一時間目に間に合う時間に、ぎりぎりバスが到着した。朝礼を終えた担任に会わないよう祈りつつ、そっと席に滑り込む。姿がなくて、ほっとした。後で会ったらきっと小言を言われるだろうけど……まあそれは仕方ない。
「お、美奈氏! 遅刻久々じゃん。松波奏とのデートが楽しすぎて浮かれた?」
隅で喋っていた若葉と日菜子が気づいて寄ってきて、若葉がにまにましながら肩を叩いてきた。遅刻の原因がカナデにあることは間違いではないけれど、決して浮かれているわけではない。気持ちを悟られないように、表情筋を少しだけ固くする。
「それはない、普通に寝坊しただけ。二人のおかげでなんとか無事に遊びに行けたよ、ありがとうね」
「そっかあ、よかったあ。若葉ちゃんとね、ちょっと心配してたの。変な提案してなかったかなって」
日菜子が頬に手を添えて、穏やかに微笑む。変な提案って何だろう、そんなにおかしなルートだったっけ? と突っ込むのはやめて、曖昧に笑う。カナデは楽しんでくれていたみたいだし、たぶん大丈夫だと思う。
「でさ、美奈氏。土曜ヒマ? 今度は私たちと遊ぼうよ」
若葉がぐいっと顔を寄せる。丸い黒目に、驚いたわたしの顔が映っていた。
「えっと、今週の土曜……? 大丈夫だけど」
「よっしゃ! じゃあ十時に駅前集合ね」
ええ? と突然の提案に困惑していると、日菜子が苦笑いをした。二人から遊びに誘われることは、入学以来初めてだった。この関係はクラスの中だけで完結していて、休日を共に過ごすような深い仲ではないと思っていたから、正直意外だ。
「あのね、今週の土曜日、東高の文化祭なの。良かったら、一緒に行ってもらえないかなあと思って」
二つに結ったふわふわの髪を弄りながら、日菜子が少しだけ照れ臭そうに言う。東高。その言葉を聞いて、咄嗟に天台ほのかのことが思い浮かんだ。東高と日菜子……以前デートを尾行した際に出会った、日菜子の恋人、作草部蒼を思い出す。なるほど、そういうことか。
蒼はクラスで行う劇のキャストに抜擢されており、日菜子はそれを観に行きたいらしい。ダブルキャストのため、空き時間は日菜子と一緒に文化祭を見て回ろうと思っていたが、もう一人が急遽参加できなくなり、一日通しで蒼が演じることになったようだ。
若葉は「なにか創作のネタがあるかも!」なんて言ってノリノリだし、わたしも特に予定は無かったので断る理由がない。
それに、東高にはほのかが居る。カナデと、深い関わりのあった女の子。もう過去のことだと分かっていても、どこかで引っかかっている自分がいる。ほのかのことを、知りたいと思っていた。私の知らないカナデが、そこにいるかもしれない。
「それでね、美奈氏。ついでだから、松波奏も一緒にどうかなーと思っていて……」
「えっ、カナデ⁉」
若葉からカナデの名前が出て、声が裏返る。胸がざわついて、喉が熱い。えっ、一緒に東高行くの? ほのかとカナデはもう仲直りしたけど、それでもやっぱり、二人が再会する場面を想像すると、落ち着かない気持ちになる。それに、カナデは当初東高を志望していたみたいだし……。
わたしが頭の中でぐるぐる考えているのをよそに、若葉は何も気にせず言った。
「さっき、クラスを覗いたらちょうどいたから、美奈氏の予定聞く前だったけど、誘っといたよ〜。来てくれるって言ってた!」
はっはっはと笑う若葉のコミュニケーション能力に驚愕する。以前カナデと仲良くなりたいと言っていたのは、社交辞令ではなくて本心だったのか。別のクラスに行ってほぼ初対面のカナデを突如遊びに誘うだなんて、凄い行動力。別にわたしが仲介しなくても、勝手に仲良くなれるのでは? なんて思ってしまう。
それにしても、カナデも一緒に来てくれるのか……。スマートフォンを確認すると、案の定カナデからその件についてメッセージが届いていた。
カナデはわたしに気を使って了承したのか、それとも本心から行きたいと思ったのかは分からないけれど、ありがとうと返事を送っておく。すぐに既読の文字が付き、OKのスタンプに続いて『放課後練習するけど来る?』というメッセージが届いた。カナデにどう接していいか分からないから、正直気が進まない。でも、若葉の誘いもあるし、話しておこう。楽器も持ってきたし……行くと返して、画面を閉じた。