国王がぶっ倒れた。
いや、俺がやったわけじゃないぞ。念のため言っておくが。
昨日の悪魔騒ぎで、無理して聖剣を使った反動らしい。
全身筋肉痛と過度の疲労で、しばらくは絶対安静とのことだった。
「陛下、お休みください! これ以上は危険です!」
側近たちが必死に止めるのも聞かず、国王は這うようにしてベッドから起き上がり、俺と話をしようとしていた。
その顔は青白く、声もかすれている。
「竜の姫君……貴殿に伝えねばならぬことが……ゴホッ……」
必死な表情の国王。
何か重要な話があるのかもしれないが、正直、今の俺にはどうでもよかった。
だって、見るからにしんどそうだ。
「急ぎじゃないなら後回しでいいよ。ちゃんと話ができるようになるまで、飯と風呂はしっかり用意しといてくれよな」
俺がそう言うと、国王はしばし沈黙した。
そして、どこか安堵したような、それでいて微妙に複雑そうな表情で頷いたかと思うと――。
バタン!!
そのままベッドの上に崩れ落ち、完全に意識を失った。
「陛下ーーー!!!」
王宮中に側近たちの絶叫が響き渡る。
いや、だから休ませた方がいいって言っただろ、普通に。
まあ、国王がダウンしたことで、俺に対する「何かのお願い」は当分なくなったわけだ。
これはこれで好都合かもしれない。
やることもないので、俺は王宮の中をぶらつくことにした。
「うおっ、なんかキラキラしてる……!」
廊下に飾られた金ピカの鎧、壁にかかる宝石が埋め込まれた絵画、豪華な金の額縁。
ドラゴンとしての本能が刺激されるのか、やたらと光り物が魅力的に見える。
「貴金属とか、いいな……。一つくらいくすねてもバレないか?」
思わず手が伸びかけるが――その瞬間に、ぐぅ、と腹が鳴った。
「いや、でも飯と風呂の方が重要だな」
俺はあっさりと結論づけた。
光るものも魅力的だが、腹を満たすことと体を綺麗にすることには到底かなわない。
俺の優先順位は明確だ。
その日の夕食も、王女様が同席してくれた。
相変わらずの豪華絢爛な食卓だ。
「竜族の姫君は、本当にお肉がお好きなのですね?」
王女様が、骨付き肉を豪快に頬張る俺を見て、楽しそうに尋ねてくる。
「うん、めっちゃ好き! 肉isジャスティス!」
俺は即答する。
特にこの国の肉は絶品だ。
「どんなお肉が特にお好きなのですか?」
王女様の問いに、俺は少し考えてから、昨日メイドさんからこっそり聞き出した牛の銘柄を口にした。
「うーん……やっぱり、専門家がしっかり育てた『グランデル高原牛』ってやつが最高だったな! 品種改良されてて、肉質がめちゃくちゃ柔らかくて、噛んだ瞬間に肉汁がブワッと広がるんだよ。赤身の旨味も脂の甘みも完璧!」
熱弁する俺を見て、王女様がハッと目を見開いた。
(……この方、人間をお召し上がりになる趣味はないのですね!? よかった……!)
そんなことを考えていたとは露知らず、俺は続ける。
「ちょっと遠いらしいけど、一度育ててる場所に行ってみたいなー。牧場とか見てみたい」
王女様は、俺の純粋な(?)食への興味に、そっと胸をなでおろしていた。
そんなわけで、俺は相変わらず王宮での食事と風呂を満喫する日々を送っていた。
ある日の食後、満腹になって自室のソファでごろごろしていた俺は、ふと自分の背中に意識を向けた。
そこには、生まれた時から(?)備わっている、しっかりとした竜の翼がある。
(……そろそろ飛べるんじゃね?)
これまで跳躍ばかりで、本格的な飛行は試していなかった。
だが、空を自由に飛び回る――それは、男(だった頃)のロマンだ。
ドラゴンになったからには、挑戦しない手はない。
そう思い立ったが吉日。
俺は広々とした王宮の庭園へと向かった。
周囲に人がいないことを確認し、背中の翼をゆっくりと広げる。
バサッ、バサッ。
……思ったより軽い。
「よし、飛ぶぞ!!!」
足にぐっと力を込め、地面を蹴る!
バシュンッ!!!
「おおおっ!? いい感じ――」
……ではなかった。
確かに、一瞬ふわりと浮いた。
だが、次の瞬間には強烈な重力に引かれ――
ズドォォォン!!!!
