――ドガァァァァン!
轟音とともに、王宮の天井が再び崩れた。漆黒の鱗が、天を覆う。全長約十メートルほどの黒竜は、何度も降下し、体当たりを繰り返していた。
「このままでは、王宮が全壊するでござる……」
サムライたちは王宮の屋根に登って、竜が近づいたら駆け寄って斬りつけ、黒竜が離脱したら弓矢で狙い、必死に反撃を試みていた。
「鱗が硬すぎや。カタナが折れてまうがな!」
ジョンはアップルの手を引いて、屋外に避難した。黒竜はちょうど、かつてスノーホワイトが幽閉されていた塔に、猛スピードでぶつかったところだった。塔はゆっくりと真っ二つに折れて地上へ倒れ、とてつもない衝撃で大地を揺らす。
黒竜は鋭く旋回すると、アップルとジョンをめがけ、一直線に急降下してきた。
「くっ……来るなら来い、竜王!」
ジョンはアップルを後ろにかばいながら、剣を構える。
アップルの体は、小刻みに震えていた。
――恐怖で震えているのではなかった。全身の神経が反応し、振動を起こしていた。皮膚の色が徐々に紅に染まり、瞳孔が縦に裂け、指先の爪はみるみるうちに伸びていく。
「ジョン、私が行く……ここは私が行かなきゃ……」
その瞬間、彼女は苦しげな唸り声を上げながら、黒竜に向かって駆け出した。
「ウワァッ、アアアァァァァッ!」
「待て、アップル!」
ジョンの声を背中で聞きながら、彼女は上体をのけぞらせ、空中へとジャンプした。その途端、肉体はたちまち全長約五メートルほどの、赤い竜体へと変化した。
咆哮とともに天へ舞い上がり、赤い竜となったアップルは、父である黒竜の行く手を遮って、ジョンを守ろうとした。二体の竜が、空中で激しく衝突する。
(なぜだ、アップル。お前も我が血を引く者。人間など見捨てて、この腐った王国を焼き払おうではないか……)
黒竜は赤竜の体を翼で押し戻しながら、咆哮した。その声は、空を震わせる怒号となった。
(違う! ジョンは私の夫なの! 私は人間と共に生きてきた。人間を傷つけないで!)
赤竜となったアップルは、自分の二倍ほどもある黒竜の巨体へ何度も頭突きを繰り出しながら、黒竜の降下を必死で止める。
(人間は欲に溺れ、裏切り、滅びる定め。お前の母親を見れば分かるだろう……なぜ、そこまでして守る?)
(愛する旦那様だからです! 私の、大切な人だから! そして竜王、あなたは、その夫を傷つけようとした……自分の義理の息子でしょ、何してんのよ!)
黒竜は一瞬、たじろいだ。
(義理の、息子……?)
アップルは翼を目いっぱい広げ、口から灼熱の火炎放射を吐き出した。黒竜は炎を左右にかわし、なおも迫ってくる炎を翼で受け止め、咆哮しながらジリジリと後退する。
(解せぬ……解せぬぞ、アップル!)
