ガタンゴトン、ガタンゴトン……。
揺れる馬車の中、俺は窓の外をぼーっと眺めていた。
王宮を出発して半日。
エルフの国とやらは、王女様の国から見ると結構な距離があるらしい。
「えー、馬車かよ、遅ぇな……飛んだら一瞬だろ」
俺が不満を漏らすと、向かいの席に座る生意気勇者が地図から顔を上げた。
「今回ばかりは仕方ないでしょ。あんたみたいに目立たず、静かに状況を探る必要があるんだから」
「それに、街道沿いの村で情報収集もできるかもしれません」
隣に座るレオナルド騎士団長も、真面目な顔で付け加える。
うーん、正論。
正論だけど、こののんびりした移動は性に合わねぇ。
俺はドラゴンなんだぞ? 音速(近く)で空を駆け抜けるのがデフォなんだよ。
「なあ、エルフの国の飯って美味いのか?」
退屈しのぎに、俺は一番気になることを聞いてみた。
「やっぱ森の幸とか? 木の実とか? まさか草だけとか言わねぇよな?」
「あんたは本当に食べ物のことばっかりね……」
生意気勇者が呆れたように溜息をつく。
「それより森の異変よ。魔物が凶暴化してるって話じゃない。相当危険かもしれないわよ」
「ふーん、まあ、俺が行けばなんとかなるだろ!」
俺が根拠のない自信と共に言い放つと、レオナルドが静かに口を開いた。
「エルフの国は古来より精霊との繋がりが深い土地。その森に異変となれば、ただ事ではありませんな。我々も気を引き締めて臨まねば」
真面目だなぁ、この騎士団長は。まあ、それがこいつの良いところなんだろうけど。
そんな会話を続けているうちに、馬車は速度を落とし、やがて森の入り口近くにある集落へと到着した。
だが、その集落の雰囲気は、活気があるとは言い難かった。
家々は古びており、道行くエルフたちの表情もどこか暗い。
俺たちが乗ってきた立派な王宮の馬車を見ても、遠巻きに見るだけで、歓迎するような空気は感じられない。
「……思ったより、状況は深刻そうだな」
レオナルドが眉を寄せる。
俺もなんとなく、ただの魔物騒ぎじゃない嫌な予感を感じていた。
馬車を降りると、数人のエルフが俺たちを出迎えた。
昨日王宮で会った特使のエルウィンもいる。
彼らは深々と頭を下げ、俺たちを代表者の元へと案内した。
集落の中央にある、ひときわ大きな木の家。その前に、他のエルフたちとは違う、特別な気配を纏った少女が静かに立っていた。
「こちらが我が国の姫、エリアーヌ様にございます」
エルウィンが恭しく紹介する。
俺は思わず、その少女に見入ってしまった。
陽の光を浴びてキラキラと輝く、柔らかな銀色の長い髪。
俺の、月光のような鋭い銀髪とは違う、優しい光沢だ。
雪のように白い肌に、尖った耳。
そして何より印象的なのは、深い森の色を映したような、大きく澄んだ翠色の瞳だった。
服装は質素な緑色のドレスだが、その立ち姿には紛れもない気品が漂っている。
美しい。
だが、その表情は国の状況を憂いているのか、どこか儚げで、物憂げな影を落としていた。
(おっ……)
俺好みの派手さや色気はない。
ないが、これはこれで……うん、アリだな。
守ってやりたくなるタイプ、ってやつか?
