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第12話:邪竜討伐! なお傷すらつかない

王宮での暮らしは、すっかり板についてきた。いや、正直に言えば、快適すぎて完全に堕落しきっていた。


「王宮サイコー!!」


俺は広大な王宮の風呂、その湯船の中で大の字になって手足を伸ばしながら、心の底から叫んだ。


乳白色の湯が肩まで浸かり、全身の力が抜けていく。


天井のガラス窓からは優しい月光が差し込み、水面にキラキラと反射している。


周囲では、数人の女官たちが微笑ましそうに(あるいは、また何かやらかさないかと警戒するように)俺を見守っている。


この生活、正直もう抜け出せる気がしない。


美味い飯、最高の風呂、そしてふかふかのベッド。


これ以上の贅沢がこの世にあるだろうか?


しかし、そんな怠惰な日々を送る中で、俺は意外なことに気づいた。


暇だ。


あまりにも快適すぎて、やることがないのだ。


戦う相手もいないし、特に達成すべき目標もない。


そんなわけで、最近の俺は、王宮の女官たちから様々な分野の学問を学ぶことにしていた。


歴史、農業、政治、経済、その他いろいろ。


最初は「めんどくせぇな」と思っていたのだが、実際にやってみると意外と面白い。


「へぇー、この国って昔、隣の国とめっちゃ戦争してたんだな。今の国王のじいさんの代に和平を結んだのか」


「牛の品種改良って、そんなに時間と金がかかるのかよ!? 下手すりゃ破産するってマジか……」


「貴族社会の仕組み? うーん、これはちょっと複雑すぎてよく分からん!」


もちろん、俺の頭の出来は平均的な現代日本人か、それ以下だ。


学んだ内容がどれだけ身についているかは怪しい。


だが、女官たちがそれぞれの専門分野について、時に真面目に、時に面白いエピソード(失敗談とか、昔の王様の珍行動とか)を交えながら教えてくれるので、俺は毎日飽きることなく「お勉強タイム」を楽しんでいた。


ただ、そんな平和な日々の中で、一つだけ気になることがあった。


(……そういや、ここ数日、国王見てなくね?)


普段なら、謁見の間や廊下、あるいは庭園あたりで必ずと言っていいほど姿を見かけるはずの王様が、ここ数日まったく見当たらないのだ。


新しい王妃様も同様だ。


(まあ、王様も王妃様も忙しいのか? それとも、新婚だから二人でゆっくりしてんのか?)


後者なら微笑ましいが、なんとなく引っかかる。


俺は王女様にそれとなく尋ねてみた。


「王女様ー、国王って今何してるの? 王妃様も見かけないけど」


すると、王女様は一瞬だけ視線を泳がせ、わずかに言い淀んだ。


「……ええと、父上と……王妃陛下は……少々、お忙しくされているようですわ」


(お? なんか誤魔化してる?)


妙に歯切れが悪い。


俺はニヤリと笑ってツッコもうかと思ったが、王女様の表情が微妙に真剣だったので、深入りするのはやめておいた。


まあ、王族には王族の事情があるのだろう。


そのうち分かるだろう、と俺は気楽に考えることにした。


しかし、運命とは皮肉なもので――俺はその日の午後、王宮の長い廊下で、ばったりと国王夫妻に遭遇することになった。


「おっ、王様! それに王妃様も! 久しぶりじゃん」


俺が気さくに声をかけると、国王は「む……竜の姫君か」と短く応じた。


久しぶりに間近で見る国王は、やはりどこか疲れた様子を隠せないでいた。


しかし、その目には奇妙な達成感というか、自信に満ちた光が宿っている。


何か大きな仕事をやり遂げた男の顔、という感じだ。


そして、その隣には――王妃。


相変わらず、ソシャゲに出てくる魔女キャラもかくや、というほどの妖艶な美貌とスタイル。


だが、以前会った時よりも、さらに肌艶が増し、なんというか……異様に艶々している。


そして、その表情。


以前は俺に対して怯えや警戒の色を見せていたのに、今はどこか悔しそうな、それでいて妙に満たされたような、非常に複雑な感情が読み取れた。


(あー……なるほど。国王が忙しかった理由、完全にこれか)


国王の妙な達成感。


王妃の艶々っぷりと複雑な表情。


状況証拠は揃っている。


俺は全てを察してしまった。


(王妃、なんかこの国で陰謀でも企んでたっぽいけど、それどころじゃなくなった……って感じか? 国王、やるじゃん。ある意味、物理攻撃よりえげつない方法で無力化したな……)


俺がそんな不埒な想像を巡らせていると、国王が俺の視線に気づいたのか、「(俺の)王妃には手を出すなよ」と言わんばかりの無言の圧力を放ってきた。


(いや、だから寝取りは趣味じゃねーって)


俺も同じく無言の圧力で返す。


王妃は王妃で、「(勝手に私のことでやり合わないでください)」とでも言いたげな、不機嫌そうな視線をこちらに向けている。


(いや、ガチで興味ないんで……。旦那いる人に手を出すほど困ってねぇし)


