王都手前のオステル川で、サニー王妃に橋を落とされた革命軍は、足止めを食らっていた。
「姫君、サムライたち、ちょっとこれを見てくれ」
先ほど溺れて救助されたばかりのハンターは、一息ついて起き上がった。そして焚き火にあたりながら地面に座り込むと、岸辺の砂で、山を作り始めた。
「なんだ? 俺様と、砂場遊びをしようってのか⁉ 馬鹿にすると叩き斬るぜ! その砂山を」
「子供だと思って、ナメてもらっては困るでござるよ、軍師殿……」
「そうじゃない、よく見ろ」
ハンターは山を台形にならし、地面に杖ですばやく溝を堀り、その横に巧みな手つきで簡易な砂の城まで作ってみせた。
「この溝に、水を入れてくれないか」
「やっぱり、砂遊びやないかい! それくらいで何をドヤってんねん……ワイかて、もっとすごいもん作れんねんで……」
キョースケがぶつぶつ言いながら川の水を汲んできて溝に流し込むと、ハンターは解説を始めた。
「この城が王都。この水の入った溝が、オステル川だ。ここに
ハンターは堤防の一角を、人差し指でチョンと崩した。溝から流れ出した水がたちまち砂の城へと押し寄せ、城を崩す。
「これって、まさか、水攻め……」
スノーホワイトは驚きの声を上げた。ハンターはうなずく。
「そうだ。橋をただ架けるだけでは面白くない。我々は川の流れを堰止めて、悠々と渡河するのだ。そして王都の左右を堤防で囲んでから、貯めた水を決壊させる」
「王都を……水没させるの?」
「水の怨みは、水で返す」
ハンターは冷たく言い放った。スノーホワイトの顔に、不安の色が浮かぶ。
「でも、そのやり方では、時間が……」
前回の復活から既に、かなりの日数が経過した。彼女の肉体はとっくに死んでいる。そして、サニーの魔力とスノーホワイト自身の氷魔法で、腐敗の進行速度が通常の十分の一以下に抑えられているとはいえ、そろそろ限界も近い。スノーホワイトは、日に日に迫る肉体の破滅を恐れ、焦っていた。
「分かっている。あのとき、唇がとても冷たかった……」
ハンターが、ポツリとつぶやく。
「えっ、気づいてたの……?」
顔色は青白いままだったが、スノーホワイトは恥ずかしそうに目をふせた。
「工事は、急がせよう。五日もあれば充分だ。こっちには、数万人の農民兵がいる」
スノーホワイトの本隊に追いついてきた農民兵たちは、サムライたちの指揮の下、昼夜を問わず土木工事に従事した。
完成した堰の上を駆け、対岸の王妃軍守備隊を蹴散らした彼らは、土嚢と石材・木材を人海戦術で積み上げていく。全長数キロに及ぶ堤防が、王都を左右から囲むように突貫工事で建設された。
そのころ、ようやくモンストラン公爵軍も、オステル川の川辺へたどり着いた。
「な、なんだこれは……! 要塞でも作るつもりか?」
ジョンは仰天し、堤防のあまりの巨大さに目を見張った。
「これが、民衆のパワーなのね……」
アップルもまた、その光景に圧倒されていた。
ジョンとアップルは、スノーホワイトの本営を訪ねた。ハンターを加え、四人による軍議が開かれる。
「すると、あの堤防は、水攻めに使うつもりなのか? あまりにも非情だ。王都近郊の畑は、間違いなく全滅。飢餓が起きるぞ。王都の市民も、数多く犠牲になる……」
ジョンは反対意見を述べたが、ハンターは首を横に振った。
「明日には完成だ。ただちに決壊させる。計算では、王宮もこれで水没するはずだ。王都にはまだ、六万の王妃軍精鋭が立てこもっている。力攻めでは、もっと犠牲が出るだろう。とにかく、王妃を討たねば終わらんのだ」
ジョンは苦悩の表情を浮かべながらも、ハンターを超える軍略が思いつかず、それ以上言い返すことはできなかった。
一方、同席したアップルは、体調の悪そうなスノーホワイトを、ひたすら見つめ、彼女の黒髪を心配そうに撫で付けた。
