宇宙怖いトラウマによる引きこもり生活も、王女様の献身的な(?)お世話と、王宮の美味い飯と極上風呂のおかげで、数日ですっかり回復した。
いやはや、快適な生活は精神衛生に良い。
その日、俺は王宮の美しいテラスで、王女様と二人きりの優雅なティータイムを楽しんでいた。
テーブルの上には淹れたての紅茶と、見た目も美しい焼き菓子が並んでいる。
「姫様、お元気になられて本当に良かったですわ」
王女様が、心からの安堵といった表情で微笑む。
その笑顔は相変わらず清楚で、俺のささくれた(?)心をも癒してくれるようだ。
「おう! もう大丈夫だぜ! 心配かけたな」
俺が元気に答えると、王女様は少しだけ真剣な顔つきになり、カップをソーサーに置いた。
「ところで姫様、先日のことですが……新しく来られた王妃陛下に対して、『魔女みたい』と仰ったのは、少し配慮が足りなかったかもしれませんわ」
(あー、言ったな、確かに)
あの時の、ゲームキャラみたいな妖艶な姿が脳裏に蘇る。
俺としては最大限の賛辞のつもりだったのだが。
「この国では、魔女という言葉はあまり良い意味では使われないのです。歴史的な背景もありまして……。敵対するおつもりがないのでしたら、もう少し言葉を選ばれた方が、今後のためかと存じますわ」
王女様は、俺を責めるのではなく、優しく諭すように言う。
その気遣いがありがたい。
「そっかー、悪いこと言ったかな。うん、分かった、気をつけるわ!」
俺は素直に頷きつつ、テーブルの上にあった焼き菓子を一つ、口に放り込んだ。
サクサクとした食感と、上品な甘さが口の中に広がる。
(でも、あの衣装はやっぱりインパクトあったよなー。王女様にもああいうセクシー系のドレス、似合うと思うんだけどな……いや、怒られるか)
そんなことを考えていると、タイミングよく侍女が現れた。
手には銀の盆があり、その上には見事な艶と形をした真っ赤な林檎が、籠に盛られて乗っている。
「王妃様からの差し入れでございます。『姫様のお口に合えば幸いです』とのことです」
「へぇ~、王妃様も気が利くじゃん!」
俺は特に何も疑わず、一番大きくて美味そうな林檎を手に取った。
ずっしりとした重みが心地よい。
そのまま、大きな口を開けてシャクッと齧りつく。
「おっ、これ美味いな! ちょっとピリッとするけど、甘酸っぱくていい感じ!」
爽やかな酸味と、それを追いかけるような濃厚な甘み。
そして、後から舌に残る、ほんのわずかな刺激。
なんだか癖になりそうな味だ。
(毒林檎とかいう展開じゃないよな? まあ、俺ドラゴンだし、毒なんて効かないだろ、たぶん。それより美味い!)
俺が二口、三口と林檎を味わっている、まさにその時だった。
バンッ!!
テラスに続く扉が、凄まじい勢いで開かれた。
そこに立っていたのは、王宮の騎士の鎧を纏った伝令兵。
その顔は蒼白で、息も絶え絶えだ。
「き、緊急報告!! 隣接する小人の国が、我が国に向けて進軍を開始しました!!!」
(小人? 白雪姫に出てくるような、陽気な小さいおっさんたちか?)
俺は林檎を齧りながら、呑気にそんなことを考えていた。
だが、伝令兵の次の言葉で、俺の認識は完全に覆されることになる。
「規模は……確認できただけで、軍が七つ!! 明らかに、国家総力での侵攻です!! すでに国境守備隊と交戦状態に入っております!」
(は? 七人じゃなくて、七個軍? 小さい奴らがそんな大軍で? 何考えてんだ?)
俺はさすがに林檎を食べる手を止め、眉をひそめた。
周囲に控えていた侍女たちも顔を見合わせ、不安げな表情を浮かべている。
王女様も、穏やかだった表情をわずかに曇らせていた。
(あれ? これ、もしかして、結構ヤバい状況なのか?)
事態の深刻さをようやく理解しかけた、その時。
さらに別の伝令兵が、今度は謁見の間の方から慌てた様子で駆け込んできた。
「続報です! 敵小人軍、国境付近に配置されていた我が軍の物資集積所を襲撃! 守備隊は奮戦するも、敵の数が多く……!」
(物資集積所? まあ、戦争だしそういうこともあるのか……?)
俺がまだ他人事のように聞いていると、伝令兵は声を震わせながら続けた。
「特に甚大な被害として……以前、姫様が王女殿下に献上されたゴーレムの残骸――大量の鉄資源が、ほぼ全て敵軍に強奪された模様です!!」
……は?
その言葉を聞いた瞬間、俺の頭の中で何かがプツンと切れた。
ゴーレムの残骸。
あれは、王宮まで持ち帰った腕も、あの場に残した残骸も全て、王女様へのプレゼントだ。
(俺が王女様にあげたプレゼントを、あいつら小人が、勝手に持ってったってことか!?)
