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第24話:勇者の代償

神殿の扉をくぐり、外に出ようとした、その時だった。


「……あれ?」


背後から、微かな呻き声が聞こえた。


振り返ると、そこに立っていたのは――


「……勇者?」


さっきまで、あんなに元気そうだった生意気勇者が、今にも倒れそうな様子で、壁に手をついていた。


その顔は青ざめ、額には脂汗が滲んでいる。


「おい、どうした? どこか悪いのか?」


俺が駆け寄ると、彼女は苦しげに顔を上げた。


「……っ、別に、何でもないわよ。ちょっと、立ちくらみがしただけ……」


「嘘つけ! 全然顔色悪ぃぞ!」


俺がそう言うと、彼女はますます顔を歪めた。


「……っさい! だから、何でもないって言ってんでしょ!」


「……」


明らかに、何かを隠している。


だが、彼女が言いたくないことを無理に聞き出す趣味は、俺にはない。


「……まあ、言いたくねぇなら、別にいいけど」


俺がそう言うと、彼女は少しだけホッとしたような顔をした。


「……ありがと」


そして、すぐにいつもの強気な表情を取り繕う。


「それより、早く行くわよ! こんなところでぐずぐずしてたら、日が暮れちゃうわ!」


「はいはい」


俺は、彼女を気遣いつつも、足並みをそろえて歩き出した。


神殿からの帰り道。


いつもなら、軽口を叩き合いながら歩く俺たちだが、今日は、どちらも口数が少なかった。


俺は、さっきから、何度も彼女の横顔を盗み見ている。


(……やっぱ、なんか変だ)


彼女の様子は、どう見ても普通じゃない。


時折、体がふらつくように見えるし、呼吸も荒い。


さっきから、何度も、自分の胸元を押さえているのも気になる。


(……もしかして、あの剣のせいか?)


脳裏に、あの禍々しい魔剣の姿が浮かぶ。


そして、その剣が、神剣へと姿を変えた時の、あの異様な光景。


(……まさか、あの剣、こんな形で勇者に影響を及ぼしてるとか……?)


不安が胸をよぎる。


だが、それを口に出すのは、何故かためらわれた。


そんな俺の様子に気づいたのか、彼女が、少しだけ声を潜めて言った。


「……ねえ」


「ん?」


「……あの剣、もしかしたら、ちょっと、ヤバいかもしれない」


「……やっぱり、そう思うか?」


俺が尋ねると、彼女は小さく頷いた。


「ええ。……なんていうか、あれを持つようになってから、体の中を、熱くて、強い何かが駆け巡ってるような感じがするの」


「熱くて、強い何か?」


「ええ。……最初は、それがすごく心地よかったの。力が湧き上がってくるみたいで、何でもできる気がした。……でも、今は……」


彼女は言葉を切り、自分の胸元をぎゅっと握りしめた。


その表情は、苦悶に歪んでいる。


「今は、時々、それが暴走しそうになるの。まるで、私の体を乗っ取ろうとしてるみたいに……」


「……!」


俺は息を呑んだ。


まさか、あの剣に、そんな危険な力が秘められていたとは。


「……もしかしたら、あの剣は、あんたの力を引き出す代わりに、何かを奪ってるのかもしれない」


俺がそう言うと、彼女は自嘲気味に笑った。


「ふふっ、まさか。……私が何かを奪われるなんて、ありえないわ。私は、最強の勇者なんだから」


「……強がるなよ」


「強がってなんかないわよ! 私は、ただ……」


彼女は、言いかけて言葉を詰まらせた。


そして、俯き、小さな声で呟いた。


「……ただ、少しだけ、不安なだけ……」


その声は、震えていた。


俺は、初めて見る彼女の弱さに、胸が締め付けられるような感覚を覚えた。


(……こいつ、こんな顔もするんだな)


いつも強気で、生意気で、俺を挑発してくるような彼女。


そんな彼女が、今、目の前で、震えている。


その事実が、俺の心を、妙にざわつかせた。


「……そっか」


俺は、彼女の隣に立ち、そっと肩を抱き寄せた。


「……大丈夫だ。俺がついてる」


「……っ……ありがと」


彼女は、小さく呟き、俺の服の裾を、ぎゅっと握りしめた。


その時、ふと、脳裏に地母神様の言葉が蘇った。


『……あんたの力は、強すぎる。下手をすれば、守りたいものを、うっかり壊してしまうかもしれない……』


(……まさか、地母神様は、このことを……?)


