「行くぞ!」
俺の号令と共に、俺たちは覚悟を決めて、王宮地下の古代遺跡で禍々しく口を開ける魔界へのゲートへと足を踏み入れた。
見送りに来てくれた王女様や王妃、大神官たちの心配そうな顔が脳裏に焼き付いている。
……まあ、心配かけた分、きっちり土産話(と囚われた英雄たち)を持って帰ってこねぇとな!
ゲートをくぐった瞬間、世界がぐにゃりと歪んだ。
全身を強い力で圧迫されるような、息苦しい感覚。
一瞬の浮遊感の後、俺たちの足は、固いんだかぬかるんでるんだかよく分からない、奇妙な感触の地面を踏みしめていた。
「……うわっ」
思わず声が漏れた。
目の前に広がっていたのは、俺の貧弱な想像力なんぞ軽く吹き飛ばすような、強烈で異様な光景だったからだ。
空は、まるで血をぶちまけたような、どす黒い赤色に染まっている。
不気味な緑色の稲妻のようなものが時折走り、低く垂れ込めた分厚い雲は、見るからに有毒そうな色合いだ。
大地はそこかしこでひび割れ、鋭く尖った黒曜石のような岩が、墓標のように突き出している。
植物と呼べるものはほとんどなく、代わりに奇妙な形にねじくれた枯れ木のようなものが、地面にへばりつくように生えているだけ。
そして、匂い。
硫黄が焦げたような鼻をつく刺激臭と、何か得体のしれないものが腐ったような甘ったるい悪臭が混じり合って、肺を満たす。
空気が重い。
物理的に重いのか、あるいはこの空間を満たす邪悪な瘴気のせいか、息をするだけで気分が悪くなりそうだ。おまけに、地上とは微妙に違う重力なのか、体が鉛のように重く感じる。
遠くには、天を突くような巨大で禍々しいシルエットが見える。
あれが悪魔の城塞ってやつか? まるで悪意そのものが形になったような、見ているだけで精神力が削られそうな威容だ。
「なんだここ!? 空気悪すぎ! 景色も最悪! 飯は美味いのか!?」
俺は思わず、いつもの調子で叫んでいた。
いや、だってマジで酷い環境だぞ、ここ。
よくこんな場所に住めるな、悪魔どもは。
「これが……魔界……!」
隣で、生意気勇者が息を呑むのが聞こえた。
彼女もその異様な光景に圧倒されているようだ。
神剣を握る手に、ぐっと力が入っている。
「なんて禍々しい場所なの……! 少し立っているだけで、力が削られていくような……」
「空気が……重い……。精霊の声が、全く聞こえません……」
エリアーヌ姫は顔を青ざめさせ、胸元を押さえている。
精霊使いである彼女にとって、この精霊の気配が全くしない魔界は、水中で呼吸するようなものなのかもしれない。
「うっ……気分が……」
美ショタ勇者も顔色が悪く、少しふらついている。
こいつ、大丈夫か?
「だ、大丈夫です! 先輩! 神竜様!」
俺たちの心配そうな視線に気づいたのか、彼は気丈に胸を張ってみせた。
まあ、無理はさせられんな。
「全員、警戒を怠るな! ここは完全に敵地だ! すぐに防御陣形を!」
一番冷静なのは、やはりレオナルド騎士団長だった。
「さて、どっちに行けばいいんだ?」
俺が周囲を見回しながら尋ねると、エリアーヌ姫が首にかけていた祖先のペンダントを取り出した。
彼女が祈りを込めると、ペンダントの翠色の宝石が、魔界の邪気に反発するかのように、しかし苦しげに、淡い光を放ち始めた。
光は弱々しく明滅しながらも、特定の方向――遠くに見える悪魔の城塞の方向――を指し示している。
「こちらです……!」
エリアーヌ姫の声には、確信がこもっていた。
「この先に、リリアーナ様の気配を……微かにですが感じます! 間違いありません!」
涙ぐみながらも、その瞳には強い意志の光が宿っている。
祖先が、まだこの魔界のどこかで生きている(囚われている)と信じているのだ。
「よし、なら決まりだな! 行くぞ!」
レオナルドが先頭に立ち、俺たちはペンダントが示す方向へと、慎重に歩みを進め始めた。
だが、魔界がそう簡単に俺たちを通してくるはずもなかった。
歩き始めて数分も経たないうちに、早速「歓迎」の洗礼を受けた。
「キシャアアアァァッ!!」
地面の亀裂から、鋭い鎌のような爪を持つ、巨大なムカデのような悪魔が何匹も這い出してきた! さらに上空からは、コウモリのような翼を持ち、鋭い嘴(くちばし)で突きかかってくる小型悪魔の群れが急降下してくる!
「うおっ、早速お出ましかよ!」
俺は舌打ちし、一番近くにいたムカデ悪魔に向かって拳を叩き込む!
「まずは一匹!」
ドゴン! と鈍い音が響き、硬い甲殻の一部が砕け散る! さすがに俺のパンチなら、力をセーブしても下級悪魔くらい一撃だ!
