神竜(見習い)に進化した俺だが、そもそも気付いてないし生活にも変化はない。
相変わらず王宮での生活は最高だ。美味い飯、極上の風呂、そしてふかふかのベッド。
王女様は優しいし、最近は生意気勇者との口喧嘩も日常のスパイスとして悪くない。
「ふぅ~、幸せだなぁ」
その日も俺は、王宮のテラスに置かれた豪華なソファにごろりと寝そべり、侍女が運んできた出来立ての焼き菓子を頬張っていた。サクサクの生地と甘いクリームが口の中で溶けていく。
まさに至福のひとときだ。
しかし、そんな俺の平和な日常を、遠巻きに見ていた人物がいた。
そして――ついに、その我慢の限界が来たらしい。
「ちょっと、あなた! いい加減にしなさいよ!!」
突然、鋭い声が響いた。
見ると、いつの間にか隣の椅子に座っていた生意気勇者が、呆れと怒りが混じった顔で俺を睨みつけている。
「いつまでダラダラしてるつもり!? 王女様だって毎日公務で忙しくしてるっていうのに、あなたは一日中食っちゃ寝してるだけじゃない! 少しは何か仕事したらどうなのよ!」
うわ、正論。
正論すぎて反論できない。
俺は口の中の菓子をもぐもぐさせながら、面倒くさそうに勇者を見た。
「うっせーなー……俺は竜だぞ? 竜がホイホイ働いてたまるか。威厳ってものがだな……」
「その威厳とやらで体重が増えてるんじゃないの!?」
「うぐっ!?」
痛いところを突かれた。
いや、まだ体重計に乗ったわけじゃないが、最近なんとなく動きが鈍いような……気がしないでもない。
俺が内心焦っていると、タイミングよく、今日の講義担当の女官がやって来た。
「姫様、今日の講義は『牛の品種改良』の続きですが……その前に、少しよろしいでしょうか?」
女官はにこやかに挨拶すると、俺の姿を見て、ふわりと微笑んだ。
「それにしても姫様……最近、少しふっくらなさいましたね。柔らかな雰囲気で、とても可愛らしいですわ」
(ふっくら?)
俺の思考が、一瞬停止した。
(ふっくら? 俺が?)
(可愛らしい?)
俺はゆっくりと、己の体を見下ろした。……確かに、以前はもう少し引き締まっていたような……気がする。試しに、腰のあたりをつまんでみる。
(つまめる!?)
嘘だろ!? この、ドラゴンの超絶スペックボディが、だらけきった生活のせいでたるんできているというのか!? しかも「ふっくらして可愛らしい」とか言われてる場合じゃない! これは、俺(元男)のプライドに関わる大問題だ!
(やばい! このままじゃデブゴン姫(♂)として歴史に名を残してしまう! それだけは絶対に嫌だ!)
危機感を覚えた俺は、ちょうど「もう知らないわよ!」と呆れて立ち去ろうとしていた生意気勇者の肩を、背後からガシッ!と力強く掴んだ。
「ひゃっ!? なんだよ、急に!!」
驚いて振り返る勇者に、俺は真剣な、いや、鬼気迫る表情で宣言した。
「一緒に仕事しに行こうぜ!! ダイエットだ!!」
「はぁ!? 仕事!? ダイエット!? 何を言って……ちょ、離しなさいよ! 人の話を聞け! ぎゃああああ!!?」
有無を言わさず、俺は生意気勇者を小脇に抱え上げると、そのまま中庭へと猛ダッシュ! 困惑する女官や侍女たちの視線を背に受けながら、俺はダイエット(という名の仕事)へと旅立つことを決意したのだ。
「どこ行く気だよ!? まず行き先くらい言いなさいよ!」
「仕事!」
「だから、何の仕事よ!? 急すぎるわ!! 説明しろ!」
勇者の絶叫など完全に無視し、俺は中庭で軽く助走をつけると、翼を広げて空へと飛び上がった!
バサァッ!!!
今回は宇宙のトラウマがあるので、高度はあまり上げない。
地上100メートル程度の低空を維持する。
しかし、速度は別だ! ダイエットのためにはカロリーを消費しなければ!
ゴォォォォォ!!!
「うわあああああああ!!!??? たかっ!! はやい!! 目が! 目がああああ!! おろせえええ!!!」
俺の腕の中で、生意気勇者が涙目で絶叫している。
まあ、いきなり音速近いスピードで飛ばされれば、そうなるのも無理はない。
しばらく飛行を続け、俺たちは目的地――かつて栄えていたが、魔王軍によって完全に滅ぼされたという国の跡地――の上空に到達した。
眼下に広がるのは、荒涼とした大地。
破壊された建物の残骸が痛々しく点在し、人の気配は全く感じられない。
空気そのものが重く、死者の怨念が渦巻いているような、陰鬱な雰囲気が漂っていた。
「……なんだ、ここ……ひどい……」
さっきまで騒いでいた勇者も、眼下の惨状を見て言葉を失っている。
俺はゆっくりと高度を下げ、荒れ果てた大地を見渡した。
すると、遠くに黒い影の一団が見えた。
見覚えのある、禍々しいオーラを放つ黒い鎧。
以前、俺が戦った魔王軍の黒騎士たちだ。
どうやらここは、彼らの再編部隊の訓練場か、あるいは新たな拠点として利用されているらしい。
「……いたな。あいつらが今日の仕事相手だ。……いや、ダイエット相手か」
俺はニヤリと笑みを浮かべた。
「なぁ勇者。お前、もうやる気出た?」
俺が尋ねると、勇者は戦場の惨状と目の前の敵を見て、即座に戦士の顔つきに戻っていた。彼女の瞳に、強い決意の光が宿る。
「……当たり前だ。あんな奴ら、許しておけない」
「よし、じゃあ――突撃だ!!!」
俺たちは同時に地面を蹴り、黒騎士たちの一団――その中心にいる指揮官らしき男――めがけて突進した!
