王宮の一室。
そこでは、国王陛下と主要な大臣たちが、広げられた大きな地図を前に、深刻な顔つきで議論を交わしていた。
魔王軍の不穏な動き、周辺諸国の動向、蠢動する悪魔たち。
王国を取り巻く状況は、決して楽観視できるものではないらしい。
「魔法大国との同盟は結ばれたが、他の国々がどう動くか……予断を許さぬ状況ですな」
「魔王軍がいつまで手段を選んでいるかも重要だ」
「水源への攻撃ですか。万が一にも汚染されるような事態になれば、国の存亡に関わる……」
聞こえてくるのは、そんなシリアスな会話ばかり。部屋の空気は重く、緊張感が漂っている。
……が、そんな中で俺はといえば。
(あの魔法少女衣装、王妃様が着たらどうなるかな……? さすがに無理があるか? いや、でも意外と似合ったりして……?)
(待てよ、侍女ちゃんたちの色違いバージョンとか作ったら、戦隊モノみたいでカッコよくね?)
会議の内容など完全に右から左へ聞き流し、もっぱら魔法少女衣装のデザインバリエーションについて、真剣に(?)思考を巡らせていた。
俺の関心事は、いつだって世界の危機より自分の興味が優先されるのだ。
わざとらしい咳払いが聞こえ、俺はハッと我に返った。
国王が、じっと俺の顔を見ている。
「竜の姫君」
その声には、わずかに呆れの色が混じっているような気もしたが、気のせいだろう。
「貴殿のおかげで我が国は何度も危機を脱している。その功績には心から感謝している。
しかし、忘れてはならぬ。
この戦いは、王家の存続どころか、我々人類という種の存続すら危うくする可能性を秘めた、総力戦なのだ」
「へぇ? でも国王は悪魔だって倒せるんだろ? 騎士団もまあまあ強いみたいだし、なんとかなるっしょ」
俺が相変わらずの軽いノリで返すと、国王は深いため息をついた。
こいつ、俺の能天気さに付き合うのも疲れてきたのかもしれない。
会議が一段落し、疲れた顔の大臣たちが退出していく。
俺も「じゃあなー」と軽く手を振って部屋を出ようとすると、生意気勇者が、珍しく深刻そうな表情で廊下の隅に立ち尽くしているのが目に入った。
「どうした? らしくないな、そんな暗い顔して」
俺が声をかけると、彼女は俯いていた顔をゆっくりと上げた。
その目には、普段の勝気な光はなく、深い憂いの色が浮かんでいる。
「……私の、故郷の国が……魔王軍に攻められて、かなり危ないらしいの」
ぽつりと、絞り出すような声で彼女は打ち明けた。
彼女の故郷は、この王国とは別の、山間に位置する比較的小さな国だという。
魔王軍の中でも特に凶暴とされる、巨人族の部隊に侵攻されているらしい。
(へぇ、こいつにも故郷とかあったんだな。巨人族ねぇ……デカいんだろうな。まあ、助けに行ってもいいけど、正直ちょっと面倒くさいな……)
俺は最初、そんな風に軽く考えていた。
他国の戦争に首を突っ込む義理もない。
だが、彼女が力なく付け加えた言葉が、俺の思考を一変させた。
「……それに、あの国は、古くから地母神様を主神として篤く信仰している国なのよ……。神殿も、今、巨人たちの攻撃に晒されているって……」
(地母神!?)
その名を聞いた瞬間、俺の脳内で電撃が走った。
地母神! あの、俺を重力の力で地面に繋ぎ止め、宇宙の恐怖から救ってくれている(と俺が勝手に信じている)、超ありがたい女神様か! その女神様を熱心に信仰している国がピンチ!? しかも神殿まで危ない!?