様々な疑問が頭を駆け巡る。


だが、今は、そんなことを考えている場合じゃない。


俺は、目の前の、震える小さな勇者を、そっと抱きしめた。


「……大丈夫だ。俺が、絶対、お前を守る」


「……うん」


彼女は、俺の胸に顔を埋め、小さく頷いた。


その時、俺は、初めて気づいた。


彼女の体温が、いつもより、少しだけ高いことに。


「……地母神様に、聞いてみるか」


俺は、呟くように言った。


「え?」


「あの剣のこと。……地母神様なら、何か知ってるかもしれないだろ?」


「……そうね。そうしましょう」


彼女は、俺の腕の中から顔を上げ、少しだけ、いつもの元気を取り戻したようだった。


俺たちは、再び、神殿へと足を向けた。


夕暮れの光が、神殿を赤く染めている。


その荘厳な姿は、まるで、これから起こるであろう嵐の前の静けさのようだった。


俺たちは、無言で、神殿の巨大な扉の前に立つ。


そして――


「……地母神様! ちょっといいですか!?」


俺は、扉に向かって、大声で叫んだ。


ギィィ……という重々しい音と共に、扉が開かれる。


中から現れたのは、以前と変わらない、フランクで、どこか気の抜けたような地母神様だった。


「やあ、いらっしゃい。……って、あれ? どうしたの? そんなに慌てて」


「……これ、見てくれ!」


俺は、地母神様に、あの神剣を突きつけた。


「一体何なんだよ、この剣は!?」


「……あら、それはまた、随分とご立派な剣ねぇ」


地母神様は、目を丸くして、剣をまじまじと見つめた。


「……って、そういうこと聞いてんじゃねぇよ! こいつ、なんかヤベェんだよ! 勇者の体の中で、暴走しそうになってる!」


俺が叫ぶと、地母神様は、少しだけ、真剣な表情になった。


「……ちょっと、見せてみなさい」


彼女は、俺の手から剣を受け取ると、その刃先を、そっと指先でなぞった。


その瞬間、彼女の体が、微かに震えた――気がした。


「……やっぱり」


女神様は、小さく呟いた。


「……やっぱりって、何だよ?」


「……この剣、元は魔剣ね。でも、あんたの力で、相殺されてるみたいね。……むしろ、あんたとの相性は、抜群に良い、って言えるかも」


「……俺と?」


「ええ。……あんたの力は、この世界を構成するエネルギーと、よく似てるの。……だから、魔剣の呪いを中和し、逆に、その力を引き出してる、ってわけ」


「……ふぅん?」


言われている意味はよく分からなかったが、とにかく、俺とこの剣は、相性が良いらしい。


それは、なんとなく、分かった。


だが、それと、勇者の異変とは、一体何の関係があるのだろうか?


「……じゃあ、勇者のアレは、一体何なんだよ? なんであんなに苦しそうなんだ?」


俺がそう尋ねると、女神様は、少しだけ、言い淀んだ。


そして、重い口を開く。


「……それはね、その子(生意気勇者)が、あんたに『異動』したからよ」


「……は?」


移動……異動!?


「……どういうことだよ?」


「そのままの意味よ。勇者は、神に選ばれ、力を与えられた存在。2重に力を受け取るのは無理なの」


地母神様が俺と生意気勇者を交互に見る。


「籍だけこっち(地母神)に残ってるからおかしな感じになってるのね。えーっと、はいこれでよし」


生意気勇者は混乱したまま、顔色が急に良くなっていく。


「……どういうこと?」


俺は訳が分からないまま説明を求める。


「つまり、勇者は、あんたの……従者になったってこと」


「……」


俺は、目の前の女神の言葉を、なかなか理解することができなかった。


「……ちょ、ちょっと待て! それって、マジで言ってんのか!? そんなこと、一言も聞いてねぇぞ!」


俺が叫ぶと、地母神様は、悪びれもなく肩をすくめた。


「あら、言わなかったかしら? まあ、細かいことは気にしない気にしない」


「細かいことじゃねぇだろ! 大問題だろ!」


「ふふっ、まあ、落ち着きなさいって。……勇者は、あんたの初めての従者。……あんたも、勇者を、大事にしてあげなさい」


「……」


俺は、言葉を失った。


地母神様の言葉は、あまりにも唐突で、そして、重すぎた。


「……ま、そういうこと。……じゃあ、私はこれで」


地母神様は、ひらひらと手を振り、光の中に消えて……何故か慌てた様子で戻ってきた。


神剣に向けた目つきは別人のように厳しくて、俺は思わず唾を飲み込んでいた。

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