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第8話:座ってるだけで崇められる姫(♂)

戦場跡地は、静寂に包まれていた。


魔王軍が撤退し、残されたのは破壊された自然と、疲弊しきった防衛隊の兵士たち、そして――全裸から復活したばかりの俺と、疲れ果てた騎士団長レオナルド。


俺が騎士から借りたマントを羽織り(結局新しいドレスはもったいなくて着られなかった)、レオナルドが愛馬を労っていると、生き残った兵士たちが恐る恐るこちらに近づいてきた。


その中には、この地の防衛隊を指揮していたらしき、初老の男性の姿もある。


さらに、少し遅れて立派な馬車が到着した。


中から現れたのは、見るからに高位の貴族といった風情の男だ。


彼らは俺の姿――というより、俺が引き起こした超常的な戦いぶり――を目の当たりにして、完全に畏敬の念を抱いているようだった。


「騎士団長殿……そして、竜の姫君! この度のご助力、誠に感謝いたします!」


「姫君のご活躍、まさに神の御業を見るかのようでした……!」


指揮官も貴族も、レオナルドと俺に向かって深々と頭を下げる。


その視線は、明らかに俺に対して「人ならざる者」への畏怖を含んでいた。


(いや、俺、暴れて服が吹っ飛んだだけなんだけど……)


内心そう思いつつも、ここで何か言うのも面倒だ。


俺は近くにあった手頃な岩にどっかりと腰を下ろし、腕を組んで黙って成り行きを見守ることにした。


疲れたし、腹も減った。


すると、俺のその態度が、周囲にはまた違った意味で捉えられたらしい。


「見よ、あの落ち着き様……! あれほどの戦いの後だというのに、微動だにせず……!」


「まるで戦場の全てを見通しておられるかのような、静かなる威厳……!」


「やはり高貴なる竜族は、我々人間とは格が違うのだ……」


勝手に感心し、勝手に納得し、勝手に俺への崇拝度を高めていく周囲の人間たち。


俺はただ「早く終わんねぇかなー、飯食いたいなー」と考えているだけなのだが、どうやらそれが「計り知れない深慮遠謀を持つ者の風格」に見えているらしい。


まあいい。


レオナルドがうまくやってくれるだろう。


俺は彼の交渉能力に期待することにした。


レオナルドは、疲れを見せながらも、王国騎士団長としての威厳を保ち、指揮官や貴族との間で戦後処理や今後の協力関係についての話し合いを始めた。


王国の国力を背景に、この国への支援と引き替えに、王国側の利益になるような条件を引き出そうとしている。


さすがは騎士団長、仕事ができる男だ。


交渉が一段落した頃合いを見計らって、俺はおもむろに口を開いた。


「なあ、レオナルド。話はまとまったのか? それも大事だが、もっと重要なことがあるだろ」


俺の言葉に、その場の全員の視線が集まる。


レオナルドも「姫様、何か?」と尋ねてきた。


「俺のジュースと肉だよ!」


俺は岩から立ち上がり、熱弁をふるう。


「あの、めちゃくちゃ美味かった葡萄ジュース! それと、俺が一度行ってみたいって言ってたグランデル高原牛! あれ、この国とかこの辺が産地なんだろ?」


「今回、魔王軍にメチャクチャにされたみたいじゃねぇか! 今後も安定して供給してくれるんだろうな!? ちゃんと畑とか牧場とか元通りにするんだろうな!?」


「 そこんとこ、はっきりさせろ!」


食い物の恨みは恐ろしい。


いや、まだ恨みというほどではないが、あの美味が失われる可能性を考えると、俺は黙っていられない。


俺の剣幕――というか食欲に対する執念――に、指揮官も貴族も、そしてレオナルドまでもが一瞬呆気に取られた顔をした。


しかし、レオナルドはすぐに我に返る。


俺の意図(食欲)を汲み取った(?)のか、交渉の議題に「主要産品である葡萄および高原牛の生産体制の早期復旧と、王国への安定供給の確約」という項目を力強く付け加えた。


俺の個人的な要求が、結果的にこの国の重要な産業復興と食料安全保障に繋がる形になったのは、まあ、偶然の産物である。


交渉は無事にまとまり、俺たちはレオナルドの手配で、被害を受けたという葡萄畑と牧場の視察に向かうことになった。


もちろん、安定供給の約束を取り付けたとはいえ、自分の目で確かめないことには安心できないからだ。


そして、現地に到着した俺は――絶望した。


かつては豊かな実りを誇ったであろう葡萄畑は、見るも無惨に焼き払われていた。


黒く炭化した葡萄の木々が、まるで墓標のように転がっている。


風に乗って運ばれてくるのは、焦げ臭い匂いだけだ。


牧場も同様だった。


頑丈だったはずの柵はへし折られ、牧草地は荒らされ、わずかに生き残った牛たちが、怯えたように隅で身を寄せ合っているだけだった。


「……おいおい、マジかよ……」


目の前の光景に、俺は愕然とした。


言葉が出ない。


(百歩譲って略奪は戦争だから仕方ないかもしれねぇ。勝てば官軍、負ければ賊軍。そういうもんだろう)


だが、これは違う。


(畑や牧場を、ここまで徹底的に破壊する必要があったのか? これは、ただの破壊じゃない。食い物に対する冒涜だろ!!!)


じわじわと、腹の底から怒りが込み上げてくる。


あの美味いジュースと肉を生み出してくれた大地が、こんな姿になっている。


「あの魔王軍ども……! よくも……! 俺のジュースと肉を……!!!」


俺が怒りに打ち震え、ギリギリと歯を食いしばった、その瞬間だった。


ズズズズ……ッ!


