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第2話:降って湧いた天災(物理)と騎士団長

視界の隅で、二つの月が俺を見下ろしていた。


眼下に広がるのは、宝石箱をひっくり返したような異世界の夜景。


それは息をのむほど美しかったが、今の俺にとっては絶望的な光景でしかなかった。


急速に、近づいてきているからだ。


「死ぬ! 絶対死ぬって!!」


俺は空中で必死にもがいた。


風を切る轟音が耳元で鳴り響き、落下速度はどんどん増していく。


「飛べないのかよ俺!? ドラゴンなんだろ!?」


背中の翼を力任せに動かしてみる。


バサッ、バサッと虚しい音を立てるだけで、落下速度は一向に緩まない。


ある程度の滑空はできているのかもしれないが、この高度からの自由落下を防ぐほどの揚力は得られなかった。


「クソっ! こんなカッコいい翼が付いてるのに飾りかよ!! 役立たず!!」


パニックになりながら悪態をつくが、状況は変わらない。


地面が、街の灯りが、刻一刻と迫ってくる。


このままじゃ、俺自身が巨大な質量兵器として地上に激突することになる。


(どこか安全な場所……いや、被害が出てもマシな場所は……!?)


落下しながら、必死で地上を観察する。


街の中心部はダメだ。


煌びやかな宮殿や、人々で賑わっていそうな広場に落ちたら大惨事になる。


石畳の大通りも、馬車や通行人を巻き込む可能性がある。


住宅街なんてもってのほかだ。


俺が死ぬのはともかく、無関係な人たちを巻き込むわけにはいかない。


焦る俺は、視界の端に比較的マシそうな場所を見つけた。


街の外れにある、やや大きな建物。


周囲に人家は少なく、明かりも乏しい。


寂れた酒場だろうか? そして、その建物の周りには、十数人の人影が見える。


だが、その服装や雰囲気はどう見てもカタギじゃない。


武器を持っている者もいる。


(……盗賊か? アジトにしてるのか、あの酒場を)


一瞬迷ったが、他に選択肢はない。


落下地点を調整する余裕なんてないのだ。


(よし、あいつらのアジト(?)に突っ込むか! 被害者は悪党だけならセーフだろ! ……たぶん!)


半ば自棄になりながら、俺は目標地点へと落下角度を微調整した。


「お前らーーー!!! 俺がいくぞおおおお!!!」


誰に言うでもなく叫び、俺はそのまま一直線に突っ込んでいった。


次の瞬間――


ドオオオオオオオオオン!!!!


それが、俺の異世界における最初の「着地」だった。


凄まじい轟音と衝撃波が夜の静寂を引き裂く。


俺が突っ込んだ酒場らしき建物は、屋根も壁も基礎も関係なく、文字通り木っ端微塵に砕け散る。


木片、瓦礫、割れた酒樽、そして中にいたであろう盗賊たちが、まるでオモチャのように宙を舞い、周囲に派手に撒き散らされる。


俺が着地した場所を中心に、地面が大きく陥没し、巨大なクレーターができていた。


周囲の地面はめくれ上がり、土煙がもうもうと立ち込める。


「ぐわああああ!!!」


「な、なんだ!? 隕石か!?」


衝撃波に巻き込まれた盗賊たちの断末魔のような悲鳴が、あちこちから聞こえてくる。


(……あれ? くしゃみしてないのにこの威力?)


着地の衝撃は多少感じたが、痛みはほとんどない。


むしろ、全身に力がみなぎっているような感覚すらある。


俺はクレーターの中心で呆然と立ち尽くし、自分のしでかした破壊の規模に唖然とした。


(ただ落ちただけでこれかよ……。俺、物理的にヤバすぎないか?)