俺は心の中でそう念じ、軽く肩をすくめて見せた。


数秒間の、奇妙な沈黙と無言の牽制合戦。


結局、何事もなく俺たちはすれ違った。


王族の夫婦関係というのも、なかなか複雑らしい。


その後、俺は王女様が大臣たちから政務の報告を受けている部屋に顔を出していた。


国王が「多忙」のため、最近は王女様が代理で政務の一部をこなしているらしい。


「ふむふむ、それで隣国との関税交渉は……」


王女様は、難しい顔で書類に目を通している。


その真剣な横顔は美しく、そして健気だ。


俺は特にやることもないので、隣の椅子に座って、その様子を(半分上の空で)眺めていた。


「姫様がいらっしゃると、やはり場が引き締まりますな」


大臣の一人が、俺におべっかを使ってくる。


(いや、俺なんもしてねぇけど)


内心でツッコミを入れつつ、あくびを噛み殺す。


正直、こういう小難しい話は苦手だ。


早く終わらないかな、と思っていた、その時だった。


ガシャァァァァン!!!


突如、部屋の大きな窓ガラスが、爆音と共に粉々に砕け散った!


鋭い破片が室内に飛び散り、大臣たちが悲鳴を上げて身を伏せる。


護衛の騎士たちが即座に王女様を庇うように前に出る。


粉塵が舞う中、割れた窓枠に一つの人影が立った。


「ここが王宮か!! 悪しきドラゴンよ、覚悟しろ!!!」


逆光で顔はよく見えないが、その声には聞き覚えがあった。


金色のポニーテールが揺れ、動きやすそうな軽装(短パン姿)に、手には神々しい光を放つ剣。


間違いない、以前、俺に喧嘩を売ってきたあの生意気な勇者だ。


彼女は鋭い瞳で室内を見渡し、一直線に俺を指差した。


「はっはっは!! ついに見つけたぞ!! 貴様がこの国を乗っ取ったと噂の邪悪なる竜の姫君だな!!?」


(は? 邪竜? 俺が? しかも国を乗っ取った? 何言ってんだこいつ、まだそんな勘違いしてたのかよ)


あまりの言い掛かりに、俺は呆れてものが言えない。


「いや、違うけど?」


とりあえず否定しておく。


「黙れ!!! 問答無用!!!」


だが、勇者は俺の言葉など聞く耳を持たない。完全に頭に血が上っているようだ。


「魔王を討つのが勇者の使命! だが、お前のような悪しき竜も、この聖剣――いや、神剣で討ち滅ぼしてくれる!! 覚悟しろ!」


(神剣? いや国王の聖剣と比べても力が弱いぞそれ)


そんなことを呑気に考えている間に、勇者の姿が掻き消えた。


シュンッ!!!


まるで瞬間移動だ。


一瞬で俺の目の前に現れると、躊躇なく剣を振り下ろしてきた。


その動きは以前よりもさらに速く、鋭くなっている。


(うおっ、速っ!)


さすがの俺も、咄嗟に防御の体勢を取ろうとした。


だが、わずかに間に合わない。


ヒュッ……スパァァン!!!


勇者の剣が、俺の顔面――額のあたりを直撃した!


「いってぇぇぇぇぇ!!!」


俺は思わず顔を押さえて、その場にしゃがみ込んだ。


ゴーン、と頭の中で鐘が鳴るような衝撃。


目の前がチカチカする。


物理的なダメージはない。


皮膚に傷一つついていないし、血も出ていない。


ドラゴンの体は伊達じゃない。


だが、衝撃はしっかりと伝わってきた。


硬い金属バットで思いっきり殴られたような、鈍くて重い痛み。


脳がぐわんぐわんと揺さぶられる感覚。


(普通に痛いんだけど!? なにこれ!? 本当に神剣!? カウンター技!? ズルくね!?)


生理的な涙が、じわりと目に滲む。


そんな俺の様子を見て、勇者は自信満々に胸を張った。


「どうした? 痛いか!? さすがの邪竜でも、この勇者の神剣の一撃には敵わないようだな!! 見よ、これが正義の力だ!」


得意げに剣を掲げる勇者。


だが、彼女はすぐに自分の剣を見て、そして俺の顔を見て、異変に気づいた。


「……え?」


彼女の剣には、血はおろか、何かを斬ったような手応えすら残っていない。


それどころか俺の頑丈さに負けて少し歪んでいる。


そして、俺の額。


そこには傷一つなく、赤くすらなっていない。


ただ、俺が「痛い痛い!」と大げさに涙目で騒いでいるだけ。


その間にも、俺が反射的に力を込めたせいで(全くの無意識に)、足元の豪華な絨毯の下の大理石の床に、ミシミシとヒビが入り始めていた。


「え? ちょ、待って……なんで、ダメージが通らないの……? 嘘でしょ……? 全然効いてない……?」


勇者の顔から、みるみる自信が消えていく。


代わりに浮かんでくるのは、信じられないものを見たかのような、愕然とした表情。


傷一つない(しかし涙目の)竜と、最強の一撃が全く通用しなかった事実に呆然とする勇者。


二人の間に、何とも言えない奇妙な空気が流れる。


「知らんよ、こっちが聞きてぇわ!!」


俺は涙を拭い、怒りと理不尽さで拳を握りしめながら、反撃のために立ち上がろうとしていた。

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