轟音と共に地面に激突。
着地した場所には、またしても綺麗な円形のクレーターができていた。
庭師が丹精込めて育てたであろう芝生が、無残にめくれ上がっている。
「……あ、これダメなやつだ」
デジャヴを感じながら顔を上げると、案の定、騎士団長レオナルドがすごい勢いでこちらに駆け寄ってくるところだった。
その顔は、呆れと疲労と懇願が入り混じった複雑な表情をしている。
「姫様……! 頼みますからそういう飛び方はなさらないでください!! 被害が甚大です!! その跳躍力と着地の衝撃は、もはや兵器レベルなのですよ!!」
そこまで言われたら仕方ない。
俺はしぶしぶ頷き、飛行訓練は王都の外で行うことに同意した。
翌日。
俺は王都を出発することになった。
「姫様、こちらを」
見送りに来てくれた王女様が、一枚の羊皮紙を手渡してくれた。
広げてみると、それは王国の周辺地域が描かれた詳細な地図だった。
(地図って……結構重要なものじゃなかったっけ? こんなあっさり渡しちゃっていいのか?)
そんな疑問も浮かんだが、まあくれるというなら貰っておこう。
深く考えずに受け取る。
「では、お気をつけて。レオナルド、姫様のこと、くれぐれも頼みましたよ」
「はっ! お任せください」
王女様、女官、メイドたちに見送られながら、俺はレオナルド率いる騎士団の一隊と共に王都の門を出た。
彼らは俺の護衛兼、道案内兼、そして多分、監視役なのだろう。
「姫様、我々の馬と歩調を合わせていただけると助かります。あまり速度を出されますと……」
レオナルドが少し言いにくそうに言う。
「おっけー、分かった! 控えめに走るわ!」
俺は軽く準備運動をして走り出した。
自分としては、本当に「控えめ」なジョギング程度のつもりだったのだが……。
タッタッタッタッタッ……!
「お、おい……!?」
「人間が走るより速いのは分かっていたが、ここまでとは……馬が追いつけん!」
「ひ、姫様! もう少しゆっくりと!」
騎士たちが、必死の形相で馬を駆り立てている。
どうやら俺の「控えめ」は、彼らにとっての全力疾走レベルだったらしい。
結局、俺が先頭を走り、騎士団が悲鳴を上げながら必死に追走するという、奇妙な隊列で移動することになった。
王都から数時間ほど離れた、開けた草原地帯に差し掛かったときだった。
ドン……ドン……ドン……
地面が、わずかに揺れた。
最初は気のせいかと思ったが、揺れは徐々に大きくなり、規則的なリズムを刻んでいる。
「……ん?」
俺は足を止め、耳を澄ませた。
遠くから、何か巨大なものが近づいてくる重い足音が聞こえる。
そして、視界の先――地平線の向こう、小高い丘の稜線から、巨大な影が現れた。
それは、岩石を組み上げて作られたような、巨大な人型の存在だった。
身の丈は、二十メートルを超えている。
その巨体が、大地を踏みしめながら、ゆっくりとこちらへ向かってくる。
「うおおお!! かっこいい!!!」
俺は思わず目を輝かせた。
まるでファンタジー映画に出てくるような、巨大ゴーレムだ!
だが、隣で馬を止めたレオナルドや騎士たちの顔は、一様に青ざめていた。
「姫様!!! あれは敵です!! 王都を破壊しに来た魔王軍の兵器です!!!」
レオナルドが叫ぶ。
「……えっ、マジ? ただのデカい置物じゃないのか?」
騎士の一人が必死に説明する。
「あれは古代の魔法で作られた破壊兵器……ゴーレムです! あの巨体とパワーで城壁すら破壊すると言われています!」
なるほど。
つまり、カッコいいけどヤバい敵、ということか。
「まあ、敵なら仕方ないな」
俺は軽く肩をすくめ、サッと構えを取る。
巨大なゴーレムは、のっしのっしと着実に王都の方角へ進んでいる。
ここで止めなければ、王都に被害が出るだろう。
俺は地面を強く蹴った。
「おりゃあああ!!!」
バキィッ!!!
弾丸のように飛び出した俺の拳が、ゴーレムの膝と思しき部分に直撃! 硬い岩石のはずなのに、メキメキと音を立ててヒビが入る。
巨体がわずかにぐらついた。
「……うん、効いてるけどデカすぎるな。これ、普通に殴ってたら王都に着くまでに壊しきれないかも」
俺の攻撃力なら破壊は可能だろうが、時間がかかりすぎる。
「これ、くしゃみした方が早い?」
俺がそう呟きかけた瞬間、騎士の一人がゴーレムの砕けた破片を見て声を上げた。
「……ま、まさか、あれは鉄鉱石!? あれほどの量の鉄資源があれば、我が国の鍛冶技術が飛躍的に……!」
(お?)
つまり、くしゃみでゴーレムを跡形もなく消し飛ばすのは、資源的にもったいないということか?
