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第13話 さりげなく距離を詰める先輩

 理事長との一悶着以降、バイトの件数が目に見えて増えているような気がする。

 今日とていつもの勉強に加えて、新メニューの全社員習得という内容で杜野崎先輩から依頼があったが、後者については実際のところ大判焼きの餡の新しい種類を増やしただけであり、餡の作り方を教えるだけなので正直俺が必要かどうかは微妙なところだが。

 新しい餡の作り方は共通しているところが多いし、そこまで特異なものを作るわけではないので、書面だけでも十分の品質を維持したものが作れることが想像に難くない。

 正直、今の状態は何十倍にも賃金に上昇バフがかかった状態で、このお店のバイトをしているようなものだ。

 こんなことでこんなに報酬をもらっていいものだろうか。


「前より教えるの上手くなった、秋也君? ラップが早くなっている気がするけど」


「そうですか? 自分的に特にこれと言って何かしようとしたわけではないですけど」


 少し気後れしつつも生地を仕込んでいると、ストップウォッチを持った杜野崎先輩がそう突っ込んできた。

 自分としてはさして何かしら意識したつもりはないが、こと商売に関して杜野崎先輩は冗談は言わない上、ストップウォッチで今回のタイムを取っているゆえ、おべっかというわけではないだろう。

 杜野崎先輩が業務効率改善に役立てるために知りたがっているので、できるだけ理由がわかればいいのだが、生憎全く見当がつかない。


「君が見当がつかないなんて珍しいね。君が気付きにくいところってなると技術的なところじゃなくて、コンディション的なことかな」


「コンディションですか。特にこれと言って、栄養ドリンクとか飲んできたわけじゃないんですけど」


「最近彼女が変わったじゃない。それとか関係あるんじゃない。前の彼女、ワガママな子でストレス凄そうだったし」


「ストレスねえ……」


 摩耶と過ごした時のことを思い出しても、別段そこまでストレスは負っていたような記憶がないが、結果としてコンディションが良くなっているようであれば、無意識にストレスを受けていたのかな。


「自覚無いみたいだね。じゃあ逆に新しい彼女とラブラブすぎて、絶好調になっているみたいな感じかな」


 ラブラブか。

 形だけとはいえ、カップルそのものみたいな状況にはあるから、確かにラブラブといえば、否定はできないし、俺も麻黒さんとラブラブな状況が嬉しくないといえば嘘だ。

 普通に嬉しいし、幸福感に包まれているように感じる。

 確かにそれでコンディションがいい状態に持って行けている場合も考えられる。


「図星だねえ。あんまりあの子が秋也君にデレデレしてるところは想像できないけれども、それで仕事の能率が良くなるのだったら万々歳だね。ついでに私も彼女にしてさらに能率高めちゃう」


