ほのかとは、部活が午後からの日の午前中、週に二回練習することに。カナデとの練習は週一くらいだから、夏休みは週三でカラオケへ行く感じだ。初回は明後日と約束して、部活へ向かうほのかを見送った。
日が明るいうちに帰宅して、私服のままベッドにどさっと倒れる。今日は色々あったな。ほのかとこんなに距離が近くなるとは思わなくて、彼女の優しさがまぶしい分、わたしの心の狭さが目立つ。
マットレスに身体を沈めながら、カナデのことを考える。最近、暇さえあればカナデのことばかり。例えば、こんな日、カナデは何をしてるんだろう。連絡してみようかな、とゴロゴロしながらスマートフォンに手を伸ばす。家だとほんとだらしないな。絶対にカナデには見せられない。
やっと手に取ったスマートフォンの画面を見ると、カナデから不在着信が来ていた。
「……何だろ」
呼吸が浅くなって、心臓が高鳴る。カナデから電話なんて珍しい。急用? メッセージはないし、つい身体を起こして背筋を伸ばした。そのまま、カナデへ折り返しの電話を掛ける。コール音が鳴り響き、五回くらい続いて音が途切れた。
「あ、もしもし。ミナ?」
優しい声が耳を撫でる。最後に声を聞いてから一週間も経っていないはずなのに、ずいぶん久しぶりのように感じてしまう。安心感からか、じんわりと体の芯が熱くなった。
「カナデ、電話もらってたみたいで、ごめん。どうしたの?」
「いや、大したことじゃないんだけどね。今日さ、うちの兄貴に会ったんだって? バイトから帰ってくるなり、ミナの話、し出したから」
言葉を聞いて、カナデのお兄さんを思い出す。どうやらバイトは昼までだったようだ。お兄さん、カナデに何て言ったんだろう。
「ああ、うん。いつものカラオケ屋で」
「ごめんね、何か変なこと言ってなかった? 後で叱っとくから」
カナデは口調を荒くする。そんな様子が珍しくて、わたしはちょっと笑ってしまった。
「全然。お兄さん、優しくて良い人だった」
「本当に? 外面だけは良いみたいだからね、あのサブカル気触れマッシュルーム頭」
「サブカル?」
カナデは忌々しそうに言葉を吐き捨てる。どうやら、お兄さんはサブカルチャーが好きなようだ。ギターもやっていると言っていたし、重めなマッシュルームカットが似合っている。
カナデがお兄さんの文句をまくし立てていると、急にガサガサ音がして声が遠ざかる。「ちょっと!」と抗議してるのが聞こえて、その後お兄さんの声が割り込んできた。
「どうも、美奈ちゃん? サブカル気触れマッシュルーム頭です。今日はありがとう。さっきも言ったけど、美奈ちゃんはいちいち奏の我儘に付き合う必要はないんだから、無理しないでね」
「あっ、お兄さん……いえ、そんな。無理なんて全然してないので、大丈夫です」
「奏のこと、これからもよろしく頼むよ。何かあったら、いつでも言うんだよ」
お兄さんは穏やかな声でこう言って、音声は再度雑音に切り替わった。暫くして、カナデの声が戻ってくる。
「……ミナ、本当ごめん! 兄貴が勝手に部屋に入ってきて、携帯まで取り上げて、信じらんない」
遠くで、お兄さんがごめーんと軽い調子で謝罪をする声が聞こえた。喋っているカナデの声は、いつもより棘が目立っている。家でのカナデはこんな感じなのか。わたしの前では見られないその姿を想像して、また少し笑う。やっぱり、仲がいいんだなあ。
「ミナ、笑ってない?」
「いや、そういうカナデは珍しいなあと思って」
「兄貴は昔から心配性で、ちょっとシスコンが入ってて、本当うざい」
そう言ったカナデの声は、刺々しくはあったもののどこか呆れたような優しさが含まれていた。きっと、本心ではお兄さんのことを大切に思っているのだろう。お兄さんに対するカナデの態度は、どこか子供っぽく微笑ましい。
「……それでさ、兄貴に言われたのを気にしてるわけじゃないけど……ミナが今一緒に吹いてくれてるじゃん。もし私が誘って断れなくて、嫌々だったらどうしようって……最初、無理に誘っちゃったし」
いつも落ち着いているカナデの声が、だんだん小さくなって震えていく。こんな弱々しい声、初めてかも。どうやらお兄さんに言われたことを、かなり気にしているらしい。
「さっきお兄さんに言ったけど、無理してるなんて絶対ないよ。最初は戸惑ったけど……今はカナデと吹くのが好き。もっと上手くなりたいって、思ってる」
「……そっか」
小さく吐かれた声から、カナデの気持ちは読み取れない。わたしの言葉を信じて、安堵してくれていると思いたい。
「……カナデはわたしの恩人だよ」
聞こえないように、そっと呟く。あの日、カナデが誘ってくれなかったら、わたしは何もないままだった。「ん?」とカナデの声がして、何でもないよと笑ってごまかした。