俺は王宮の門の前に立っていた。
右肩には、あの巨大ゴーレムの片腕を軽々と担いでいる。
周囲の騎士たちの視線が突き刺さるが、気にするつもりはない。
「……姫様、それは?」
門番の騎士が、目を丸くして俺を見つめてくる。
まあ、無理もない。
成人男性数人分の重さはありそうな岩石と金属の塊を、見た目華奢な少女(中身は俺)が担いでいるのだから。
「ん? さっき倒したやつの腕だよ。王女様にプレゼントしようと思ってな!」
俺がニッと笑って言うと、門番は一瞬、何か言いかけたが、深く息を吐いて諦めたような顔をした。
「……姫様は相変わらず規格外でいらっしゃいますね。どうぞ、お通りください」
どうやら俺の奇行には慣れ始めてくれたらしい。
俺は「サンキュ!」と軽く手を上げ、そのまま王宮の中へと進んだ。
目指すは庭園だ。
あそこなら、このデカい腕を置いても邪魔にならないだろう。
美しい花々が咲き乱れる庭園の一角に、俺はゴーレムの腕を「ドン!」と無造作に置いた。
芝生が少しへこんだが、まあ気にするな。
「よし、これでよし!」
達成感に満たされ、俺は満足げに頷いた。
我ながら、気の利いたプレゼントだ。
そこへ、噂をすれば影。
王女様が侍女を伴って現れた。
「姫様、お帰りなさいませ。……これは?」
王女様は、庭に置かれた巨大なゴーレムの腕を見て、不思議そうに首を傾げる。
「おう、ただいま! この前世話になったし、これからも世話になるだろうからお礼だ! あと、俺にマントくれた騎士にもなんかよろしく言っといてくれ!」
俺が胸を張って言うと、王女様はぱちくりと目を瞬かせた後、嬉しそうに微笑んだ。
「まあ、姫様……! そのようなお気遣い、感謝いたします。騎士にも必ず伝えておきましょう」
深々と優雅にお辞儀をする王女様。
しかし、彼女は改めてゴーレムの腕を見つめ、再び首を傾げた。
「ですが姫様、これは一体どのような素材でできているのでしょう? 見たことのない金属のようですが……」
「うーん、俺もよく分かんねぇな。硬かったけど」
俺は腕を組んで考える。
確かに、殴ったり蹴ったりした感触は、ただの岩とは少し違った気がする。
鉄っぽい匂いもしたような……?
「だったら、詳しい人に聞きに行こう!」
俺があっさり言うと、王女様は少し考え、「それもそうですね」と頷いた。
「では、内務大臣をお呼びしましょう。彼ならば、鉱物資源にも詳しいはずです」
「え、そんなガチの人を呼ぶの?」
俺は少し驚いたが、王女様はすぐに侍女に指示を出し、ほどなくして一人の男性が庭園に現れた。
年は五十代くらいだろうか。
立派な髭をたくわえ、いかにも切れ者といった雰囲気の貴族だ。
彼が内務大臣らしい。
「これはこれは、姫様。そして王女殿下。お呼びと伺い参上いたしました」
内務大臣は丁寧にお辞儀をすると、俺が持ち帰ったゴーレムの腕に視線を向けた。
「詳しく聞かせていただけますか?」
俺と王女様から事情を聞いた内務大臣は、真剣な顔つきでゴーレムの腕の検分を始めた。
表面を叩いたり、削り取った破片をルーペで観察したり。
その目は専門家のものだ。
しばらくして、内務大臣は深い溜息をつき、頭を抱えた。
「……これほどの……これほどの質と量の鉄鉱石が……。姫様、これはとんでもない代物ですぞ!」
「へぇ~」
「へぇ~、では済みません! これほどの資源が一度に市場に出回れば、我が国の鉄の市場価格が大暴落しかねません! 下手すれば経済が混乱いたしますぞ!」
どうやら俺は、とんでもない戦略物資(?)をお土産として持ち帰ってしまったらしい。
(ふーん、そんなにすごいやつだったのか。まあ、俺が倒したんだから当然か!)
