受付には先ほどの男性店員と店長が並んでおり、何やら雑談をしている様子だった。店長がいて、少しばかり安心する。店長もわたしに気付き、気さくに話しかけてきた。
「美奈ちゃん、練習に来てたんだね。お疲れ様。今日奏ちゃんはいないの?」
「はい、一人で練習しておこうかなと思って」
そうかあ、みんな偉いねえと店長が頷いていると、隣に立っていた男性店員が訝しんだような顔をした。
「何、この子奏の友達なんですか?」
「あれ、律くんは会うの初めてだっけ」
男性からカナデの名前が出て、心臓が跳ねる。カナデの知り合い? 彼は前髪の向こうから、撫でるようにわたしの全身を観察する。居心地が悪く、身体が硬直してしまう。
「美奈ちゃん、こちら奏ちゃんのお兄さんの律くん。で、こちらが美奈ちゃん。奏ちゃんに楽器を教わってるんだって」
わたしの気まずそうな様子に気付いたのか、店長が慌てて隣の男性を紹介する。カナデのお兄さん? そういえば、カナデは以前お兄さんがこのカラオケで深夜にバイトをしていると言っていた気がする。お兄さんは頬をかいて、困ったように笑った。
「どうも、奏の兄の松波律です。奏がお世話になってるみたいで」
「い、いえ。春日美奈です。わたしこそ、カナデにいつも助けられてて……」
ちょっとだけ声が震えてしまった。カナデのお兄さん、と聞いて変に緊張してしまう。カナデが変なやつとつるんでいると思われないように、出来るだけお行儀良くしなければ。
「律くんは大学一年生だっけ。医学部に通ってるんだよね。いつもは夜入ってくれるんだけど、夏休みだからって日中も入ってくれてるの」
「まあ、新しいギターも欲しいですし、家に防音室も欲しいんすよ。だから稼がないと」
店長とお兄さんの会話を聞きながら、余計驚く。医学部? それに、ギター。松波家の血筋は、優秀な人が多いのかな……。カナデの優れている部分に、納得してしまう。
「えーと、美奈ちゃん? 奏に楽器教わってるって言ってたけど、アイツに無理やりやらされてない? アイツ結構自分勝手で押し強いから、無理しないで迷惑だったらちゃんと言うんだよ。俺に言ってくれてもいい。ていうか、その楽器もよく見たら奏が使ってたやつじゃないか……」
お兄さんはわたしの楽器ケースを捉えたまま、頭を抱える。「アイツ、部活入ってないと思ったらそんなことやってたのかよ」と呟き、真面目な顔をして向き直った。髪の毛で隠れているけれど、きりりとした整った顔立ちは、カナデに通ずるものがあるかもしれない。
「奏の自己満足に、美奈ちゃんが無理に付き合う必要はない。美奈ちゃんは、自分のやりたいことをやって大丈夫だからね」
真っ黒な瞳に捕まってしまい、身体が動かせなくなる。お兄さんは、カナデのことを相当心配しているようだった。確かに、出会った当初のカナデは押しが強かったような気がするし、わたしが出来ないと拒み続けても、やってみなよと言い続けた。わたしに勝手に期待を押しつけて。
でも、カナデがわたしに期待をしてくれていることが嬉しかった。だって、わたしには今まで何もなかったから。
「あの、お兄さん。わたし、カナデに無理やり付き合ってるわけじゃないです。最初は強引だったかもしれないけど……カナデが居場所をくれたんです。楽器を教えてくれなかったら、何もなかった。今はカナデと吹くのが好きだから、心配しないでください」
お兄さんの真剣な瞳を反射させるように、わたしも彼に向き直った。楽器ケースを持つ手に力が入り、じんわりと汗ばんでいる。そんなわたしを見て、お兄さんはそうかあと息を吐いた。
「美奈ちゃんは良い友達なんだなあ……これからも奏のこと、よろしく頼むよ」
苦笑したついでに、お兄さんのサラサラとした髪が揺れる。カナデに面倒を見てもらっているのは、わたしの方なんだけどなあと思いながら、こちらこそなんて言ってしまう。カナデは以前、お兄さんには絶対会わせたくないと言っていたけれど、良いお兄さんだと思った。