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第2話 白雪姫の姉ですがおやつを盗まれました

 モンストラン公爵家の城に、ほのかに甘い香りが漂っていた。


「奥様ってば、またお菓子を作られたんですね!」


「あのパイ、とっても美味しかったなあ。あんな美味しいもの、ここで食べられるなんて思わなかった!」


「それに、あのパイを食べたら一日の疲れがスーッと取れて、お肌の調子も何だか良くなったわ!」


 使用人たちの間で、最近密かに話題になっていることがあった。


 それは、公爵夫人アップルが作るスイーツ。


 モンストラン公爵家の食事は、もともと「パンとチーズと薄味スープ」が基本。節約志向というより、単に公爵ジョンが無関心すぎて「食事なんか適当でいい」というスタンスだからだった。だからこそ、アップルの作ったパイが、城内にとってはまるで天からの恵みのように思えたのだ。


「……なんで私、パティシエやってんだろう?」


 アップルはキッチンの片隅で、ため息をつきながらリンゴの皮をむいていた。


「王妃の娘で、公爵夫人になったはずなんだけどなぁ……」


 文句を言いつつも、手は止まらない。むしろ楽しそうにさえ見える。


「まあ……みんなが喜んでくれるなら、それはそれで悪くないけど」


 アップルは剥いたリンゴを薄切りにして、きれいにボウルに並べながら、小さく微笑んだ。


「さて、今日はリンゴのタルトね」


 薬草を練り込んだタルト生地を丁寧に伸ばし、型に敷き詰める。その上にスライスしたリンゴを美しく並べ、シナモンと砂糖を軽く振りかける。


「ふふふ……これなら文句なしね」


 アップルはオーブンにタルトを入れ、静かに微笑んだ。やがて焼き上がると、彼女はメイドたちを呼びに、厨房を出て行った。


「ほう、これはこれは……」


 アップルと入れ替わりに、料理長が厨房に入ってきて、焼き上がったタルトを見つめた。


「また奥様か」


 料理長は、アップルのスイーツ作りをあまり快く思っていなかった。


「仮にも公爵夫人が厨房で菓子作りだなどと、品位に関わる……!」


 そう言いながらも、彼の目はタルトに釘付けだった。


「いや……これは、毒味しなくてはな。品質管理の一環だ」


 誰に言い訳しているのか、独り言を言いながら、料理長はそっとタルトに手を伸ばした。


「一切れだけ。一切れだけだ」


 一口かじった瞬間、口の中で、リンゴの甘酸っぱさとシナモンの香りが広がった。タルト生地はサクサクで、絶妙なバターのコクが後を引く。


「な、なんじゃこりゃ……!」


 料理長の目が見開かれた。


「うまい……!」


 思わず声が漏れた。


「バカな。こんなうまいタルトが、あんな偽プリンセスの小娘に作れるはずがない!」


 悪態をつきながらも、料理長の手は止まらなかった。


「いや、もう一口だ……いや、もうちょっと食べてみなくては分からん……」


 気づけば、タルトは半分ほど消えていた。


「ヤバい……!」


 料理長は周囲を見渡し、誰もいないことを確認した。


「いっそ、全部処分してしまおう。こういう時は、証拠を残さないほうがいいんだ」


 料理長は、自分の腹の中にタルトを全て「処分」して、独り占めしてしまう決意を固めた。


 ところが、最後の一切れに手を伸ばそうとした時――


「……ん? この匂いは……」


 甘い香りに誘われて、キッチンに現れた人影があった。公爵ジョン・モンストランだった。


 金髪碧眼、怠け者の公爵様。


 いつものごとく、気だるそうな顔をしていたが、どこかソワソワしている。


「料理長、この匂いはなんだ……?」


「ひぃっ!?」


 料理長は皿を隠そうとしたが、ジョンの視線はすでにタルトに釘付けだった。


「……それ、何だ?」


「え、ええっと、これは……」


「一つもらうぞ」


 ジョンは料理長の説明を待たず、残ったタルトを一切れつまみ上げた。興味深そうにじっと見つめた後、ゆっくりと口に運ぶ。


「……!」


 目の前の世界が変わった。


「んっ⁉ なんか……うまくね?」


 ジョンは驚きのあまり、思わず少年のころのような快活な口調で、素直な感想を声に出した。


「え、ええっと……」


 料理長は冷や汗をかきながら、ジョンの顔色をうかがう。


「おい、料理長」


「は、はい!」


 ジョンは、腕を組みながら言った。


「このタルト、明日も作れ」


「え?」


「必ずだぞ」


 ジョンは真剣な目で料理長に命じた。


「いや、しかし……」


「いいから明日の午後、部屋に持って来い」


 ジョンはそう言い残し、満足げに立ち去った。


「全部、食べちゃった……」


 料理長は空っぽの皿を見つめながら、絶望的な表情を浮かべた。こんな上質なタルトは、彼には作れない。


 その直後。


「さあみんな、今日のおやつはリンゴのタルトよ!」


 アップルがメイドたちを引き連れ、厨房に戻ってきた。


「あーっ!」


 タルトがなくなっているのに気づいたアップルの目が、驚きとショックで見開かれた。


「私のリンゴタルト、食べちゃったんですか⁉」


「え、えっと……」


 料理長は目をそらした。アップルの冷たい視線が突き刺さる。


「こ、これは……」


 料理長は咳払いをすると、意を決して口を開いた。


「公爵様が、最後の一切れまで召し上がってしまわれたのです!」


 よし、嘘は言ってない。


「ジョンが?」


 アップルは驚いた。


「ええ、ええ。そうですとも!」


 料理長は急に自信満々になり、まるで自分が悪くないと言わんばかりに胸を張った。


「公爵様が、どうしても味見したいとおっしゃいまして。そして、『明日もこれを作れ』とご命令を」


「そうなの?」


 アップルの目がまん丸になった。


「そうですよ」


 料理長は大げさにうなづいた。


「公爵様が、食べ物であんなに感動なさったのは、初めて拝見しました!」


「へえ……」


 アップルはあっけに取られて、ポカンと口を開けた。


(ジョンが、私のタルトに感動?)


 しかし次の瞬間、アップルは心の中で、ガッツポーズを決めていた。


(やったね!)


 アップルは、内心に溢れる喜びでニヤつきたくなる表情を抑えながら、努めて上品さを保ち、軽くため息をついた。


「じゃあ、また作らなくてはいけないのですね……」


「はい。そういうわけで、明日もよろしく頼みますよ、奥様!」


 料理長は、妙に上から目線で、アップルに告げた。


「ええ、分かりました」


 アップルは微笑みながら答える。これでどうにか自分もこの家で、「悪役新妻」ポジションから、「料理長公認のパティシエ」には、昇格できたようだ。


 それに、自分のスイーツで、ジョンが人生のむなしさから少しでも気を紛らわせられるのなら、決して悪い気分はしない。


(待ってなさいよ、ジョン)


 甘い香りの向こうにアップルは、ほんの少しだけ、未来への希望を感じていた。



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