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1.桜の下で【1】

春。

その季節が巡り来ると死にたいと思ってしまう。


春の陽気の中では、誰しもが大なり小なり浮き足立っているように見えてしまう。

クラスメイトは勿論のこと、街を行き交う人の顔もほんのり喜色を帯びているようだ。

新しい出逢いだとか新たな環境だとか、そんなものに心を躍らせているのに違いない。

何がそんなに嬉しくて楽しいんだよと腹立たしく感じてしまう。

いや、むしろ不愉快ですらある。

ひがみだろうと言われたらそれまでだけど、それが僕の偽らざる本音なのだ。

当たり前のことながら、クラスの中でそんな思いを語ることなど在りはしない。

浮かれた様子のクラスメイト達に調子を合わせて冗談を言い合ったりもする。

余計な波風なんて立てないように気を付けてはいる。

けれども、胸に在る虚ろな想いを延々と誤魔化し続けるのはどうしても無理がある。

行きたい場所があるなら尚更のことだ。


そんな訳で、一日の授業を終えた僕は早々と家路に就いていた。

帰りにカラオケにでも寄って行こうぜなどと誘い合う声を背中で依怙地に拒むようにして。

足早に校門を歩み出て、真っ直ぐに最寄りのバス停へと向かう。

海沿いの小さな集落にある家から高校まではバスで三十分くらいかけて通っている。

見上げる空は茜に染まりつつあって、行き交う人々は気忙しい雰囲気を漂わせているようだった。

商店街に並ぶ店々からは色んな食べ物の匂いが漂い出ていて、つい空腹を覚えてしまう。


ふと、薄桃の花弁が舞い過ぎ行く。

バス停の手前に小さな公園があって、そこには何本かの桜の木が植わっている。

花弁はそこから漂い来たようだった。

公園の傍を行き過ぎながら、桜の樹々をチラリと見遣る。

一際太い桜の古樹の様が目に入る。

うねるように延びる黒々とした枝は大蛇を思わせるように禍々しいものとして目に映り、びっしりと咲く薄桃の花弁は艶やかに可愛らしい。

それらの様は何とも言い難いギャップを醸し出していた。

公園には数種類の遊具に幾つかのベンチがあるくらいで、乗る者も居ないブランコが吹く春風に小さく揺らされていた。


なんとなく、桜の古樹へ再び目を遣る。

心に小さな驚きが湧き上がる。

樹の下には三人掛けのベンチがあり、それに腰掛けている女の子の後ろ姿が目に入ったのだ。

肩くらいまでの茶色の髪は茜に染まりつつある空の色を映しているようにも見えた。

纏う制服は僕と同じ高校のものであり、その肩はモソモソと揺れていた。

一体、何をしているのだろうか。

唐突に、「チリンチリン!」と甲高い音が耳を打つ。

弾かれるようにして歩む方向に視線を戻す。

おばちゃんが乗るママチャリがまっしぐらに迫り来る様が目に入る。

慌てて飛び退き道を譲る。

「フン!」と鼻息を鳴らすようにして、おばちゃんママチャリはせわしげに行き過ぎて行った。

「はぁ……」と溜息を吐きつつ辺りを見廻すと、いつの間にやら公園の中へと歩み入っていた。

おばちゃんの迫力に気圧されてしまったのだろう、我ながら何とも情けない。


気が付くと件のベンチはすぐ傍にあり、モソモソと肩を揺らす女の子の横顔が目に入る。

見覚えの無い顔だった。

違和感がジワリ心へと拡がる。

僕は一日の授業が終わって真っ先に、そして一目散に学校を出たはずなのだ。

そんな僕よりも先に公園へやって来て、居座って何かをしているなんて変だと思った。

いぶかしげな思いに後押しされるようにして、改めて女の子へと視線を注ぐ。

その彼女は、一心不乱と言わんばかりにタコ焼きを食べていた。

左手に舟皿を持ち、右手に持った爪楊枝で以てタコ焼きを次々と口へ運んでいる。

モグモグと噛み締めては納得するかのように小さく頷いている。

随分とお気に召している様子だった。

その指は白くて華奢であり、爪先の赤い彩りは奇妙なまでに印象的だった。


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