粉塵が少しずつ晴れてくると、周囲の状況が見えてきた。


元・酒場の周辺は、もはや瓦礫の山だ。


そして、その瓦礫の隙間から、生き残った盗賊たちが、恐る恐る顔を覗かせている。


その数は、ざっと見て二十人ほどか。


「な、なんだこいつ……空から降ってきた女?」


「竜族の姫……? いや、あんな化け物みたいな力……!」


彼らの目は、恐怖と驚愕、そして状況を理解しきれない困惑に染まっていた。


だが、中にはまだギラついた目をしている者もいる。


「こ、こいつを捕まえろ! あの角と翼……高く売れるぞ!」


一人が叫ぶと、他の盗賊たちも我に返ったように武器を構えた。


目の前で仲間が(たぶん)死んだり、アジトが壊滅したりしたのを見ても、まだ戦うつもりらしい。


(こいつら、まだやる気かよ……懲りない奴らだな)


正直、面倒くさい。


さっさとどこか安全な場所で飯でも食いたい気分だ。


だが、ここで逃げるわけにもいかないだろう。


それに、自分の新しい力がどれほどのものか、試してみるのも悪くないかもしれない。


「よし、ウォーミングアップにはちょうどいいか」


俺は軽く拳を握り、向かってくる盗賊たちを迎え撃つ態勢をとった。


「うおおおお!!」


先頭の盗賊が、錆びた剣を振りかざして突進してくる。


俺はそれをひらりとかわし――いや、かわすまでもなく、軽く拳を振るった。


本当に、軽く。


ドゴォン!!!!


俺の拳が盗賊の胸部にめり込んだ瞬間、そいつは人間大砲のように、背後の(かろうじて残っていた)壁をぶち抜き、夜空の彼方へと消えていった。


星になったかもしれない。


「……あっ」


予想以上に吹っ飛んだ。


思わず自分の拳を見つめる。


「……お、おい……今の、見たか……?」


「や、やばい……相手にならねぇ……!」


他の盗賊たちが明らかに怯んだ。


だが、まだ完全に戦意を喪失したわけではないらしい。


数人がじりじりと距離を詰めてくる。


(なら、もうちょっと試すか)


俺は今度は、自分の手の爪に意識を向けた。


白く滑らかな指先には、鋭く尖った爪が生えている。


これもドラゴンの力なのだろう。


「じゃあ、次は爪だな……」


目の前の盗賊が着込んでいた、そこそこ頑丈そうな革鎧の胸当てを、爪で軽く引っ掻いてみた。


ギャリッ!!


「ひぃぃっ!!?」


革鎧は、まるで熱したナイフでバターを切るように、いとも簡単に裂けた。


俺自身が驚くほどの切れ味だ。


「お、おい! なんだこの姫は!!」


「や、やべぇ……!!」


さすがに、ここまで力の差を見せつけられると、彼らも理解したらしい。


恐怖が、わずかに残っていた闘争心を完全に上回ったのだ。


「も、もう無理だああああ!!!」


「逃げろぉぉぉ!!」


盗賊たちは、今度こそ本当に蜘蛛の子を散らすように逃げ出していった。


あっという間に周囲には誰もいなくなる。


「……ふぅ、楽勝」


俺はポンポンと手を払い、一つ息をついた。


「俺、やっぱり相当強いっぽいな。


これなら異世界でも余裕で生きていける……か?」


万能感と、少しの不安。


そして、相変わらずの空腹感。


(戦ったら腹減るな……飯食いたい……)


