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 やることもないので、ひと足先にコーヒー屋に立ち寄る。メニューを見て迷ったけれど、以前カナデが頼んでいたカフェラテを注文してみた。


 別にカナデの好みが知りたいわけじゃない、はず。ただの興味本位だ。でも、最近カナデに影響されすぎている気がして、そっと目を伏せる。やっぱりわたしは、カナデのことが好きなのだろうか。


 そんなことを考えていると少し照れてしまって、そのまま空いていた席に適当に腰掛けた。深呼吸をして身体の空気を抜き、マグカップに口を付けてみる。


「……あっつ」


 つい小声で声が漏れてしまった。熱さに痺れた舌を冷ましながら、苦味に顔をちょっと顰める。苦過ぎることはないけれど、こないだ飲んだモカマキアートの方が、飲みやすかったかも。


「美奈ちゃん、休みなのに、急にごめんね」


 カフェラテの泡を見つめていたら、頭上から柔らかな声が降ってきて、思わず顔を上げた。珍しく髪を下ろし、眼鏡をかけた日菜子と目が合う。日菜子は対面に座って、わたしの横の楽器ケースに目を止めた。「あっ」と小さく声が漏れる。


「ご、ごめんね。もしかして、松波さんと予定あった?」

「ううん。全然。自主練っていうか、今日は別の子と午前中一緒に練習してて。たまたま近くにいたから、ちょうどよかったよ」

「……そうだったの? 松波さんの他にも、楽器吹く子がいるんだ」


 日菜子がきょとんと不思議そうな顔をした。確かにわたしの狭い交友関係を考えると、カナデ以外と一緒にいる印象はないのかもしれない。


「あの、東高の、ほのかちゃん。カナデの友達の子」


 日菜子は一瞬考えるような素振りをして、ああと声を上げる。


「文化祭の時の、シンデレラの子かあ」

「うん。ていうか、日菜子ちゃんこそ大丈夫なの。蒼さんと喧嘩したって……」


 えへへ、と日菜子は力無く笑う。分厚いレンズの向こう側の瞳は、さっきまで涙に濡れていたようだった。


「喧嘩っていうか、私が勝手に怒って、突き放しちゃっただけで……こないだの文化祭の時も、蒼ちゃんが皆に優しくて、ちょっとモヤモヤしちゃって。結局あの時、蒼ちゃんに自分の気持ち、言えなかったんだよね」


「うん」


「夏休みに入って、蒼ちゃん、部活は入ってないけど運動神経良くて、助っ人で練習試合に連日駆り出されてて……すごいな、応援したいなって思うけど……忙しくて連絡も返してくれないし、会う予定もなくて……」


 日菜子はどんどん俯いていき、ふわふわの髪の毛がすっかりその顔を隠してしまう。最後の方は声も途切れ途切れになり、今にも泣いてしまいそうだった。


「……蒼ちゃん、誰にでも優しいから、仕方ないのは分かってるの。でも、どうしても……私だけを見て欲しいって、思っちゃう。駄目だよね。そんな自分も嫌で……」


 茶色がかった瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。謝罪しながら肩を揺らす日菜子に慌てて手を伸ばし、その身体を撫でる。


「……その気持ち、分かるかも」


 日菜子の身体をさすりながら、勝手に言葉が溢れてきた。胸が詰まって、なんだかわたしも泣きそうになる。切羽詰まった声に、日菜子が驚いて顔を上げた。


「わたしも……同じなの。カナデが他の子……ほのかちゃんと仲良くするのが嫌で、嫉妬して、自己嫌悪して……。でも、ほのかちゃんは良い子で、わたしとも仲良くしてくれるのに……どうしたらいいか、分からない」


「……美奈ちゃん……」


 日菜子が目を見開き、ゆっくりと微笑む。その拍子に、目尻から涙の粒が流れ落ちる。


「……美奈ちゃんもなんだね。美奈ちゃん、普段そういう話全然しないから……話してくれて、うれしい」


 日菜子は頬を染めながら、両手で涙を拭った。確かに日菜子の言うとおり、今までこんな話を、日菜子や若葉にしたことはない。興味もないと思っていたし、ちょっと恥ずかしいし、そもそも、話すまでもないと思っていたから。でも、日菜子が話をしてくれて、なぜだかわたしも伝えたくなってしまっていた。


「美奈ちゃんも、私と同じように思ってるんだ……ちょっと安心しちゃった」

「わたしも。こんなに嫉妬深いのは、自分だけかと思ってたよ」


 日菜子と顔を見合わせて、笑う。日菜子が話してくれなかったら、きっとわたしはこの気持ちを自分の中で燻らせたままだった。一人で抱え込んだまま、どんどん自分が嫌になっていただろう。それは、おそらく日菜子も同じ。日菜子とわたしは、もしかしたらどこか似ているのかもしれない。


「……おーい、お二人さん。いいとこ悪いけどさ〜、話聞こえちゃったわ」


 横からゆるい声が割り込んできて、日菜子と一緒に振り返る。隣の席で、スワークルを片手に持った若葉がニヤッと笑っていた。


「わ、若葉ちゃん⁉ いつから⁉」


 驚いて、つい大声を上げてしまう。頬がかあっと熱くなり、背中から汗が吹き出した。


「割と序盤からだよ〜。日菜子氏の恋愛相談かと思ったら……なるほどねえ〜……」


 若葉の視線が、撫でるように伝う。わたしは居心地の悪さを感じて、店内に視線を彷徨わせた。まさか若葉にも聞かれていたとは。いや、別に聞かれて困るとか、嫌だとかじゃないんだけど。


「美奈氏も、松波奏のことで悩んでたんだねー……気付いてあげられなくて、ごめんね? 今日は、日菜子氏と美奈氏の恋愛相談かあ」


「いや、わたしこそ言わなくてごめん……っていうか、日菜子ちゃんはともかく、わたし恋愛じゃないから」


 慌てて言うと、若葉が「えー」と唇を尖らせた。なんだその顔、とわたしが眉をひそめると、日菜子が息を吐き、声を出して笑いだした。わたしと若葉は顔を見合わせて、つられて笑う。笑うたび、胸のモヤモヤが軽くなっていく気がした。


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