紀野さんが告げるところの『ヨモツシコメの
「邪魔立てを控えるのであるならば、見逃さないでもありません。
桜の
和泉さんの声が響き来る。
冷ややかなその声音は、一切の抗弁も許さない頑なさを帯びているようだった。
その彼女は、赤黒い怒りのオーラを纏いつつあるように見えてしまった。
「ハァ……」と嘆息した紀野さんは、「やっぱ、どうしても連れて行きたいんだって。望月くん、どーする?」と、問いを放つ。
「つっ、連れて行かれるって……。
一体何処に?」
「夜の奥。
何にも無い真っ暗な世界。
喜びや悲しみとか、苦しみや楽しさとか、その一切が存在しない安らかで平坦な世界。
その世界に満ち満ちた闇の中に、君の魂を溶け込ませたいみたいだけど」
淡々と言葉を返す紀野さん。
僕は、まさしく絶句した。
脚がガタガタと震え始める。
「何で……。どうして……?」
夜の奥とか言われても、さっぱり意味が分からない。
闇の中に魂を溶け込ませるだなんて、そんなの想像すらつかない。
僕はただ、誰かに話を聴いて貰いたいだけだったのに。
この気持ちを誰かに受け止めて欲しかっただけなのに。
責め立てるでも無く、あるいは問い詰めるでも無く、静かに受け止めてくれる誰かが欲しかっただけなのに。
それなのに、一体どうしてこんなことに。
僕の狼狽など構わぬ風にして、和泉さんの背後に這い出てきた『眷属』とやらは高さをいよいよ増しつつあった。
その様は、暗黒の巨人がズルリと立ち上がるようでもあり。
「こりゃまた……、随分と気合いが入ってるねぇ。
よっぽど望月くんにご執心みたい。
面倒臭いなぁ、これ」
溜息と共にそう告げた紀野さんは僕をじっと見据え、それから問いを投げ掛けてくる。
「でさぁ、望月くんはどーしたいの?
向こうさんも随分とご執心のようだから、いっそ連れて行ってもらう?
それとも、こっちに残りたい?」
考えるまでも無かった。
その瞬間、脳裏に去来していたのは、つい先程の桜の下での出来事だった。
舞い散る桜に見惚れる思いだったり、唐突に食べさせられたホットドッグの瑞々しい味わいだったり。
はたまた、身を寄せ来た紀野さんへと抱いた胸の高鳴りだったり。
それらは咲き誇る桜の下での刹那の迷いかも知れなかった。
でも、何も無い真っ暗な世界に溶け込むことよりも随分とマシだと思った。
「嫌だ……。
何も無い真っ暗な世界なんて、嫌だ……」
首を左右に振りながら、震える声にて答えを返す僕。
「分かった!
私もアイツらのこと気に食わないからさぁ、一泡吹かせちゃおうか!」
楽しげにそう告げる紀野さん。
けれども、一体どうする積もりなのだろうか。