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 定刻になり、吹奏楽部の部員たちがステージ上に上がってくる。部員の数は五十人近くいるようであり、海浜高校の吹奏楽部より人数が多そうだ。


 トランペットは後列に並べられ、その中でもほのかは指揮者に近い内側に着席していた。カナデ曰く、一概には言えないけれど指揮者に近い方から主旋律を担うファーストが着席し、外側になるにつれてファーストのハモりを担当するセカンド、サードと座ることが多いらしい。ほのかは、一年生ながらにファーストの譜面を担当するようだ。本当なら、カナデもあの場所に座っているはずだったのだろう。


 指揮を担当する生徒がお辞儀をし、部員たちに対面する。指揮棒が上がると、緊張の糸がぴんと張られたような空気が漂った。指揮棒が下りると、軽快な打楽器で曲が始まる。プログラムに「宝島」とある。ラテンのリズムから華やかなメロディーが体を包んだ。


 音の圧に圧倒され、身の毛がよだつ。手にじっとりと汗をかいているのを感じていた。カナデの様子を伺いたいけれど、視線がステージから離せない。


 曲の途中、一人の男子生徒が立ち上がってサックスのソロを演奏する。指揮者と目配せをしながら、伸びやかに演奏をするその姿は堂々としていた。合奏を真面目に聴くのは初めてだったけれど、こんなに大勢で一つの音楽を創り上げていくなんて、すごい。


 サックスのソロが終わったのち、打楽器がリズミカルに曲を奏でていく。身体を揺らして、なんだかみんな楽しそうだ。わたしが新鮮に感じていると、トランペットとトロンボーンの生徒たちが一斉に立ち上がり、とてつもないスピードでメロディーを演奏し始めた。もちろん、その中にはほのかも含まれている。


 トランペットの高らかな音が、体育館に響き渡る。この音を発しているのは、ほのかなのだろうか。わたしがまだ出すことができない、未知の音域だ。


 曲はあっという間に終盤を迎え、最後までキラキラとしたサウンドが会場内を包み込んでいた。指揮者が棒を下ろすと、波のような拍手が部員たちに降り掛かる。音の余韻が、びりびりと肌を伝う。わたしも周りの勢いに呑まれ、自然と大きく手を叩いてしまった。


 やっとカナデの姿を横目で見ると、カナデは一瞬、じっと舞台を見つめ、それからふっと微笑んだ。安堵とも感嘆とも取れる表情のまま、静かに手を叩いている。


 続けて有名なアニメソングや、流行りのポップスの曲が演奏された。奏者も観客も一体となって、楽しげな雰囲気が会場内に満ち溢れている。その後、司会を担当する生徒が「季節外れではありますが」と前置きをした上で、次の曲が始まった。曲名「さくらのうた」。


 小さなフルート(後でカナデに聞いたところ、ピッコロという名前の楽器らしい)が、繊細なメロディーを奏でていく。それを優しく包み込むように、他の楽器が音を重ねていた。


 続けて、柔らかな音色をした一本のトランペットの音が響き渡る。音の持ち主は、ほのかだった。ほのかの持つ銀色のトランペットが、光を反射して輝いた。


 春の穏やかな空気の中で、満開の桜がひらひらと舞い散っている。静かで優しい曲調は次第に盛り上がっていき、いつしか桜の花びらは大きな渦となって観客たちを飲み込んでいく。


 温かさがありつつも、確かな輝きを持った音。この音が、ほのかの音だった。華やかで堂々とした音を奏でるカナデの音とは、明らかに対照的。


 ほのかのトランペットが、一枚の花びらのように空間に舞った。力強くはない。それでも、春の風のように柔らかく、温かく、聴く者の心にそっと降り積もる。繊細で柔らかく、優しい。


 この音色はきっと、長年カナデの音を支えるために築き上げられたものなのだろう。そう思うと、胸の奥に沈んだ鉛がずしりと重みを増した気がした。


 その後も何曲か演奏が続き、舞台は一時間ほどで幕を下ろした。圧巻の演奏で、部員たちがお辞儀をした後も、拍手は鳴り止まなかった。心地良い汗が身体を流れているようで、頬が少しだけ熱をもつ。これが、吹奏楽。


「楽しかったなら、ミナも今から吹部に入ってみたら? 技術的には全然やっていけると思うよ」


 拍手をしながら、カナデがこんなことを言い出した。冗談かと思ったが、その口元は笑っておらず、どうやら真面目に言っているようだった。


「まさか。わたしは今、カナデと吹くだけで十分」

「そう? それなら、良いんだけど」


 カナデの口元が緩む。今、カナデの瞳にはほのかではなくてわたしが映っている。そのことが、なんだか嬉しかった。確かに、色々な楽器が集まって、一つの音楽が完成する吹奏楽はとても魅力的だ。もしカナデと出会っていなくて、楽器だけ吹けていたら、入ることを選ぶのかもしれない。


 それでも今のわたしにとって、カナデに楽器を教わりながら、二人で音を奏でていくあの時間が、何よりも貴重で大切なものだった。だから、わたしはこのままカナデと一緒にいたい。  


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