俺たちの接近に気づいた指揮官は、俺の姿を認めると、憎々しげに顔を歪めた。
「また貴様か、忌々しい竜め……! ここは偉大なる魔王軍の領域ぞ! 今日こそ貴様を八つ裂きにしてくれるわ!」
「悪いが、格付けはもう済んでるんだわ」
俺は指揮官の言葉を冷ややかに遮る。
「お前と俺じゃ話にならない。だから、戦う相手を変えてやるよ」
俺は指揮官を指差し、次に隣の生意気勇者を示した。
「お前、こいつ(勇者)と戦え。お似合いだろ? 生きてたら、まあ、俺が再戦くらい考えてやらんでもない」
完全に上から目線の挑発。指揮官は屈辱に顔を赤く染めたが、隣に立つ生意気勇者がすでに剣を抜き放ち、鋭い闘気を放っているのを見て、ゴクリと喉を鳴らした。
「……いいだろう! その小娘から片付けてやる!」
「そっちこそ、油断しないでよね!」
勇者と指揮官が激しく斬り結び、火花を散らす。それを横目に、俺は残りの黒騎士たちに向き直った。
「さて、俺は雑魚掃除といくか!」
俺が言い放つと、数十人の黒騎士たちが一斉に俺に襲いかかってきた。
剣や槍が、殺意と共に俺に迫る。
「さぁ、お前ら全員まとめて――かかってこい!!」
しかし――
「――遅い」
ドカァァァン!!!
俺の拳と蹴りが炸裂する。黒騎士たちの鎧は紙のように砕け散り、その体は木の葉のように吹き飛んでいく。
悲鳴を上げる間もない。
まさに蹂躙。
瞬く間に、黒騎士たちの数は半分以下になっていた。
(よし、この調子でダイエットだ!)
俺がさらに攻撃を加えようとした、その時だった。
ゾワリ、と背筋に悪寒が走った。地下から、異様な冷気と、濃密な負の気配が立ち上ってくる。
ゴゴゴゴゴ……!
足元の地面が不気味にひび割れ、そこから半透明の人影が無数に湧き出してきた! それは、この地で無念の死を遂げた者たちの怨霊だった。
その数は数百、いや、もっと多いかもしれない。
「……なんだこれ?」
怨霊たちは、憎しみに満ちた目で、近くにいた黒騎士たちに一斉に襲いかかった!
「グワァァァ!?」
「な、何だこいつら!?」
実体を持たない怨霊の攻撃は黒騎士たちに物理的なダメージを与えられない。
しかし、その冷気と憎悪の念は彼らの精神を蝕み、動きを鈍らせる。
黒騎士たちも必死に応戦するが、聖なる力を持たない彼らの攻撃は怨霊にほとんど通用しない。
突然現れた第三勢力に、戦場はさらなる混乱に陥った。
(……どうすんだこれ? どっちに加勢すりゃいいんだ? いや、どっちも敵か?)
俺が状況を見極めようとしている間にも、怨霊の妨害を受けた黒騎士たちは、生意気勇者や、あるいは同士討ちのような形で次々と倒れていく。
やがて、指揮官を除く黒騎士がほぼ全滅すると、怨霊たちの動きが変わった。
復讐を遂げた満足感からか、多くはそのまま光の粒子となって消えていく。
だが、一部の怨霊――特に強い憎しみを持つものなのか――は、近くにあった黒騎士の死体に憑依し、新たな敵として俺たちの前に立ちはだかった!
「……マジかよ。面倒くせぇな」
死体に憑依した怨霊は、生前の黒騎士よりも動きが素早く、力も増している。
しかも、痛みを感じないためか、躊躇なく突っ込んでくる。
「しゃーねぇ、こいつらも片付けるか!」
俺は再び拳を握りしめ、生意気勇者(指揮官を追い詰めていたが、結局逃げられたようだ)と背中合わせになる。
「やるわよ!」
「おう!」
竜と勇者のコンビネーションが炸裂する。
俺が圧倒的なパワーで敵の体勢を崩し、勇者が剣で的確にとどめを刺す。
憑依された死体は頑丈だったが、俺たちの敵ではなかった。
やがて、最後の怨霊も光となって消え去り、戦場には再び静寂が訪れた。
後に残されたのは、夥しい数の遺体。
魔王軍の黒騎士たちのもの、そして、おそらくはこの地でもともと暮らしていたであろう、無数の人々の亡骸だった。
「……まあ、見過ごすわけにもいかねぇよな」
俺はため息をつき、生意気勇者と顔を見合わせた。
彼女も静かに頷く。
俺たちは黙って、遺体を一つ一つ丁寧に(黒騎士の死体はかなり雑に)埋葬し始めた。
ドラゴンの力で大きな穴を掘り、勇者の力で土をかける。
それは、この戦いで失われた命に対する、俺たちなりの弔いだった。
全ての遺体を埋葬し終えた頃には、空は夕焼けに染まっていた。
(……少しは、痩せたかな?)
俺は自分の腹をさすりながら、そんなことを考えていた。
一仕事終えた満足感と、この地に漂う悲しみの記憶。
そして、あの黒騎士たちが使っていた呪われた武具の謎。
新たな疑問を抱えながら、俺たちは王宮への帰路につくことにした。