「グルオオオォォォ!!!」
獣の咆哮とも、泥の塊がうごめく音ともつかない、不気味な音が響き渡る!
次の瞬間、瘴気を切り裂くように、巨大な影が俺たちの前に躍り出た!
それは、明確な形を持たない、巨大なヘドロの塊のような怪物だった。
強いて言えば人型に近いが、その表面は常に不気味に蠢き、変化している。
顔があるべき場所には、ただ虚無を映すような黒い空洞が二つ。
全身からは、触れただけで魂まで腐り落ちそうな、強烈な負のオーラと腐臭が放たれていた。
(うわ、キモっ……! 見た目も存在も生理的に無理! こいつが元凶か!)
「あれが……泉を汚す元凶……!」
エリアーヌ姫が恐怖と怒りに震える。
「とんでもない邪気ね……! みんな、気を引き締めて!」
生意気勇者が剣を構える!
「総員、陣形を! 姫様(エリアーヌ)をお守りしろ!」
レオナルドが檄を飛ばす!
「フシャアアアァァァ!!!」
汚染体は耳障りな叫び声を上げると、そのヘドロ状の体から無数の黒い触手を蛇のように伸ばし、俺たちに襲いかかってきた! 同時に、空洞のような口(?)から、濃密な瘴気のブレスを吐き出す!
「ちっ、まずは様子見だ!」
俺は瘴気をサイドステップでひらりとかわし、迫りくる触手の一本に拳を叩き込む! ドゴン!と鈍い音が響くが、パンチは粘つくヘドロに吸収されるような感触で、思ったよりダメージが入らない。
「うわっ、物理効きにくいタイプかよ! めんどくせぇ!」
「はぁっ!」
生意気勇者が剣で別の触手を斬りつける! 聖なる(?)力は多少有効らしく、斬られた部分は黒い煙を上げて消滅する。
だが――
「再生してる!? キリがないわ!」
斬られたそばから、汚染体の本体から新たな触手がにゅるりと生えてくる。
これじゃ埒があかない!
「風よ、彼の者を打ち砕け!」
エリアーヌ姫も杖を掲げ、必死に精霊魔法を放つ。
鋭い風の刃が汚染体を襲うが、森の汚染の影響で威力が半減しているのか、ヘドロの表面を滑るだけで弾かれてしまう。
「くっ……精霊の力が、こんなにも……!」
姫の顔が悔しさに歪む。
「姫様、無理はなさらないでください!」
レオナルドが大剣で触手を薙ぎ払いながら叫ぶ。
汚染体は、まるで俺たちの抵抗を嘲笑うかのように、そのヘドロの中心部を裂き、中から一本の禍々しい剣を取り出した。
光を吸い込むような漆黒の刀身、柄には不気味な輝きを放つ紫色の宝石。
剣全体から、呪いと邪悪が黒い炎のように揺らめいている。
「あれは……!?」
レオナルドが目を見開く。
「まさか……数百年前、リリアーナ様が封じたという『魂喰らいの魔剣』!? なぜここに!?」
エリアーヌ姫が絶句する。
「魂喰らい……!? とんでもない物騒な名前ね!」
生意気勇者も息を呑む。
その「魂喰らいの魔剣」とやらを手にした汚染体は、明らかに動きが変わった。
パワーもスピードも、そして放つ邪気も、さっきまでとは段違いだ!
「フシュルルルル……!」
汚染体が魔剣を振るうと、黒い瘴気の斬撃が凄まじい速度と威力で俺たちに襲いかかる!
「危ない!」
レオナルドが盾を構えて俺の前に飛び出そうとするが、斬撃は盾ごと彼を弾き飛ばした!
「ぐはっ!」
「レオナルド!」
レオナルドが地面を転がり生意気勇者が叫ぶ!
「ちっ、めんどくせぇな!」
仲間がやられるのを見て、俺の我慢も限界だった。
もういい。
手加減とか、後のこととか考えてられるか!
「力をセーブするつもりだったけど、やっぱナシだ! 全力(の一歩手前)で行くぞ!」
俺は地面を強く蹴り、瘴気の斬撃を紙一重でかわしながら汚染体へと猛然と突っ込む!
目標は、おそらく核であろう、魔剣が突き刺さっている中心部だ!
汚染体が魔剣を振り下ろしてくる!