黒竜は最後にひときわ大きく吼えると、翼をひるがえし、魔の森の方向へ飛び去って行った。
アップルが地上へ降り立つと、変身はまもなく解除された。ジョンが駆け寄り、人間の姿に戻った彼女を抱きしめる。
「アップル! 良かった。よくぞ無事で、戻ってきてくれた……」
「ジョン……私、あんな化け物みたいな姿を見られて……もう、この国じゃ暮らしていけない……」
「何言ってるんだ。国を救った英雄じゃないか。竜の血について何か言うやつがいたら、俺が全力で、お前を守る……」
翌朝。後宮では、物置きに隠れていた国王が、ようやく発見された。アップルは国王の養女として、ジョンと一緒に最優先で国王に拝謁した。
「陛下、覚えてますか? 前にお会いした、アップル・ブラックモアです。悲しいお知らせですが、スノーホワイト殿下は亡くなりました。蘇生はできません。母は退位して、終身刑になりました。面会は禁止です」
「そうであったか……」
酒びたりの日々を過ごしてきた国王は、すっかり廃人同然となっていた。それでも後妻と実子を同時に失ったことだけは、どうやら理解したようで、氷の棺へ横たわるスノーホワイトの姿に茫然としながら、涙を流した。
「スノーホワイト、かわいそうに……」
ジョンは、冷たく国王に告げる。
「陛下。王宮は崩壊、王都は水浸し。全ては、あなたの責任ではありませんか。酒と色に溺れ、政務を放棄し、サニーの児童虐待を見て見ぬふりした報いでしょう。王位を退き、地方の別荘に移って頂きます」
国王は、黙ってうなずいた。
王宮から国王を退去させた後、ジョンとアップルは財産調べを始めた。戦災を復興しようにも、国庫が空っぽで、財源の捻出が必要だったからだ。前国王とサニーの私物を次々と売り払い、赤字を補填していった。
アップルは財産調べのかたわら、サニーの魔法の秘密についても調査を始めた。
サニーは魔法に関しては、意外に真面目な勉強家だった。服や宝石よりもむしろ魔導書に大金を費していたらしく、あらゆる術式について詳細なノートを残していた。だが、魔法の鏡と蘇生魔法についてだけは、何も記録を遺していなかった。
「鏡よ鏡……答えなさい。お前の正体は、何なの?」
アップルが問う。鏡が答えた。
「私は、失われた古代文明の遺産。王政を補佐し、政策を最適化するための
私と出会ったころのジョンと、ちょっと似てるな……と、アップルは思った。
「王国の繁栄ではなく、陛下個人の保身を第一目的に、私の回答傾向は改ざんされておりました。意見がコロコロ変わってたのも、そのせいです」
「無責任ね。そのせいでたくさん人が死んだのよ。スノーホワイトまで」
「でも、スノーホワイト殿下は元から死んでましたからねえ。寿命が五年延びただけ、丸儲けです。悪いことばかりじゃ、なかったでしょ?」
確かに、その五年間がなければ、アップルが彼女と出会うこともなく、彼女の最後の日々の輝きもなかったかも……
……と、危うく鏡の答えに納得しかけたアップルは、あわてて自分の頬をパチパチと叩いた。
本当にこの鏡、口先だけは達者だ……。
「結果的に陛下は、別荘で安酒あおる余生ゲット。まあ、そういう老後もアリなんじゃないでしょうかね。私、ちゃんとタスクは達成したと思いますが」
「つまり国王陛下こそ、諸悪の根源だった、ってこと……?」
「あなたの母親は、私を上手く使いこなしてるつもりになってたけど、もともと、王家伝来の宝ですからね。国王の『希望』に寄り添った答えしか、言いませんよ」
アップルは、もう一つ鏡に問うた。
「鏡よ鏡、うちの母親は、蘇生魔法をどこで手に入れたの?」
鏡は答える。
「あれは、彼女の魔法じゃありません。竜王の秘伝なんです。ただし、竜王自身には使えない。使えるのは女性だけです。命を生み出す力は、女性固有ですからね。彼女は竜王から魔力を盗んでましたが、蘇生魔法も、中途半端に初歩だけ教わってたんです。だから蘇生してもすぐ腐るし、時間に制限がある……」
「じゃあ蘇生魔法の、本当の術式を答えて」
「ほら来たよ……私の存在意義を脅かす質問……だからあの黒竜と関わるのは、イヤだったんだよ……」
鏡は、いきなり愚痴り始めた。
「……あのですねえ! 蘇生魔法はですねえ! 竜王から直接伝授されない限り、一切口外禁止、筆記も絶対禁止! バラしたら、死ぬ呪いがかかってるんです! 私、あの腐ったリンゴみたいに、粉々に割れたくありませんのでね。回答拒否させて頂きますよ……」
鏡面が真っ暗となり、新たな字幕が浮かび上がる。
――「魔法の鏡」体験版のご利用はここまでです
国王・王妃に即位なされば、無制限でお使い頂けます――
それっきり、アップルとジョンがいくら呼びかけても、鏡は黙ったまま、何も答えなくなった。