「――なにぃ!? それ、もっと早く言えよ!!!」
俺は突然、大声で叫びながら立ち上がった。さっきまでの面倒くさそうな態度はどこへやら、全身に義侠心――いや、勘違いに基づいた恩返しの使命感――が燃え盛る。
「地母神様には、重力の件でめちゃくちゃ世話になってるんだ! この恩を返さずして、何がドラゴンだ! 行くぞ、勇者!!!」
「はぁ!? ちょっ、待っ――話は最後まで聞きなさ――ぎゃああああ!!」
またしても、俺は有無を言わさず生意気勇者を(今度は姫様抱っこで)抱え上げると、近くの窓を蹴破って(もう直すのも面倒だろう)王宮から勢いよく飛び立った!
「目標、勇者の故郷! 地母神様への恩返しだ!!!」
俺は勘違いに基づいた熱い使命感に燃え、一直線に勇者の故郷へと向かった。
勇者の故郷は、想像以上に悲惨な状況だった。
国境の防壁は無残に破壊され、街のあちこちから黒煙が上がっている。
そして、国の中心にある小高い丘の上、最後の砦となっている神殿の前では、絶望的な戦いが繰り広げられていた。
地響きを立てながら、巨大な棍棒や岩を振り回すのは、身長8メートルはあろうかという巨人族の戦士たち。
彼らは、神殿を守ろうとする兵士たちを、まるで虫けらのように蹴散らしていく。
神殿の正門前。
ひときわ巨大で、全身が傷だらけの筋肉で覆われた巨人族の族長が、下卑た笑みを浮かべて立っていた。
その前で、必死に剣を構えているのは、まだ十代前半にしか見えない一人の少年。
その顔立ちは驚くほど整っており、金色の髪が汗で額に張り付いている。
まさに絵に描いたような美少年。
しかし、その表情は必死で、今にも心が折れてしまいそうだ。
「くっ……まだ……負けません……! ここは通しません!」
少年――この国の若き勇者――は、震える声で叫ぶが、その剣は巨人族の族長の硬い皮膚に傷一つつけられない。
「ククク……小僧、よく抵抗した。だが、もう終わりだ!」
巨人族の族長は、巨大な棍棒を軽々と振り上げ、美形……美ショタ勇者でいいか。
とにかく勇者にめがけて振り下ろそうとした! まさに絶体絶命!
その瞬間だった。
ヒュンッ!
空から、何かが猛スピードで落下してきた! それは、俺から飛び降りた生意気勇者だった!
ドガッ!!!
落下してきた生意気勇者の踵が、見事に巨人族族長の肩口にクリーンヒット! 硬い骨が砕けるような鈍い音が響く。
「グォアアアアアッ!!?」
族長は激痛によろめき、棍棒を取り落とす。
生意気勇者は、ふわりと軽やかに着地すると、痛みに呻く族長を見下ろし、鼻を鳴らした。
「温いんだよ、このデカブツ!!」
そして、族長の巨体に似合わない弱さに呆れたように呟く。
「へっ、何だよ。アイツと比べたら速度も力も格下も格下じゃん。守りまでペラッペラね。これで族長とか笑わせる」
その颯爽とした(?)登場に、美ショタ勇者は目を輝かせた。
「せ、先輩!!! ご無事だったのですね! よかった……!」
彼は生意気勇者に駆け寄り、安堵の表情を浮かべる。
どうやら二人は先輩後輩の間柄らしい。
「そっちこそ、よく持ちこたえたわね。感心感心」
生意気勇者が、後輩の頭をわしゃわしゃと撫でる。
しかし、すぐに表情を引き締め、周囲の巨人たちを睨みつけた。
その数は依然として多く、状況は決して楽観できない。
一方、上空でその様子を見ていた俺は。
(よし、俺の出番だな!)
二人の勇者を援護するため、そして何より地母神様への恩返し(?)を完遂するため、俺はドラゴンブレスを放つべく、大きく息を吸い込み、喉の奥に力を溜め始めた。
だが――。
(やべぇ……力がうまくコントロールできねぇ……! なんか強くなってる?)
