人とは不思議な物で、危険な場所から安全な場所へ戻ってくると、そこがまるで第二の故郷のように愛しく思えてしまうのだ。この小さな酒場に足を踏み入れた時に感じた安心感は、今まで感じた事のないほど大きな物だった。
それだけダンジョンの中で緊張していたということだろうか。
思えばアーシェと共に冒険をしてきたため、こうして初対面の相手とダンジョンに潜るのは初めての経験だ。
それが無意識の内に緊張として出ていたのかもしれない。
くたびれてダンジョンから帰った俺達を迎え入れたのは、窓口の中で大きく手を振っているパティアだった。
「おふたりとも、お帰りなさい! 進捗はいかがでしたか?」
「あぁ、一階層の守護者は倒すことができたよ。 かなり順調だ」
流石にスナーク・ソルジャーの頭を酒場には持ち込んではいない。
外に設営されている換金所に魔石と共に納入してきていた。
だがパティア俺の報告を聞くと、証拠がないにも関わらず飛び跳ねて喜んでくれていた。
それだけ信頼されているという事だろう。成果を残せてよかったと心の中で安堵する。
「すごいです! おふたりをこの村に呼んで正解でした!」
「そうであろう、そうであろう。 我輩とファルクスであれば、次の階層もすぐさま攻略してみせよう」
「あのバルロも守護者に手間取っていたのに、おふたりは本当に強いんですね!」
「バルロが、あの守護者に手間取ってたのか?」
「そうですよ。 毎回、手前まで進んで戻ってくるんです。 今日もきっと、そうなると思っていました。 ですが! おふたりが! あの守護者を! 倒してくれたんです!!」
ビャクヤとパティアが盛り上がっているが、流石に聞き流すことはできなかった。
ビャクヤが冒険者としての階級を無視した強さを誇っていたため、今回は圧勝という形に収まった。
だがスナーク・ソルジャーは通常に戦ってもシルバー級の冒険者が手間取る要素はない。
特に攻撃系の魔導士が仲間にいるハーケインが苦戦を強いられる相手ではないのだ。
それなのにバルロ達はなぜ守護者を前にして村へ戻っていったのか。
考え込む俺の顔を、ビャクヤが覗き込んできた。
「明日にでも二階層へと進みたいのだが、どう思う?」
「そう、だな。 村の被害を考えても、早く次の階層へ進むべきだろう」
「そんなおふたりに朗報です! ダンジョンの攻略に応じて、村長から報奨金が出ることになってるんです!」
窓口の奥から袋を取り出したパティアから、それを受け取る。
これがあれば、今日使ったアイテムの補充や、装備のメンテナンスも行える。
アイアン級に降格した俺にとっては初めての報酬に、ありがたみが身に染みた。
「そりゃありがたい。 大切に使わせてもらうよ。 なぁ、ビャクヤ」
薙刀を酷使していたビャクヤも、装備の修理が必要なはずだ。
だが振り返った先に、ビャクヤはいなかった。
見回してみれば、酒場担当の給仕係を捕まえて、受け取ったばかりの報酬を押し付けている所だった。
◆
給仕係の少女がせわしなく行き来を繰り返し、次々と料理がテーブルの上に並べられていく。
しかしそれらがテーブルを埋め尽くすことはない。運ばれてくる内に、前の料理が空になっているからだ。
届けられた料理は瞬く間の内にビャクヤの胃袋の中に消えうせて、皿が見上げるほどに積み重なっていく。
もはや給仕係に申し訳なくなってくる一方で、目の前のビャクヤにも驚愕を隠せずにいた。
すでに十人前は軽く平らげている。というのに、彼女の勢いは衰え知らずだった。
ビャクヤは鬼の特徴である角を除けば、見た目は完全に小柄で可憐な少女に変わりない。
その体のどこに膨大な量の料理が収まっているのか。まさか魔法か。鬼に伝わる秘術なのか。
そんな馬鹿な事を考えてしまうほどに、ビャクヤは延々と暴食を続けていた。
「食べ過ぎ、じゃないか?」
不安になって聞いてみる。
彼女がではない。
この酒場の食べ物が無くなってしまわないかだ。
ビャクヤは俺の問いかけに、食事の合間の一瞬のスキを突いて、答えた。
「戦の後はよく食べ、よく飲み、よく寝る。 我輩たち鬼の常識だ」
そういうと、酒の瓶をあおり、一気に飲み干す。
これだけで今日の報酬の半分近くが消えるのではないか。
少しばかり心配になりながら、周囲を見渡す。
そこでとある違和感を覚えた。
「そういえば、バルロ達の姿を見ないな。 俺達よりも先に戻ったはずだが、どこにいるんだ?」
「連中の話などやめろ。 せっかくの食事が不味くなる」
不機嫌そうにビャクヤは肉についていた骨をかみ砕く。
確実に、食べれる骨ではなかったが、それはそっと目を逸らすことで見なかったことにする。
問題なのは、姿を消したバルロ達だ。
あのダンジョンでバルロ達が全滅するとは思えない。
万一のことがあっても、生き残りが戻ってくるはずだ。
忙しそうに駆け回る給仕係と白髪の大食らい以外は静かな酒場に、不安が掻き立てられる。
「なにもなければ、いいんだけどな」
結局、俺達が食事を取り終わるまでにバルロ達は戻ってこなかった。
パティアに聞いても、バルロ達が日を跨いでダンジョンに潜ることは今まで一度もなかったという。夜の方が魔物が強くなる傾向があるが、それを恐れたというより、そこまで勤勉に働いてはいないという事か。
気になる部分はあったが、未知のダンジョンへもぐった初日ということもあり、疲労は限界に近づいていた。
村にある小さな宿泊施設へと足を運び、個室を取った後は、倒れる世に眠りに落ちてしまった。
意識を失う間際、今日ばかりはあの夢を見なくて済むと思っていた。
あのパーティを追い出される瞬間が、繰り返される悪夢を。
意外なことに、それは現実となった。
馬車の中で延々とうなされていた悪夢を見ることはなかったのだ。
だが、それも当然だ。
俺の眠りは、甲高い悲鳴によって遮られたのだから。