足元の地面が、不自然に揺れた。


そして、盛り上がった土の中から、巨大な生物が勢いよく飛び出してきた!


「グルルルルッ!」


それは、牛ほどもある巨大なウサギだった。


全身の毛は泥と血でゴワゴワに汚れ、充血した真っ赤な目が、飢えた獣のようにギラギラと光っている。


鋭く巨大な前歯をカチカチと鳴らし、明らかに凶暴な気配を放っていた。


しかも、一匹ではない。


次から次へと、地面を突き破って巨大ウサギが出現する。


その数、ざっと見て数十匹。


どうやら魔王軍が、撤退する際に地中に潜ませていた伏兵らしい。


残った畑や牧草を食い荒らすための、嫌がらせのような置き土産だ。


近くで様子を見ていた住民たちが、恐怖に引きつった悲鳴を上げる。


「こ、今度は巨大なウサギの大群!?」


「ああ……残ったわずかな畑まで食い尽くされてしまう……!」


「もう終わりだぁ……!」


彼らの顔には、深い絶望の色が浮かんでいた。


「姫様、ここは私が……!」


レオナルドが剣を抜き放ち、俺の前に立ちはだかろうとする。


しかし、俺の思考は、すでに別の方向へ切り替わっていた。


怒りはどこへやら、目の前の巨大ウサギたちを見て、ある疑問が頭に浮かんだのだ。


「なあ、レオナルド」


俺は目を輝かせながら、騎士団長に尋ねた。


「ウサギって美味いの?」


「え?」


レオナルドは一瞬、ぽかんとした顔になった。


だが、すぐに真顔に戻り、騎士らしく冷静に答える。


「……ええ、狩猟対象としては一般的です。脂肪が少なく淡白な味わいで、正しく調理すれば美味。特に煮込み料理などにすると、鶏肉にも似た繊細な風味を楽しめると言われています。ただし、この個体は魔物の類でしょうから、食用に適するかは不明ですが……」


「マジで!? やったーーー!!!」


俺はレオナルドの最後の注意など耳に入っていなかった。


美味い。その一言で十分だ。


目の前の巨大ウサギが、極上の食材の山に見えてきた。


さっきまでの怒りはどこへやら、俺の心は狩猟本能と食欲で満たされていた。


「よっしゃ、狩るぞーーー!!! 今晩はウサギ肉パーティーだ!!!」


俺は歓声を上げ、一番近くにいた巨大ウサギに向かって一気に跳躍した! 強烈な蹴りがウサギの脇腹にクリーンヒット!


ドガァァン!!


巨大なウサギが「ピギャア!」という情けない悲鳴を上げて、面白いように吹っ飛んでいく。


「あ、ヤベ、またやりすぎたか? 食材がミンチになったら勿体ないしな」


レオナルドが「だから言わんこっちゃない……」と頭を抱えている。


「姫様……! できれば、食用に適した形で仕留めていただけると、住民たちの助けにもなります……!」


「なるほどな! 任せとけ! どうすれば美味しく食えるんだ!?」


俺は近くにいた、いかにもベテランといった風情の地元住民(猟師経験者だろうか?)やレオナルドに、狩りのコツ――いや、美味しく食べるための解体しやすい仕留め方――を質問しながら、次々とウサギたちを狩っていく。


「へぇー、首の後ろを一撃で仕留めると血抜きがしやすいのか!」


「なるほど、内臓を傷つけないように腹を蹴り上げる、と! こうか!」


「よし、分かった! 次!」


戦場のはずなのに、まるで料理教室のような会話が飛び交う。


俺はアドバイスを受けながら、巨大ウサギを的確に、かつ食材として価値を損なわないように(?)次々と仕留めていった。


その動きは、もはや戦闘というより、手際の良い狩猟、あるいは解体ショーの前段階のようだった。


あっという間に、数十匹いた巨大ウサギは全滅。


後には、山のように積まれたウサギの亡骸――もとい、新鮮な食材――だけが残った。


「ふぅ、終わった終わった!」


俺は満足げに息をつき、住民たちに向かって宣言した。


「おい、お前ら! これ、ひとりじゃ食いきれないから、みんなで食っていいぜ! ただし、焼き方とか美味い食い方、俺にもちゃんと教えろよな!」


その言葉に、住民たちの目にみるみる涙が浮かんだ。


「ひ、姫様……! なんとお優しい……!」


「ありがとうございます……! ここ数ヶ月、まともな肉なんて口にできていなかったんです……うっ……!」


さっきまでの絶望的な雰囲気は消え去り、住民や生き残った兵士たちは歓声を上げ、すぐに焚火の準備を始めた。


あちこちで火が起こされ、香ばしい肉の焼ける匂いが立ち込める。


俺も、住民に教わりながら焼いたウサギ肉の串焼きにかぶりつく。


「……うん、悪くないな!」


ジューシーで、思ったより臭みもない。


淡白だが、噛むほどに旨味が出てくる。


これはこれで、なかなかの美味だ。


だが――


(……王宮の飯と比べると、やっぱりちょっと味が落ちるな……)


舌が肥えてしまったのかもしれない。


このウサギ肉も十分に美味いが、王宮で食べたあの絶品料理の数々には及ばない。


(やっぱ王宮に戻ろうかな……)


俺は、住民たちの感謝の視線を浴びながらも、心はすでに王宮の豪華な食卓へと飛んでいた。


意図せず住民たちを救い、大量の食料まで提供した形になったが、俺の最大の関心事は、やはり自身の食欲を満たすことにあるのだった。

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