券売機で、大人二人分の入場券を購入する。市か県が管理している施設だから、入場券の値段は高校生でも手が出しやすい値段だった。これが東京だったら、入場券で千円札が数枚取られてしまうんだろうな……と渋い顔になってしまう。まあ、都内の方がタワーの高さも景色も段違いなんだろうけど。
エレベーターが展望室に着くと、カナデが「お〜、すご!」と歓声を上げた。ガラス越しに、オレンジに染まる街が広がっている。
カナデははしゃいだようにガラスに向かい、辺りを見回していた。展望室は全方向がガラス張りになっていて、市内全域が見渡せる。見慣れた街並み、聳える東京の摩天楼、海、はるか遠くに連なる山脈、天気が良いと富士山も見えるようだった。
わたしがこの場所を選んだ理由は、とても単純な理由だった。高いところに上ったら、少しは気分が晴れないだろうか。自分がここで気持ちを整理できたように、カナデも少しは楽になるかも。
眼下には、ジオラマのような街に米粒みたいな大きさの車が走っていた。街を歩く人の姿は、小さ過ぎて見ることが出来ない。わたしたちは、なんて小さな存在なんだろう、と思う。
中学の時、人間関係や受験がうまくいかなくて悩んで、自転車で市内を走り回ったことがある。そんな時にここを見つけて、一人で夕暮れの街を見たら、悩みがちっぽけに思えてしまった。
わたしなんて、どうせ、上から見たら何も見えない。そんなわたしが抱えているモヤモヤなんて、小さ過ぎて、実はそんなに大したことないんじゃないかと思ったら、少しばかり気持ちが軽くなったのを覚えている。カナデも同じように思ったり、感じてくれるかは分からないけれど。
ぐるりと展望室を一周し、東京湾に向かった方向で足を止める。ちょうど、太陽が水平線に隠れようとしているところで、海には眩い光の道が走っていた。横を見ると、カナデの黒い短髪がオレンジ色のベールを纏っている。初めて会った時のように、その姿は眩しかった。辺りいっぱいに、太陽の粒子が漂っている。
「初めて来たけど、良いね、ここ」
夕日に照らされながらカナデは笑って、スマートフォンを取り出した。カメラを起動し、何枚か写真を撮っている。わたしもスマートフォンを鞄から出し、ぎゅっと握りしめた。沈んで行く夕日を眺めながら、わたしは意を決して唇を開く。
「カナデ、わたしあの日、ほのかさんと話したよ」
カナデがゆっくりとわたしを見て、気まずそうに髪をいじる。俯いた瞳が、橙色の陽光に揺れていた。
「そっか。ごめん、巻き込んで」
「わたしこそ、踏み込んじゃってごめん……。ほのかさん、カナデのこと凄く気にしてた。カナデを引き止められなくて、後悔してるって」
上手く言葉が出てこなくて、会話が途切れ途切れになってしまう。わたしが、ほのかの気持ちを代弁できるわけがないのだ。本当なら、ほのかが直接カナデに言った方が伝わるのに。どうしてわたしは、この二人の関係を取り持とうとしているのだろう。
「許してもらえるか分からないけど、謝って、また昔みたいに戻れたらって、言ってた。カナデは、ほのかさんのこと、どう思ってるの」
何となくカナデの顔を見るのが怖くて、視線を外して眼前の海を眺める。空は段々と青みがかり、水平線を染めるオレンジとのグラデーションが美しかった。夜の始まりを告げるような暗い色をした雲が、バケツをひっくり返したような不恰好な形で浮かんでいる。
「……相変わらずほのかは真面目だなあ……」
ぽつりとカナデは呟いた。その声は、どこか笑っているような、優しげな声だった。何故だか分からないけれど、ずしりと胃の辺りが重くなる。
「あの時、ほのかが悪かったわけじゃないよ。部活にムカついてたし、サボってる私が嫌われてたのも分かってる。どうせいつか辞めるつもりだったから。学校に行かなくなったのは、うちのクラス吹部の連中が多かったし、なんか怠くて。ほのかに何も言わずにいなくなったのは、悪かったと思ってるよ……一度拒絶してしまったら、どうして良いか分からなくて、合わせる顔がなかったんだ」
スマートフォンを握っている手に力が入る。中学生特有の、狭いコミュニティでの人間関係。息が詰まるような独特の雰囲気は、ほのかとカナデほど拗れていないにしても、わたしも身に覚えがあった。
二人の思いはそれぞれ、よく分かる。よく分かるけど……本来わたしが踏み込むような話ではない。これは二人の話なのだ。でも、今回わたしは二人の関係に割って入ってしまった。今までのわたしだったら、絶対こんなことはしないのに。
「私こそ、本当はほのかに謝るべきなんだよ。迷惑ばっかかけてごめんって。私がやったことを振り返ると、愛想尽かされてもおかしくないのにね。あの時、私ももっと上手く立ち回るべきだったと思ってる。ほのか……ごめん」
呟くように言ったカナデの瞳が、一瞬だけ揺れたように見えた。