その切っ先が、俺の喉元に迫る!
「なっ!?」
だが、俺はその魔剣の切っ先を、左手で鷲掴みにした!
バチチッ!と黒い火花が散る。
呪いの力が俺の腕を侵食しようとするが、俺の竜の力の前には無力!
「そんなもんかよ?」
俺はニヤリと笑うと、右手で渾身の――でも泉を完全に破壊しない程度には手加減した――ストレートを、汚染体の核へと叩き込んだ!
ゴシャァァァッ!!!
硬質な何かが砕ける、ガラス細工が割れるような甲高い音が響き渡る。
汚染体の動きがピタリと止まり、そのヘドロの体が急速に崩れ始めた。
「ギ……ギ……!?」
汚染体は断末魔の叫びを上げる間もなく、元のヘドロへと戻り、瘴気と共に跡形もなく霧散していった。
「ふぅ、あっけねぇの」
俺は拳を軽く振る。
まあ、こんなもんか。
後に残されたのは、静寂と、地面に突き刺さったまま禍々しいオーラを放ち続ける「魂喰らいの魔剣」だけだった。
「……」
俺はじっとその魔剣を見つめる。
さっき掴んだ時の、あの邪悪な意志。
そして、俺の力に反発したあのビリビリした感触。
「なんか禍々しいけど、頑丈そうだな」
完全に武器としての性能に興味を惹かれた俺は、魔剣に近づき、その禍々しい柄に手を伸ばした。
「姫様、危ないです!」
「触らない方がいいわよ! 見るからにヤバい呪いが掛かってるわ!」
エリアーヌ姫と生意気勇者も必死に警告する。
だが、俺はそんな声などお構いなしに、ひょいと魔剣の柄を掴んだ。
「うおっ!?」
掴んだ瞬間、魔剣から凄まじい量の黒いオーラと邪悪な意志――魂を喰らわんとする呪いが、所有者を得たとばかりに俺の精神と肉体を支配しようと、濁流のように流れ込んできた!
しかし!
「うおっ!? なんだこれ、痺れた!?」
俺の規格外の力――神竜(見習い)としての力の前には、そんな悪意の塊など、ちょっと強めの静電気でしかなかった。
流れ込もうとした呪いは、俺の力にあっけなく弾き返され、霧散していく。
それどころか、弾き返された衝撃で、逆に俺の力が奔流となって魔剣に流れ込み始めた!
「ビリビリッ! ギギギギギ……!!」
魔剣が、まるで拷問でも受けているかのように激しく痙攣し、苦悶の悲鳴のような音を立てる。
光を吸い込むようだった漆黒の刀身に、蜘蛛の巣のような微細なヒビが無数に走り、そこから禍々しい黒いオーラが煙のように噴き出す。
そして、その代わりに、剣の内部から、どこか神聖さすら感じさせるような、清浄な淡い光が漏れ始めている。
「なんだこれ、変な剣だな。不良品か?」
俺はそんな魔剣の劇的な変化には全く気付かない。
「大丈夫ですか!?」
「今のは一体……!?」
エリアーヌ姫と生意気勇者が駆け寄ってくる。
レオナルドも、部下に肩を借りながら心配そうにこちらを見ていた。
「ん? ああ、なんかちょっと痺れただけだ。多分、こいつのせいだろ」
俺はいまだに微かに振動し、光と闇がせめぎ合っているような奇妙な剣を示す。
「まあ、よくわからんが、放置しとくのも危険そうだし、持って帰るか。王宮の連中なら、何か分かるかもしれん」
俺がそう言って、魔剣(?)を地面から引き抜くと、不思議なことに、黒く濁っていた聖なる泉の水が、目に見えて透明度を取り戻し始めた気がした。
泉から立ち昇っていた瘴気も急速に薄れ、代わりに清浄な空気が流れ込んでくる。
「泉が……少しずつ……元の姿に……!」
エリアーヌ姫が、信じられないものを見るように泉を見つめ、その瞳に涙を浮かべる。
「よし、帰るぞ! 王宮で美味い飯が待ってる!」
俺はそんな感動的な光景よりも、さっさと帰って腹を満たすことしか考えていなかった。
この奇妙な剣の謎と、それがもたらすであろう新たな波乱など、今の俺が知る由もなかったのである。