ホットドッグを平らげられるのを見届けた紀野さんは、またもビニール袋をガサガサさせ、何かを納めた茶色の紙袋をヒョイと取り出す。
その紙袋から取りだしたものを、「ほら!」と言いながら僕へと差し出す。
手のひらの半分ほどのそれは、今川焼きとか大判焼きとか、その名称を巡る諍いが絶えない餡子入りの代物だった。
なお、僕は今川焼き派だ。
「あ……、ありがとう」とお礼を告げてから、受け取った今川焼きへと
餡子の甘さと生地のモチモチ感は何とも懐かしいものとして感じられた。
紀野さんも今川焼きをムシャムシャと平らげる。
嬉しげに、そして勢い良く。
僕が渡された今川焼きを食べ終える間に、三つほども平らげていたのではないだろうか。
中身が無くなったと思しき紙袋を畳んで仕舞った彼女は、僕の左の掌をガシッと掴む。
「え?」と、驚きの言葉が口から飛び出す。
鼓動がドクドクと高鳴り始める。
からかっているのかと思って彼女をチラリと見遣ったものの、その表情はホットドッグを突き付けた時から何も変わらなかった。
改めて紀野さんの様をまじまじと見遣る。
明るい茶色の髪の毛、緩めの襟元、真っ赤なネイル、際どいまでに短いスカートに長めのルーズソックスと、彼女の様は『ギャル』と呼ぶに相応しいものだった。
格好の割には幼げな顔立ちであって、際立って大きな目は鮮烈な印象を放っていた。
僕は思わず目を逸らしてしまう。
頬が熱を帯びつつあったようで、その様を見られたくないと思ったのだ。
「桜ってさぁ、素敵だよね!」と、弾むような声が響き来る。
黙ったままで頷いた僕は、枝を広げる桜樹を仰ぎ見る。
緩やかに吹き来る微風は白の花弁をふんわりと散らしていた。
茜の色を帯びた空を白い花弁が舞う様は、見惚れるほどに艶やかだった。
「まさに春って感じだし、もうアホかってくらいに綺麗だし。
こうして桜を見てるとね、何だか食欲が湧いて来ちゃうの」と、愉しげに語る紀野さん。
掴まれた掌から熱が伝わり来るようで、ジワリ汗ばみつつあるように思えてしまった。
彼女はそっと身体を寄せて来る。
太もも同士が密着し、鼓動は一段と速さを増す。
僕にその顔を近付けた紀野さんはフンフンと鼻を鳴らす。
それは、何かを嗅ぎ取ろうとしているようだった。
「あのさぁ……」
熱や湿りを帯びた吐息と共に、やや気怠げな声音が
「え……?」と、間の抜けた声が口から漏れて出る。
一体、何の話をしようとしているのだろう。
期待あるいは熱情が心の中にてグンと存在感を増す。
けれども。
彼女の口から出た囁きは、僕の興奮に水を差すものだった。
「望月くんが夜に逢ってるお友達なんだけどさぁ。
あの子には、気を付けたほうがいいよ」
ゾワリ、と冷え冷えたる思いが心に拡がり行く。
どうして紀野さんは、あの『友達』のことを知っているのだろうか。
紀野さんはおろか、クラスでは誰にも話したことなど無かったのに。
気が付くと、木野さんの右の手が差し伸ばされつつあった。
その手は僕の左の頬へと触れる。
白い指が頬を這い、その指先が右耳の後ろへ延ばされる。
「これさぁ、目印だから」
彼女はそう囁く。
右耳の後ろが微かに痺れたように思えた。
唐突に戦慄を抱く。
今、僕の頬に触れている紀野さんの掌。
その指は白くて華奢な筈だった。
けれども。
異様なまでに大きく、そして黒々としたもののように感じられてしまったのだ。
それはまるで、僕の頭を鷲掴みにしてから易々と握り潰せそうなほどに。
気が付くと、僕はベンチから立ち上がっていた。
頬に触れていた彼女の手を払い除けて。
僕をじっと見据える紀野さんの瞳は
風がブワリを吹き抜ける。
それは存外に冷ややかであって思わず身震いしてしまう。
視界の端をバスが
僕が乗る予定のバスだ。
このバスを逃してしまうと一時間は待たなくてはならないのだ。
狼狽しつつベンチの傍から駆け出す。
「望月くーん! お友達によろしくねぇ!」
追い掛けるようにして紀野さんの声が響き来る。
相も変わらず弾むような声音だった。
ドアが閉まる寸前に、辛うじてバスへ駆け込むことが出来た。
荒い息を整えながら席へと座り込む。
自分の胸が何時に無く高鳴っていることに漸く気が付かされる。