これからどうしようか、と考えていた、その時だった。


街の方角から、複数の馬蹄の音が近づいてくるのが聞こえた。


それも、ただの馬の音ではない。


統率の取れた、軍隊のような規則正しい響きだ。


音は急速に近づき、やがて瓦礫の山の向こうから、月光を浴びて輝く鎧の一団が現れた。


王国騎士団、とでもいうべきか。


彼らは整然とした隊列を組み、少し離れた場所で停止した。


その先頭から、一人の騎士が静かに馬を降りる。


月明かりの下でも分かる、見事な金髪。


彫りの深い端正な顔立ち。そして、一際豪華な、しかし実戦的なデザインの鎧。


全身から放たれる威圧感と、冷静沈着な雰囲気は、彼がただの騎士ではないことを示していた。


年齢は三十代後半くらいだろうか。


彼は、俺と、俺が作り出した惨状――粉々になった酒場と巨大なクレーター――を冷静な目で見渡すと、真っ直ぐに俺に向かって歩み寄ってきた。


その瞳には、恐怖も驚愕も、そして敵意も見られない。


ただ、強い好奇心と、値踏みするような色が浮かんでいる。


(うお、なんか偉そうなのが来た。敵じゃなさそうだけど……面倒なことになりそうな予感)


俺は少し身構えたが、相手に敵意がないことを感じ取り、とりあえず様子を見ることにした。


騎士は俺の前で立ち止まると、片膝をつくことなく、しかし礼儀正しく名乗った。


「竜族の姫君とお見受けする。我が名はレオナルド・バルゼルグ、王国騎士団第一部隊隊長である」


その声は落ち着いており、よく通る。


「君の戦闘、遠目ながら見させてもらった。その力、我が王国でも比類なきもの」


レオナルドと名乗った騎士団長は、俺を値踏みするように見た。


「問おう。その力を持って何を望む?」


探るような視線。


俺が何者で、何を目的としているのかを知りたいのだろう。


(こいつ、俺の力を見てもビビってないのか? 大した奴だな)


少し感心しながらも、面倒事は避けたい。俺は正直に(?)答えることにした。


「目的? 特にないけど。強いて言うなら、腹減ったから飯食いたいな」


俺のあまりにも率直な答えに、レオナルドはわずかに目を細めた。


何かを考えるように腕を組み、しばし沈黙する。


その間に、俺も彼の背後に控える騎士たちを観察する。


彼らもまた、緊張はしているものの、統率が取れており、無闇に敵意を向けてくる様子はない。


やがて、レオナルドは顔を上げた。


「ならば、姫君に一つ提案がある」


静かな、しかし有無を言わせぬ響きを持った声だった。


「ぜひ一度、王宮へお越しいただきたい。我々は君の力を評価している。丁重にお迎えしよう」


その言葉に、周囲の騎士たちが微かに緊張を走らせた。断られた場合の対応も考えているのだろう。


(王宮か……面倒そうだけど、美味い飯にはありつけるかもな……)


それに、このまま街外れでうろついていても仕方がない。情報収集のためにも、一度行ってみるのは悪くないかもしれない。


「……よし、行ってやるよ。王宮に」


俺が頷くと、レオナルドは満足げに微笑んだ。


「賢明な判断だ。では、こちらへ。馬を用意させよう」


騎士たちが手際よく、俺のために飾り付けられた立派な馬を引いてくる。


「当然だ。君は貴族ではなくとも、竜族の姫君。我々はそれ相応の礼を持って迎え入れる」


その丁重な扱いに、俺は少しだけ気分が良くなった。


過度にへりくだるわけでもなく、かといって見下すわけでもない。


騎士としての矜持を保ちつつ、俺の力を認めている。


こういう対応をされると、こっちも悪い気はしない。


俺は差し出された手を借りて、ひらりと馬に跨る。


馬上からの眺めは思ったより高い。


出発しようとした、その時。


レオナルドが静かに俺を見つめて言った。


「姫君。重ねてお願いするが、どうか、その力を無闇に誇示することなく、慎んでいただきたい。王宮には多くの者がいる」


それは、忠告であり、懇願のようにも聞こえた。


「……もちろん、余計なトラブルは起こすつもりはないさ」


俺は肩をすくめて答える。


(俺からはな)


自分の「くしゃみ一つで大惨事」な体質を思い出し、内心で冷や汗をかきながら、俺は騎士団と共に、月明かりに照らされた王都、そしてその中心にそびえる王宮へと向かうのだった。

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