さっきまでの呑気な気分は完全に消え去り、静かな、しかし猛烈な怒りが腹の底から込み上げてくる。俺のプレゼントを盗むとは、いい度胸じゃねぇか。
「……許せねぇ」
俺は低い声で呟き、静かに立ち上がった。
テーブルの上の林檎には、もう興味はない。
「よし、俺が迎撃してくるわ」
ポキポキと拳を鳴らす。
その場の空気がピリッと引き締まった。
「姫様……! お一人では危険です! 我々も……!」
近くにいた騎士団の者が慌てて声を上げる。
「いや、いい。俺一人で十分だ」
俺は首を横に振る。
「王女様へのプレゼントを盗んだ罰だ。全員まとめて吹っ飛ばしてやる!!」
怒りを隠そうともせず言い放つ俺に、王女様が心配そうな顔を向ける。
「姫様……! どうか、ご無理はなさらないでくださいね……!」
「おう、任せとけ! ちょっと散歩してくるだけだ!」
俺はそう言って、王女様に力強く頷きかけると、テラスの手すりを軽々と飛び越えた。
(移動手段はどうするか……馬車は面倒だ。飛んでいくか。でも空は怖い……よし、低空飛行だ!)
翼を広げ、地面スレスレを猛スピードで滑空するように、俺は戦場となっている国境付近へと向かった。
国境近くの広大な平原には、想像を絶する光景が広がっていた。
大地を埋め尽くさんばかりの、小人の軍勢。
その数はまさに「七個軍」という表現が誇張ではないことを示していた。
身の丈は人間の半分ほどしかないが、その代わりに数が異常に多い。
密集した隊列は、まるで黒い絨毯のようだ。
重装甲に身を固めた歩兵、長い槍を構えた槍兵、無数の矢をつがえた弓兵。
さらには、蒸気を噴き出す小型のゴーレムのような、奇妙な機動兵器まで確認できる。
そして、彼らが持つ武具の一部が、やけに新しく、鈍い光を放っていた。
(……あいつら、やっぱり俺のゴーレムの鉄で武器作りやがったな?)
俺のプレゼントを勝手に使い込み、あまつさえ攻め込んできた。
怒りが再び込み上げてくる。
「ま、数が多いだけなら、どうということはねぇ!」
俺は小人軍の真正面に降り立ち、仁王立ちになる。
突然現れた俺の姿に、小人軍に動揺が走るのが分かった。
「なんだ、あの女は!?」
「竜の角と翼……!? まさか、あの噂の……!」
動揺する彼らを尻目に、俺は大きく息を吸い込んだ。
別にブレスを吐くつもりはない。
ただ、威嚇のために、ちょっと息を吹きかけてやるだけだ。
「ふぅぅぅぅぅぅううう!!!!」
俺が勢いよく息を吐き出すと、口から放たれたのはただの空気の塊ではなかった。
それは凄まじい暴風となり、小人軍の前衛部隊へと襲いかかった。
ゴオォォォッッ!!!
「うわぁぁぁぁぁ!!?」
「ぎゃあああああ!!?」
まるで巨大な扇風機に吹き付けられたかのように、小人軍の前列が面白いように吹き飛んでいく。
盾も槍も鎧も関係ない。
暴風に巻き上げられ、転がり、後方の部隊に衝突し、隊列は一瞬にして大混乱に陥った。
「な、なんだ今のは!?」
「風が強すぎる! 前に進めん!」
「立て直せ! 隊列を維持しろ!」
後方から指揮官らしき小人が必死に叫んでいるが、兵士たちは暴風の中で身動きが取れない。
(ふっ、この程度か)
俺は腕を組み、ドヤ顔で小人軍を見下ろした。
「どうした~? お前ら、侵攻するんじゃなかったのか~?」
その時、俺の後ろにいつの間にか追いついていた王国の近衛騎士が進み出て、降伏勧告を始めた。
「これ以上の侵攻は、王国への明確な敵対行為と見なす! 速やかに武器を捨て、撤退せよ!」
これで平和的に解決か、と俺が思った、その時だった。
(……やべっ)
俺の鼻が、むず痒くなってきた。
原因は明らかだ。
先ほどの息吹攻撃で、大量の砂埃が宙に舞い上がっていたのだ。
まずい、と思った時にはもう遅かった。
生理現象には逆らえない。
「っくしゅん!!!!」
ズドォォォォォン!!!!
今度こそ、本物のドラゴンブレスが炸裂した。
俺自身、狙ったわけではない。
ただ、くしゃみが出ただけだ。
だが、その威力は凄まじかった。
狙いは隣の何もない平野だったはずなのだが、勢い余ってか、小人軍の後衛部隊の一部を掠めてしまったらしい。
灼熱の閃光が走り、大地が抉れ、衝撃波と熱風が小人軍を襲う。
「ぎゃああああああああああ!!!!」
「し、死ぬぅぅぅ!!」
「もうダメだ……降伏だ!」
直接的な死者は(おそらく)出ていないだろうが、ブレスの余波を受けた兵士たちは、鎧がへこみ、武器は吹き飛び、全身土砂まみれになって転がっている。
完全に戦闘不能であり、何より戦意を根こそぎ奪われていた。
煙と砂埃が晴れた戦場には、呆然と立ち尽くす俺と、そして白旗を掲げて震えている小人軍の指揮官の姿があった。
「こ、降伏する……! 我々は、降伏する……!」
戦場に、静寂が戻る。
俺はようやく事態を飲み込み、思わずポツリと呟いた。
「俺、勝っちゃったか……」
こうして、七個軍もの大軍勢による王国への侵攻は、俺の意図しないくしゃみ一発によって、あっけなく幕を閉じたのだった。