「揶揄わないでくださいよ。それに浮気してたら、罪悪感で逆に能率が下がりますよ」


 相変わらず、恋愛関係に関してノリが軽い。

 最近俺が何かとバイトの回数が増やされている件も先輩は割と軽く捉えている可能性が高い。

 よくいえば寛容だが、悪くいえば軽薄だ。


「確かにそうだ。これは失敗。失敗。じゃあ、キープでフリーになった時によろしくね」


「はい、はい」


 先輩の何度目か、わからない軽口に適当に相槌を打つと夜中であまり人のこない時間帯であるがお客さんが入ってきた。

 もう19時近いので、学生の帰宅ラッシュがちょうど過ぎ去り、されども社会人はまだ働いている時間帯で、この時間帯にお客さんが入ってくるのは珍しい。


「いらっしゃいませ」


「こんばんわ、秋也君に絵留ちゃん」


 珍しいお客さんの正体は、常連のタマコさんだった。

 こんなな時間い珍しと思うと、一拍遅れて、大人の女性が暖簾をくぐって入ってきた。

 空いている時間に立て続けに二人来たことに、驚きつつ、いらっしゃいと歓迎の言葉を紡ごうとしたが途中で顔筋が凍りついた。


 二人目に来た女性の顔が、理事長と同じ顔な上に、白髪に碧眼という本人の特徴までも捉えていたからだ。

 杜野崎先輩も俺と同様に驚いているようで、接客するのを忘れて、凍りついている。


 日夜、神事などのイベントに引っ張りだこの人間がこんな場所にいるわけないと思いながらも、どこからどう見ても目の前にいるのは天弦理事長にしか見えない。


「綺羅ちゃん、何にする? 全部美味しいから好きなの選んでいいわよ」


「そうですか。好きなものを選びたいと思うのですが、店員さんはそこで何をされているのですか」


 突っ込まれたので「すいません」と言いながら、正面にあるカウンターに向かう。

 プライベートの理事長に遭遇したこともそうだが、意外すぎる組み合わせにも驚かせられる。

 どうしてタマコさんと理事長が……。

 会話だけ見れば大判焼きを買いに来た親子ぽいが、確かタマコさんのお子さんは俺と同じくらいだと言っていたので、流石に理事長ではないはずだ。

 詳しく何歳かはわからないが、見た感じでは、二十代前半のように見える。


「あれえ、理事長じゃないですか。2人ともお友達だったんですね。同級生ですか」


 同級生……。

 先輩それはおそらく二十代前半である理事長には失礼極まりないというか、もはや煽りに近いような気がする。

 幸いにして理事長は呆れたような顔をしているだけで怒ってはいないようだが、肝が冷える。


「同級生ではありません。私はまだ十代で、彼女とは親子ほど歳が離れています」


「やだ、綺羅ちゃん。親子ほどじゃなくて、私たち親子じゃない」


「……」


 理事長は親子という関係性を否定しなかった。

 しかも十代とは。

 俺と同い年くらいと言っても過言ではない。

 タマコさんの前の発言とは一致している。

 だがタマコさんのおっとりとした雰囲気と、理事長のキリッとした雰囲気が真逆で親子と言われても全く信じられない。

 隣に並んでいるのに、一切共通点が見つけられないのだ。


「へえ、確かに何かギラギラしているところが似ているかもしれないですね。注文何にしますか?」


「ふふふ。じゃあ私は大判焼きのあんことクリーム、十個ずつでお願い」


「はあ、私はずんだを二つお願いします」


 適当なことを言いながら注文を促す先輩とは別に、俺は厨房に戻ると注文にあった品を作りたてのものがあるトレーから取り出すと袋に詰めていく。

 熱を持ってほかほかとしている大きめの袋と小さな袋の二つを持っていく。


「あんことクリーム十個ずつとずんだ二つになります。どうぞ」


「あら早いのに磨きがかかってるわね。秋也君ありがとう」


「かなり熟達したアルバイターのようですね」


 2人の想像よりも早かったようで、思いもよらない感想をもらった。

 そこまで意識していなかったことなので、嬉しいような、申し訳ないような複雑な気持ちになる。

 理事長は前のツンケンしたイメージが強いので、人を素直に褒めるところが意外だ。


「私が褒めたことが意外でしたか? 私が邪険にするのは分を弁えない狼藉者だけです」


「真面目すぎるだけでいい子なのよ、この子。 仲良くしてくれるとおばさんも嬉しいわ」


 物腰が柔らかいタマコさんがこう言っている上に、行動で実際に示されているし、いい人ではあるのだろう。

 だがしかし、麻黒さんと対立する気があるということは明確であるので仲良くするのは難しい。


「仲良くはしたいんですけど。生憎麻黒さんと揉めているから、難しいかな」


「麻黒家とのことでしたら、私は流そうと思っているので、これ以上何か起こることはありません」


「それが本当なら大丈夫そうですけど」


「そうですか、ならよかった。もう少ししたら頼みたい仕事があるので頼まれてもらってもいいでしょうか?」


「バイトの依頼ですか。できれば社長を通してもらえるのが一番いいんですけど」


「残念ですけど、社長さんには話を通すのは無理ですね。彼と私は仲が悪いので、そのまま依頼を握りつぶす可能性が高そうです」


 社長と仲が悪いのか。

 社長はいつもSNSの文面でしかやり取りもしないし、面接の時の一回しかあったことがないので本当のとこはどういう人物かはわからないが、やり取りの時はいつも物腰の柔らかい人なので揉めるということは考えにくい。

 ということはあの人もかなりのお金持ちでしかも勢いのある会社の関係者である可能性があるってことか。

 お金持ちとかなり縁があるようなので、お金持ちの関係者であることは薄々わかっていたか、お金持ちのトップ層にあるかもしれない人間とは予想もしてなかった。

 最近大金持ちの知り合い急激に増えているが、まさかこの人までとは。


「俺への直接の依頼しか出せないということですか。バイトとの兼ね合いもあるので時期とか時間にもよりますけど」


「そうですね。そのことは今は人の目もあるからおいおい連絡させてもらいましょうか。では連絡先を交換しましょう」


 俺が条件を聞こうと思うと理事長はすかさずスマホのSNSの友達追加画面を出してきた。

 理事長のSNSか。

 先生のSNSアカウントとということであんまりありがたくは感じないが、これも学園で安心して生活するためだ。

 いつもギリギリの生活をしてきたので、できればある程度の余裕が欲しい。

 これまで病気などでバイトを休むことがなかったから何とかやっていけるところがあったが、それも卒業までも続けられるというわけがない。

 どこかで必ず綻びが生まれるだろう。

 その時のために備えてできるだけどうにかなる保険が欲しい。


「わかりました」


 理事長のSNSアカウントのバーコードを読み取り、友達に追加する。


「じゃあ機がきたらこちらから連絡をとるのでその時はお願いします」


「了解です」


 俺と理事長が連絡先を交換し終えると、タマコさんがひどくニコニコしているのが確認できた。

 福神様みたいな満面の笑みだ。

 これは心底嬉しい時の顔だ。

 理事長の依頼にこの人も一枚噛んでそうな気がしてきた。

 悪い人ではないので、そう悪いことをしようというわけではないだろうが、少しきな臭さを感じざるを得ない。


「綺羅ちゃん、お友達できてよかったわね」


 俺が少し怪しみを抱いていると、タマコさんは理事長を撫で始め、理事長は満更でもなさそうな顔をしている。

 親子ではないと決めつけてしまったが、これを見ると少しだけ疑義が頭の中でもたげ始める。

 もしかしたら親子かもしれない。






















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