経済的な影響とかはよく分からないが、とりあえずすごい物だということは理解した。
俺は「おっちゃん、頭いいんだな」と素直に感心する。
内務大臣は、そんな俺の能天気さには気づかず、別のことで悩み始めたようだった。
ちらりと俺と王女様を見比べている。
(……これだけの功績。並の貴族なら一気に成り上がれる。ましてや姫君の覚えもめでたいとなれば、王女殿下との縁談すら……いや、この姫君にそのような俗な欲はなさそうだが……しかし、王女殿下との距離が妙に近いような気もする……うぅむ……)
一人で勝手に苦悩している内務大臣をよそに、俺は別のことに気を取られていた。
「姫様、お疲れでしょう。こちらでお休みになってください」
王女様が、庭園に設えられたテーブルへと俺を誘ってくれた。
そこにはすでに、冷えた飲み物が用意されている。
美しいカットグラスに注がれているのは、宝石のように輝く深紅色の液体だ。
「おお! ありがとう!! ちょうど喉渇いてたんだ!」
俺は礼を言い、迷わずグラスを受け取ると、一気に呷った。
ゴクゴク……。
ひんやりとした液体が喉を通る。
そして――
「……うっま!!!!!」
思わず叫んでしまった。
口の中に広がるのは、今まで味わったことのない、濃厚で芳醇な甘み。
それでいて、くどさはなく、爽やかな酸味が後を追いかけてくる。
鼻腔をくすぐる、まるで花のような華やかな香り。
後味は驚くほどすっきりとしていて、もう一口、もう一口と、止まらなくなる。
「なんだこれ!? こんな美味い飲み物、初めて飲んだぞ!?」
俺は感動のあまり、目を輝かせて王女様を見た。
王女様は、俺の反応を見て嬉しそうに微笑む。
「ふふ、お口に合いましたか? それは、隣国から輸入している特別な葡萄で作られたものでして。本来は果実酒なのですが、姫様のために、アルコール分を極力取り除いた特別な品をご用意いたしました。ほんの少しだけ……香りが残っておりますけれど」
「ほぼ?」
「ええ。完全に飛ばしてしまうと、この芳醇な香りが損なわれてしまいますので」
(なるほど、微量のアルコールが残ってるってことか。だからか、なんかちょっとフワフワするような……?)
ほんの少しだけ、体が温かくなるような、心地よい感覚がある。
これが酔いというやつか? だとしても、それ以上にこの味が素晴らしい。
「いや、でもこれ、めちゃくちゃうまいな! クセになりそう……もう一杯もらっていいか!?」
俺は空になったグラスを差し出しながら、うっとりとした表情で味の余韻を楽しんでいた。
頬がほんのり赤くなり、目も少しとろんとしてきているかもしれない。
王女様はそんな俺の様子をじっと見つめ、
(……これは、良いものを見ましたわね)
と、どこか満足げな笑みを浮かべていた。
そんな和やかな(?)雰囲気を破ったのは、突然の闖入者だった。
「殿下! 大変です!!!」
ドォンッ!!!
息を切らせ、慌てふためいた様子の貴族――外務大臣らしい――が、庭園に駆け込んできた。
その表情は深刻そのものだ。
「どうしました? そんなに慌てて」
王女様が落ち着いた声で尋ねる。
内務大臣も驚いた顔で外務大臣を見ていた。
俺はというと、まだジュースの感動に浸っていて、事態の深刻さに気づいていなかった。
(はぁ……なんか、すごい……幸せ……。このジュース、無限に飲める……)
ゴクゴク……。
追加で注いでもらったジュースを味わいながら、俺はうっとりと目を閉じる。
「……姫様?」
王女様の声で我に返る。
「ん……? ああ、悪い。で、何が大変なんだ?」
俺がようやく尋ねると、外務大臣は切迫した声で報告を始めた。
「姫様が悪魔を撃退されたように、魔王軍は他国にも降伏勧告を行っており……! それを拒否した国々が現在、魔王軍による激しい攻撃を受けております!」
(ふーん、世界中で戦争か。大変だなー)
俺はまだ他人事のように聞いていた。
魔王軍が強いのは聞いたことがあるが、この国に直接被害が及んでいるわけではない。
(まあ、俺の国じゃないし、関係ないか……)
そう思った、次の瞬間。
外務大臣の言葉が、俺の思考を停止させた。
「現在、特に激しい攻撃を受けているのは――かの有名な葡萄の産地である国です。先日姫様が『一度行ってみたい』と仰っていた『グランデル高原牛』の産地でもあります!」
……え?
あの忘れられない極上の肉。
その産地が、今まさに攻撃を受けている……?
「……このジュースの原料って、どこ産……?」
俺は震える声で、この天にも昇るような美味さのジュースについて尋ねる。
「……まさに、今攻撃を受けている国の、まさにその地方のものです。現地の農地が破壊されれば、しばらくは入手困難になるかと……」
「それは困る!!!!!!」
俺の至高のジュースが飲めなくなる可能性がある!? あの絶品高原牛も食べられなくなるかもしれない!?
(ふざけんなああああああ!!!!!!)
俺の中で、何かがブチッと切れる音がした。
さっきまでの幸福感は一瞬で消え去り、猛烈な怒りが込み上げてくる。
「ちょっと行ってくるわ!!!!」
俺は勢いよく立ち上がり、叫んだ。
「姫様!? どちらへ!?」
近くにいた騎士たちが慌てて止めようとする。
だが、今の俺に彼らの声は届かない。
大事なジュースと肉が危機に瀕している。
俺の食欲を、俺の楽しみを邪魔する奴らは、誰であろうと許さない!!!
「俺の食い物を邪魔する奴は許さん!!!! いくぞおおおおおお!!!!!!」
バサァァァッ!!!!
俺の背中の竜翼が、感情の高ぶりに呼応するかのように大きく広がる。
そして、地面を強く蹴り、王宮の庭から一直線に空へと飛び上がった!
初めて意識的に使う飛行能力。
風を切り裂き、ぐんぐんと高度を上げていく。
眼下で驚き叫ぶ人々の声も、もはや耳には入らない。
俺はただ、怒りに燃えながら、大切な食料の産地へと全速力で向かっていた。