今回は味方を巻き込まず、神殿も壊さないように、と意識しすぎたせいか、溜め込んだエネルギーが安定しない。
喉の奥で力が暴走しそうで、狙いが全く定まらない。
地上では、俺のヤバい気配に気づいた生意気勇者が顔面蒼白になっていた。
「……っ!? まずいわ! 早く神殿の中に逃げ込め!」
彼女は美ショタ勇者の腕を掴み、叫ぶ。
「……あの馬鹿っ!! また力を込めすぎてる!! しかも狙いがブレブレよ! 下手したら私らごと吹っ飛ぶわよ!!!」
まさにその時、肩の痛みに耐えながらも怒りに燃える巨人族の族長が、最後の力を振り絞って号令をかけた。
「う、うろたえるな! 全軍、突撃ィィィィ!!!! あの小娘どもと、空にいる忌々しい竜をまとめて叩き潰せ!!!」
ドドドドドドドドドドッ!!!!
残っていた巨人たちが、雄叫びを上げながら神殿へ向かって一斉に突撃を開始する!
絶体絶命の状況! そして、俺のくしゃみも、もはや限界だった!
「ハ……ハ……ハックショオオオオオオオオオオイ!!!!!!!」
ゴオオオオオオオオオオオオオッ!!!!
俺の口から放たれたのは、もはやただのブレスではない。
神竜(見習い)としての力が無意識に加わった、超々弩級の破壊光線だった。
それは、狙いが定まらなかったおかげで(あるいは神殿を守る何らかの力が働いたおかげで)、神殿と勇者たちがいる場所を奇跡的に避け、突撃してきた巨人族の大群を真正面から薙ぎ払った!
灼熱の閃光が戦場を包み込み、衝撃波が大地を揺るがす。
巨人たちの断末魔の悲鳴すら、轟音にかき消される。
光が収まった時、そこに広がっていたのは、信じられない光景だった。
神殿とその周辺は、まるで奇跡のように無傷。
しかし、その少し先から向こうは、大地が抉れ、焦土と化し、巨人族の姿は影も形もなかった。
「ひ……ひぃぃぃぃ!!!」
「に、逃げろおおおおお!!!」
かろうじてブレスの範囲外にいて生き残った巨人たちが、恐慌状態に陥り、我先にと逃げ出していく。
その背中に、もはや戦意など微塵も残っていなかった。
戦いが終わった静寂の中、俺はゆっくりと地上に降下していった。
朝日が俺の背後から差し込み、白銀の髪と、いつの間にか着ていた白いドレスをキラキラと輝かせる。
その姿は、偶然にも非常に神々しく見えた。
生き残った神殿の人々や兵士たちは、そのあまりにも神々しい(ように見える)俺の姿を見て、次々と地面にひれ伏し、祈りを捧げ始めた。
「か、神の御使いだ……!」
「竜の姫君……いや、神竜様が我々をお救いくださったのだ……!」
意図せず、俺はこの地で神として崇められることになってしまった。
そんな中、美ショタ勇者だけが、ひれ伏すことなく、呆然と俺の姿を見上げていた。
その大きな瞳には、純粋な憧れと、尊敬と、そして……わずかに熱っぽい、特別な感情の色が浮かんでいた。
「……きれい……」
小さく呟かれたその言葉と、彼の頬がほんのり赤く染まっているのに、俺は気づいた。
(お?)
その純粋な好意の視線に、俺の心が一瞬、ときめいた。
(こいつ、可愛い後輩って感じでなかなかいいじゃん)
しかし、すぐに我に返る。
(いや、待てよ? こいつ……確か……)
「……なんだ、男かー」
俺のテンションは、急降下して平常値に戻った。
「ええ……」
俺の声が聞こえていたらしく、美ショタ勇者はガックリと肩を落とすのだった。