「ふーん、こいつが姫か」
俺がいつも通りの軽い口調で言うと、生意気勇者が肘で俺の脇腹を軽く小突いた。
失礼だろ、ってことか。
まあ、今のはちょっとデリカシーがなかったかもしれん。
「遠路はるばる、ようこそお越しくださいました、竜の姫君様、勇者様」
エリアーヌ姫は、静かに、しかし芯のある声で話し始めた。
その声は鈴を転がすように美しかったが、どこか力がなかった。
「我が国の窮状、お聞き及びのことと存じます。森の異変は、日増しに深刻さを増しております……」
彼女の説明は、エルウィン特使から聞いた話よりもさらに具体的だった。
森の広範囲で魔物が凶暴化し、時には集落近くまで現れること。
森の植物が急速に枯れ、命の源であるはずの泉の水が濁り始めていること。
そして、森と共に生きてきたエルフにとって最も深刻なのは、森を満たしていた精霊たちの力が弱まり、彼らの声がほとんど聞こえなくなってしまっていることだった。
「森の精霊たちが……力を失っている?」
生意気勇者が息を呑む。
エルフにとって精霊との繋がりは生命線のはずだ。
それが失われつつあるというのは、国の存亡に関わる一大事だろう。
「はい……。調査に向かった兵士や狩人の多くも、戻ってはまいりません……」
エリアーヌ姫は唇を噛み、俯いた。
その姿は、見ているこっちまで胸が締め付けられるようだ。
「……なるほどな。状況は分かった」
俺は腕を組む。
「よし、さっさとその異変の森とやらに案内しろ。俺が原因をぶっ飛ばしてやる」
「し、しかし、森は危険です……!」
エルウィンが慌てて制止しようとするが、エリアーヌ姫は静かに首を振った。
「いいえ、エルウィン。もはや、この方々のお力に頼るしか道はないのかもしれません。……竜の姫君様、勇者様、どうか、わたくしたちをお助けください」
彼女は深々と頭を下げた。
その必死な想いが伝わってくる。
「へいへい、任せとけって」
俺は軽く肩をすくめ、森の奥へと視線を向けた。
エリアーヌ姫の案内で、俺たちは異変が起きているという森へと足を踏み入れた。
護衛として、数人のエルフ兵士も同行している。
森に入った途端、空気が一変した。
ひんやりと湿ってはいるが、生気を感じられない、重く淀んだ空気。
木々は枝を不気味に捻じ曲げ、葉は色褪せて枯れ落ちている。
地面を踏む音以外、鳥の声も虫の音もほとんど聞こえない。
不気味な静寂が、森全体を支配していた。
「うわ……これはひでぇな」
俺も思わず眉をひそめる。
これはただ事じゃない。
「精霊たちの嘆きが聞こえるようです……」
エリアーヌ姫が、悲しげに呟いた。
その時だった。
ガサガサッ!と茂みが激しく揺れ、そこから何かが飛び出してきた!
「グルァァァ!!」
それは、通常の倍近くまで巨大化した狼だった。
目は赤く充血し、口からは涎を垂らし、明らかに凶暴化している。
しかも一匹じゃない。
次々と茂みから姿を現し、俺たちを取り囲むように威嚇してきた。
レオナルドが鋭く指示を飛ばし、騎士たちが盾を構える。
エルフ兵士たちも弓に矢をつがえた。
「うおっ、思ったよりやるじゃん!」
俺はちょっと面白くなってきた。
「まずは小手調べだ!」
俺は一番近くにいた狼に向かって、軽く拳を振るった。
手加減はしたつもりだが、それでも狼は「キャン!」という情けない悲鳴を上げて、木の幹に叩きつけられて動かなくなった。
「やりすぎよ!」
生意気勇者が新調した剣を抜き放ち、別の狼に斬りかかる。
鋭い剣閃が、凶暴化した魔物を切り裂く。
「風よ、彼の者を打ち砕け!」
エリアーヌ姫も杖を構え、精霊魔法を放つ。
鋭い風の刃が狼を襲うが、その威力は普段よりも明らかに落ちているようだった。
姫の表情が悔しそうに歪む。
「こいつら、なんか変な力で無理やり強化されてるみてぇだな……」
俺は狼の死骸を蹴り飛ばしながら呟いた。
単純な凶暴化だけじゃない。
何か、不自然な力が働いている気がする。
数分の戦闘の後、狼の群れはなんとか退けた。
だが、一行の表情は晴れない。
森の異変は、予想以上に根が深いようだ。
「この先に、かつて……わたくしの祖先が守っていた聖なる泉がございます」
エリアーヌ姫が、森のさらに奥を指差しながら言った。
その瞳には、不安と、わずかな希望が揺れている。
「もしや、その泉が汚染されているのでは……それが、この異変の原因なのかもしれません」
「よし、行ってみるか」
俺はニヤリと笑った。「原因が何であれ、俺がぶっ飛ばせば解決だろ!」
俺たちは、異変の中心地と思われる聖なる泉を目指し、さらに森の奥深くへと進むことを決意した。
不気味な気配は、ますます色濃くなっていく。
一体何がいるのか、楽しみだぜ。