定期テストが終わり、夏休みが来た。考え事で勉強に身が入らなくて、結果は平均点あたり。頑張った気もするけれど、溜息を吐いて自分を慰めた。
結果が返ってきた日、カナデに聞くと「学年一位」の結果表を見せてきた。驚いていると、「家族が勉強しろってうるさいから、仕方なく」とつまらなそうにあくびをした。授業に出ていないのに一位って、やりすぎじゃない? 東高を志望していたカナデは、やはり頭の作りがわたしとは違うのか。微妙な順位が並んだ自分の結果表を隠しつつ、少しだけ情けない気持ちになった。
こうして、夏休みが始まった。若葉と日菜子は部活があるから定期的に登校するようだが、わたしは帰宅部なので学校に行く用事はない。習い事もしていないし、遊びに行く友達は……いなくはない。でも、みんなそれぞれ予定があるかもしれないし。だから、わたしは当初、夏休みの暇を持て余す予定だったのだ。
まだ暑さも控えめな午前中、早起きをして学校の最寄駅にやって来ていた。目的地は、カナデと練習に使っているカラオケ屋。足早に進み、いつもはカナデとくぐる自動ドアを、今日は一人で抜けた。一人で来るのは初めてで、ちょっとだけ緊張している。ドアが開くと、いつもの店長ではなく若い男性店員がいた。お洒落な丸い髪型が、なんだか目立つ。
店員は慣れた手付きで受付を済ませ、部屋番号が書かれた伝票とドリンクバー用のグラスを渡す。その際に、わたしが手に持っていた楽器ケースを一瞥した。
「楽器の練習でご利用なんですね」
話しかけられると思っていなかったので、驚いて身を震わせてしまった。共学に通っているはずなのに、男の人と話す機会なんてあまり無いから余計落ち着かなくなってしまう。
「あっ、はい、ええと、自主練、で」
わたしが視線を彷徨わせていると、店員は長い前髪の向こう側に隠れた瞳を細めた。その笑顔は、相手に安心感を与える優しいもので、一瞬どきりとしてしまう。
「そっか、頑張ってね」
片手を振る店員に見送られながら、そそくさと背中を向ける。途中、ドリンクバーに立ち寄ってコップに烏龍茶をなみなみ注ぎ、その場で勢いよく飲み干した。
わたしは部屋に着くなり楽器ケースを開け、トランペットを取り出した。照明を反射する金色のトランペットは、僅かに夏の空気を帯びて温かい。カナデに教えてもらったウォーミングアップに取りかかり、楽器に身体を慣らしていく。しばらくそれを続けたのち、課題の練習曲に取り掛かる。
わたしは焦っていた。ほのかの演奏を聴いた時から、あの音色がこびり付いて離れない。ほのかの音色は、まさしくカナデを支えるために作られたものと言っても過言ではなかった。華々しい輝きを持ったカナデの音を、優しく包み込んでいくような音。素人のわたしでもわかる程に、長年の歴史をもって培われた二人の相性は完璧だった。
カナデとほのかの関係が修復された今、カナデが再びほのかを選んでしまったらどうしよう。本当は、同じくらいのレベルの人と、一緒に演奏をしていた方が楽しいのではないだろうか。
きっとカナデに尋ねても、優しく「そんなことないよ」と返されてしまうだろう。だからこそ、今できることを。追いつくことは不可能だとしても、せめてカナデに見捨てられてしまわないように。少しでも努力をしていかなければいけなかった。
焦って指がもたついて、メロディーが途切れた。湿った唇が滑って、狙った音が外れる。こんなのじゃダメだ、到底カナデには見せられない。室内は冷房が効いているはずなのに、汗が顔を伝っていた。
深呼吸をして、もう一回。余計な力を抜き、教わったことをすべて思い出す。カナデの音をイメージしながら——響け! 勢いよく狙った音は的から外れ、場違いな音が大きく鳴った。
また失敗、どうして。カナデが教えてくれたことが、出来ていない。
楽器を持つ手が汗ばんでいた。カナデのために、出来るようにならないと。そうやって焦れば焦るほど空回りして、音楽はめちゃくちゃに崩れていく。こんなことになるのなら、自分の気持ちに気付かない方が良かった。
がむしゃらに吹き続けていると、気づけば終了時刻になっていた。吹きすぎのせいか唇はひりひりと痛み、最後の方は音も鳴らなくなってしまった。全然だめだったな……。項垂れながら楽器をケースにしまいこみ、フロントへ向かう。