「……姫様」
大神官の声は、いつになく重かった。
普段の穏やかで落ち着いた口調とは違い、そこには僅かながらも、切迫したものが感じられる。
「近いうちに、もう一度、地母神様の神殿へお参りに行っていただけないでしょうか」
「へ?」
思わず間の抜けた声が出た。
目の前に立つ聖職者は、王宮でも指折りの権力者だ。
「地母神様の神殿ならいつでも行くけど……。何かあったのか?」
俺が尋ねると、大神官は少し言い淀んだ。
「いえ、特に差し迫った事情があるわけではありません。ただ……」
彼は言葉を選びながら、ゆっくりと続ける。
「この度の戦いで、姫様が発揮された力……。それは、やはり只ならぬものでした」
「……まあな」
俺は、当然だ、と言わんばかりに肩をすくめた。
力をセーブしてもあれだ。気になる奴がいるのは仕方ない。
「その力……その源泉には、まだ我々が知りえぬ、深淵なる何かが秘められているのかもしれません」
大神官は、遠い目をするように、神殿の方向を見つめる。
「そして、その答えは……もしかしたら、地母神様がお持ちかもしれません」
「……マジ?」
俺は、少しだけ興味を惹かれた。
自分の力の秘密、か。
正直、よく分からんが、ちょっと気になる。
でもちょっとだけなんだよな。
「よく考えたら最近こっちの神殿では祈ってないし、久しぶりに全力でお祈りするぜ。何か反応あるかもしれないし」
俺がそう言うと、大神官は安堵の息を吐き出した。
「ありがとうございます、姫様。時期はいつでも構いません。姫様の、ご都合の良い時に……」
「おう、分かってるって」
俺は軽く手を上げ、大神官の部屋を後にした。
自室に戻り、ベッドに大の字になる。
(地母神様か……)
以前、あの神殿で感じた気配は、想像していたよりもずっとフランクで、親しみやすかった。
神様って言うから、もっとこう、堅苦しい感じなのかと思ってたんだけど。
(……まあ、悪くはなかったな)
あの時の、不思議な感覚。
俺の力が、地母神様の力と共鳴したような、あの感覚。
あれは、一体何だったのだろうか。
少しだけ、気になった。
(……行ってみるか)
結局、俺は、自分の好奇心に抗えなかった。
翌日。
俺は、再び、あの白亜の神殿へと足を運んだ。
以前来た時とは違い、もはや緊張はない。
むしろ、どこか懐かしい場所に帰ってきたような、不思議な感覚すらあった。
「……ただいま、って感じか?」
思わず、そんな言葉が口をついて出る。
神殿の中は、相変わらず静まり返っていた。
薄暗い空間に、長い廊下が奥へと伸びている。
壁には、見たこともないような動植物が描かれた壁画が飾られていた。
その光景は、以前と全く変わらないはずなのに、なぜだろう。
今日は、どこか温かいものに感じられる。
(……気のせい、か?)
首を傾げながらも、俺は足を進めた。
やがて、廊下の突き当たりに、巨大な扉が現れる。
初めて見る扉だ。
でも、あの扉の向こうにいるという確信がある。
(戦闘よりもどきどきするな!)
俺は深呼吸してから、傷つけないよう注意しながら扉を開けた。
ギィィ……という重々しい音が、静寂を切り裂く。
扉の向こうは、以前と同じ、巨大なドーム状の空間だった。
天井は、無数の光が瞬く、星空のような光景。
そして、その中心に鎮座するのは――
「神竜じゃない! 直接会うのは初めてね!」
明るく、そして、どこか気の抜けたような、それでいて親しみを込めた声。
「……地母神様」
気づけば、俺は、自然と笑みを浮かべていた。
「元気してた? って、あんたのことだから、いつも通り食うか寝るか暴れるか、ってとこでしょうけど」
「……よく分かってんじゃん」
「ふふっ、まあね。……で、今日は何の用? また何かやらかした?」
「いや、地母神様に会いに……いや直接会えるとは思えなかったんだけど」
俺がそう言うと、地母神は得意げに頷いた。
「それで何か用? 何か聞きたいことでも?」
「え? あ、いや、別に……」
「ないなら帰んなさい」
「ちょ、待てって!」
俺は慌てて地母神様を引き留めた。
せっかく来たんだ。
最近の俺の力とか……。
いやちょっと待て。
「地母神様、俺のことなんて呼んだっけ?」
「神竜(しんりゅう)でしょ? 魂の名前の方で読んだ方がいい?」
「そう! それ!」
俺が勢いよく身を乗り出すと、地母神様は、少しだけ目を細めた。
「ま、いいわ。どうせ、いつか話さなきゃいけないことだし」
地母神様は、何かを決意したように、ゆっくりと口を開いた。
「あんたは――」
そこで、言葉を切る。
そして、俺の目を、じっと見つめ、確信するような口調で言った。
「あんたは、この世界のイレギュラーよ」
「……は?」
俺は、思考回路がショートしかけた。
「イレギュラーって、何?」
「そのままの意味よ。……あんたは、この世界の住人だけど、同時に、そうじゃない。……大体99パーセントくらいは、この世界の存在だけど、残りの1パーセントが、完全に異質なの」
「……意味分かんねぇんだけど?」
「ふふっ、分からなくて当然よ。……ま、要するに、あんたの力は、規格外ってこと。……神竜ってのは、その力を制御するための、仮の器、みたいなもんよ」
「……仮の器?」
「そう。だから、神竜として生きるか、今まで通り好き勝手やるかは、あんたの自由。……ただね」
地母神様の声が、少しだけ、低くなった。
「……あんたの力は、強すぎる。下手をすれば、守りたいものを、うっかり壊してしまうかもしれない。……それだけは、覚えておきなさい」
その言葉には、強い警告と、ほんの少しの哀愁が込められていた――気がした。