「そっか、じゃあ……大技で頭を狙うか!」
俺は大きく跳躍し、ゴーレムの頭上高くへと飛び上がった。
眼下に見える巨大な岩の頭。
そこを破壊すれば、動きを止められるはずだ。
「滑空蹴り、いっくぞぉぉぉ!!!」
重力に従って急降下しながら、全体重を乗せた蹴りを放つ!
ドゴォォォォォン!!!!
俺の踵が、ゴーレムの頭頂部にめり込む! 凄まじい衝撃と共に、岩石の頭部が砕け散り、巨体が大きくぐらつく。
「よし! いけた――」
そう思った、その瞬間だった。
ボウッ!!!!
砕け散ったゴーレムの頭部があった場所から、猛烈な勢いで炎が噴き出した! どうやら内部に可燃性の高い動力源か何かがあったらしい。
砕けた破片――よく見ると黒々とした石炭のような塊が混じっている――に引火し、一気に燃え広がったのだ。
「うおおお!? 燃えた!!??」
メラメラメラメラ!!!
急降下の勢いのまま突っ込んだ俺は、避けきれずに豪快な炎に包まれた。
「ひ、姫様が燃えている……!?」
「ど、どうする!? 水をかけるか!?」
「いや、それより姫様はご無事なのか……?」
騎士たちが呆然としながら俺を見つめている。
だが――
「……あっついなぁ、これ」
炎の中心で、俺は何事もなかったかのように呟いた。
ドラゴンの体は、この程度の炎ではびくともしないらしい。
――ただし、服以外は。
俺が着ていた、王宮で用意されたばかりの豪華なドレスが、炎によって無残にも焼け焦げ、半分以上が炭と化していた。
かろうじて残った部分もボロボロだ。
(……あ)
俺の頭の中に、あの時の女官たちの笑顔が浮かぶ。
『姫様に一番お似合いになるよう、心を込めてお選びしました!』
『きっとお喜びいただけるはずですわ!』
(ごめん、俺のせいでドレスが燃えました。マジごめん)
俺は、物理的なダメージはゼロだが、女官の悲しむ顔が目に浮かび、精神的なダメージを受けて静かに落ち込んだ。
「……姫様」
ふと、横から声がした。
見ると、騎士の一人が、気まずそうに視線をそらしながら、自分のマントを差し出してきていた。
「お召し物が……その、燃えてしまわれましたので。もしよろしければ、お使いください」
「おお、気が利くな。サンキュ」
俺は素直に礼を言い、騎士からマントを受け取って肩に羽織る。
とりあえず、肌の大部分は隠せた。
周囲の騎士たちは目のやり場に困っているようだったが、まあ仕方ない。
(デカい相手に無茶な大技使うと、ロクなことにならねぇな……。よし、学習したぞ、俺)
俺はマントの裾を翻し、改めてゴーレムに向き直る。
頭部は破壊したが、まだ胴体は動いている。
「よし……今度は細かく壊していくぞ……!」
今度は慎重に、ゴーレムの動きを止められるであろう関節部分を狙うことにした。
再び跳躍し、まずは膝の関節部分を狙って拳を叩き込む。
バキィッ!!!
先ほどよりも深いヒビが入り、ゴーレムが大きくぐらつく。
よし、いい感じだ。
続けて、腕の付け根と思しき部分を蹴り上げる。
メキメキと嫌な音を立てて、腕の動きが鈍くなった。
ゆっくりと、しかし確実に、ゴーレムは破壊されていった。
大技のような派手さはないが、堅実な戦い方だ。
そして――最後の一撃。
残った胸部のコアらしき部分を目掛けて、渾身の力を込めた拳を叩き込む。
ズガァァァン!!!!!
ついに、ゴーレムは活動を停止し、轟音と共にその場に崩れ落ちた。
俺はゆっくりと着地し、マントを翻しながら(ちょっとカッコつけてみた)、崩れたゴーレムの残骸を見下ろす。
「……ふぅ、これで終わりっと」
騎士たちは、俺の圧倒的な力と、最後の堅実な戦いぶりに、驚愕と安堵が入り混じった表情を浮かべていた。
「姫様……凄まじいお力です。まさか、あのゴーレムを単独で……」
レオナルドが感嘆の声を漏らす。
けどこっちを見る目は何か言いたげだ。
「最初のドレス炎上は事故だ、事故。今度はちゃんと調整したからな? 」
そう言って笑う俺の前には、もはや王都への脅威ではなくなった、巨大なゴーレムの残骸――すなわち、大量の鉄資源が転がっていた。
(これ、王女様へのお土産にちょうどいいな!)
俺は、持ち運びやすそうな腕の部分をよいしょと担ぎ上げ、満足げに頷いた。