「見た目はグロいが大したことねぇな!」
俺はそのまま、次々と襲いかかってくる悪魔を蹴散らしていく。
「姫様(エリアーヌ)から離れないで!」
生意気勇者も神剣を抜き放ち、空から襲ってくるコウモリ悪魔の群れに斬りかかる! 黄金色の剣閃が空を舞い、悪魔たちは聖なる力に焼かれるように黒い煙となって消滅していく。
「この剣……やっぱりすごいわ! 魔界の邪気に対して、特に有効みたいね!」
彼女は自身の新たな力の手応えを感じ、不敵な笑みを浮かべる。
「光よ!」
エリアーヌ姫も杖を構え、精霊魔法を放つ。
しかし、魔界の濃密な瘴気の影響で、光の矢は弱々しく、悪魔に当たっても大したダメージを与えられない。
「くっ……やはりここでは、精霊の力が届きにくい……!」
それでも彼女は諦めず、ペンダントの力を借りて、仲間に防御力アップや状態異常回復の補助魔法をかけ続ける。
地味だが、重要なサポートだ。
「はぁっ!」
美ショタ勇者も、最初は怯えていたが、仲間たちが戦う姿を見て勇気を振り絞り、剣を振るう。
下級悪魔相手ならば、なんとか渡り合える程度には成長していた。
生意気勇者の指導の賜物か、あるいは本人の才能か。
「陣形を維持しろ!」
レオナルドが大剣で敵を薙ぎ払いながら的確な指示を飛ばす。
最初の遭遇戦は、俺たちの連携である程度あっさり片付いた。
だが、ここは魔界。
これで終わりのはずがない。
さらに奥へ進むと、今度は明らかに格上の悪魔が現れた。
身長は3メートルを超え、全身が黒い鋼のような鎧で覆われ、巨大な戦斧を携えた悪魔。
その周りには、統率の取れた動きを見せる、より強力な下級悪魔の小隊が控えている。
どうやら、こいつはこの辺りの偵察部隊か、あるいは関所の番人といったところか。
「侵入者どもめ……ここまで来たことを後悔させてやる!」
戦斧悪魔が、地響きのような声で威嚇してくる。
「ちっ、今度は骨がありそうだな!」
俺は拳をポキポキ鳴らす。
戦闘開始! 戦斧悪魔の攻撃は、先ほどの雑魚悪魔とは比較にならないほど重く、速い!
レオナルドが盾で受け止めようとするが、ゴォン!という轟音と共に盾が大きく凹み、彼自身も数歩後退させられる!
「ぐっ……! なんというパワーだ……!」
小型悪魔たちも、連携を取りながら巧みに攻めてくる。
美ショタ勇者がその素早い動きに対応しきれず、肩を浅く斬られてしまった!
「ぐあっ!」
「危ない!」
生意気勇者が神剣の光で悪魔を退け、間一髪で美ショタ勇者を救う!
「ちっ、キリがねぇな! こいつら、地味に連携が取れてやがる!」
俺は突破口を開こうと、戦斧悪魔に攻撃を集中させようとするが、小型悪魔たちが巧みに邪魔をしてくる。
力をセーブしている状態では、この連携を崩すのは少し面倒だ。
「レオナルド、姫さんたちを頼む! 俺が道を作る!」
俺は突破を決意。
一時的にスピードを解放し、悪魔たちの連携の隙を突く!
「邪魔だ、どけぇぇ!!」
目にも止まらぬ速さで悪魔の群れに突っ込み、衝撃波を撒き散らしながら連続で拳と蹴りを叩き込む!
ドガガガッ!と派手な音を立てて悪魔たちが吹き飛んでいく!
戦斧悪魔も、俺の猛攻を防ぎきれず、体勢を崩した!
「今よ!」
生意気勇者がその隙を見逃さず、神剣を突き込む! 黄金色の光が悪魔の鎧を貫き、断末魔の叫びと共に戦斧悪魔は地に伏した。
「ふぅ……なんとかなったか」
俺は息をつく。
残りの小型悪魔は、リーダーを失って統率を失い、俺たちがすぐに蹴散らした。
一行は敵の追撃を振り切り、ようやく開けた場所に出た。
目の前には、天を突くようにそびえ立つ、巨大で禍々しい悪魔の城塞が見える。
城塞全体から、これまでの悪魔とは比較にならないほどの強大な邪気が漏れ出ていた。
「あれが……囚われた方々がいる場所……!」
エリアーヌ姫のペンダントが、これまで以上に強く光り輝き、城塞の方向を指し示している。
「負傷者の手当てを急げ! 城塞への突入は態勢を整えてからだ!」
レオナルドが冷静に指示を出す。
美ショタ勇者の肩の傷は幸い浅かったが、手当ては必要だ。
「あの中に、本当に囚われた人たちが……?」
生意気勇者が、険しい表情で城塞を見据える。
「はい……ペンダントが、強く反応しています……! リリアーナ様も、きっと……!」
エリアーヌ姫は、不安と希望が入り混じった表情で、城塞を見つめていた。
「よし、少し休んだら乗り込むぞ!」
俺は仲間たちの顔を見回し、拳を握りしめる。
「覚悟しやがれ、悪魔ども!」
巨大な悪魔の城塞を前に、俺たち一行は決意を新たにする。
待ち受けるであろう更なる強敵と、救出への期待。
魔界での本当の戦いは、ここから始まるのだ。