「スノーホワイト、すごく顔色が悪いよ。リンゴのハーブティー持ってきたから、飲んで」
アップルは、持参したティーセットから熱いハーブティーを注いで、スノーホワイトに勧める。
「ありがとう、お姉様」
スノーホワイトは、氷のかけらを魔法で手のひらから数個出すと、アップルが淹れたハーブティーへ浮かべた。氷のぶつかり合う音が、ティーカップの中でカラカラと鳴る。
「アイスティーにしちゃうね。これも、お姉様の薬草ブレンド? でも、リンゴの甘い香りがいっぱいで、薬草臭くない。すごく、気持ちがスーッと落ち着く味ね」
スノーホワイトは、アイスハーブティーをクイッと飲み干した。その顔は穏やかな笑みを浮かべていたが、手元の震えを隠し切れてはいなかった。
軍議を終えたアップルは、野営地に戻る途中、強行軍と突貫工事で疲弊しきった農民兵たちの姿を見て、決意を固めた。
「明日はいよいよ、決戦だそうよ。食糧の出し惜しみは無用。農民兵たちが疲れ切ってる。彼らにも食事を分けたいと思うの」
「よくぞおっしゃって下さいました、奥様」
料理長が目を輝かせる。
「実は、さっきも農民兵たちが、我々の調理の匂いを嗅ぎつけて、食べ物を分けてほしいと訪ねて来たのです。かなり、食糧事情が悪いようだ。とっておきの塩漬け豚肉が、馬車十台分残ってます。今夜はそれで、みんなをガッツリ食わせましょう」
「いいですね。それじゃあ私は、付け合わせのソースを考えます!」
「俺も、一緒にやらせてもらおう」
「あれ、ジョン……?」
「俺も料理仲間だからな」
ジョン公爵が、赤いエプロンを付けてそこに立っていた。
「俺を誰だと思っている? 武勲の誉れ高き、モンストラン家の当主だぞ。軍人貴族として、遠征時に自炊するくらいの技術は、ちゃんと心得ている」
「ほほう、公爵様、それは実に心強い!」
料理長が無邪気に弾んだ声を上げると、ジョンはギロリと料理長を睨みつけた。アップルがクスクス笑いながら、ジョンに指示する。
「じゃあ……ジョンはスープ担当ね。いつもと違って具だくさんにしたいの。野菜洗って、切って……」
「任せろ!」
三人の指揮のもと、炊事兵たちが班ごとに分かれて調理を開始した。脂の乗った豚肉がこんがりと焼かれ、野菜がトロトロになるまで煮込まれる。アップルが腕によりをかけて味付けを施す香りが、野営地へと広がっていく。
「ポークジンジャー、完成!」
「リンゴソースを添えてあります!」
料理長の豚肉生姜焼きに、リンゴと玉ねぎとハーブを白ワインや砂糖などで煮たアップルの特製リンゴソースが添えられた。
「薬膳野菜スープ、完成だ!」
「すりおろしリンゴを使ってみました!」
ジョンが炊事兵たちと共に、刻んでトロトロに煮込んだ野菜。これにアップルが、すりおろしリンゴと牛乳・バターなどを加えて味を整えた結果、滋養豊かで食べごたえのあるスープが出来上がった。
「この香り、この脂の輝き……まさに、
「せやなゲンシュウ。ワイら、肉なんて久しぶりやもんなー。リンゴソースが、豚肉にめっちゃ
「おい、肉ばかり食うな。野菜スープをもっと飲め。夫婦の共同作業で仕上げた、至高の一品だぞ」
ジョンが、料理長に勝手な対抗心を燃やして、自分の野菜スープをゴリ推しする。
「公爵様。吾輩は、このスープに心底感服致しました……甘いリンゴ風味のスープとは、まさに料理界の闇討ち、不意討ち……おいミョウガ、お前も、またスープおかわりだな? もう何杯食った?」
「何杯か、忘れたぁ……とにかく、飲むと元気が湧いてくるんだよね、これ……」
少年サムライたちが舌鼓を打ち、農民兵たちにも活力と笑顔が戻り始める。その日の夕食は、公爵軍・革命軍が共に食事を囲み、杯を汲み交わす、楽しい宴となった。
しかしそれは、来たるべき決戦の前の、束の間の安らぎでしかないことを、その場にいる誰もが理解していたのだった。