いつもの転生ガイドルーム。先が見えない真っ白な広い広い空間に白い床、そして私のいつもの椅子とコタツ(?)……のはずが、今日は少し様子が違った。
私の目のまえに、小さな魂がちょこんと座っている。それはどう見ても、人間の形をしていなかった。
「……」
え?
琥珀色の瞳が、じっと私を見つめている。声はない。ただ、静かにそこにいる。
え? ネコ……? 人間じゃない魂が来ることなんてあるの?
私が内心戸惑っていると、上の方から呑気な声がした。
「おやおや、珍しいお客さんぢゃな」
神様がすーっと降りてきた。ズズッ、とお茶をすする音が妙に響く。あんたいつも茶ぁ飲んでるね。
「か、神様ぁ! あの子、どう見てもネコなんですけど? ずっとこっちを見てるんですけど?」
「うむ。実は、話してなかったんぢゃが……ワシらはな、この星の生きとし生けるもの、全ての魂を導いておるんぢゃよ」
「ええっ!?……全て、ですか?」
「そうぢゃ。まあ、人間以外の魂を扱うのは、現世ニッポンの魂よりちょっとコツが要るんでな。まだキミには早いかと思うとったんじゃが……まあ、来てしまったものは仕方ない」
神様がそこまで言った時、ふわりと柔らかな光とともに、もう一人、ガイドルームに姿が現れた。長い黒髪に、どこか古風で優雅な雰囲気……って、日本の神話に出てきそうな女神様!?
「あらあらまあまあ、神様もいらしてたんですね、お久しぶりです。このコが新しいコ?」
「おお、姫よ! 来たか。紹介しよう、新人の山田ぢゃ」
「あなたが、新しく女神になった山田さんね。わたくしは、
……もう、驚かない。何が来ても驚かないぞ、と私は心に誓った。目の前のネコの魂だって、日本の女神様だって、日常の一部だ。……たぶん。
「それで、この子の転生はどうするんじゃ?」神様がネコの魂に目を向けた。
「えっと……スキルガチャ、ですよね?」
「うむ。まあ、ネコじゃからな。あまり複雑なものは付かんじゃろうが」
とりあえず、よく分からないまま、私はネコの魂にスキルを付与するガチャを回した。
ぐるぐるぐるぐる、ガチャン!
ファァァァァァァァ……。さて、どんな能力?
《スキル:アームストロング剛筋肉(地域猫ボス級筋力)》
「……アームストロング?(船長?)」
「おお、なかなか良い引きじゃな。これなら多少の困難は乗り越えられるじゃろう」
引きって言うな! 神様はそう言って、ネコの魂を次の生へと送り出した。
***
……が、しかし。ネコの人生は、いや猫生は、想像以上に過酷だった。いつもの様に転生ガイドルームにあるモニターで観察をはじめた。
最初の生。人に飼われている室内飼いの母猫から生まれた。これで安泰かと思いきや、生まれた直後に「うちではこれ以上は猫を飼えないのよねぇ」と人間の都合でポイッと捨てられ、あっという間に野良猫に。アームストロング剛筋なんて役立つ間もなく、道路に飛び出して車に轢かれ、あっけなく命を落とした。
前世で猫好きだった私は少しイラッとしたけど、どうしようもない。愚かな人間どもに神罰の光(前回の艦対戦級ビーム??)をぶちかますような能力もないし……。
気づけば、いつのまにか目の前にネコがいた!
「…まあ、こういうこともあるわな」神様は相変わらず呑気だ。
でも、それは始まりに過ぎなかった。
次の生では、カラスに襲われて。
――《スキル:並外れた食欲「巨大ネコ化」》
また次の生では、病気になって誰にも看取られず。
――《スキル:高IQ》
冷たい雨の中、温もりを求めて震えながら力尽きたこともあった。
――《スキル:セントストマック聖なる胃袋「なんでも食える」》
お腹を空かせたまま、動けなくなったことも。
――《スキル:チャーム「モンスターフェロモンでメスネコめろめろ」》。
人間の身勝手な虐待で、恐怖の中で息絶えたことも。
――《スキル:アームストロング剛筋》
生きるために他の猫と争い、傷だらけになって敗れたことも。
――《スキル:甘え「人に好かれる」》
その度に様々なスキルを付与してはいたものの、毎回チートスキルのハズが役に立たないポンコツぶり。出現のタイミングが悪すぎ。三度出たスキル「アームストロンググ剛筋」も、時には縄張りを守るのに役立ったかもしれないけれど、飢えや病気、人間の悪意の前では無力だった。死んでは戻り、死んでは戻り……。その繰り返し。
「また……この、白い部屋か……」
何度目かの転生の後、ネコの魂から、か細い、諦めのような響きが感じられた気がした。魂が、すり減っていくような感覚。
「この子の魂、ずいぶん重くなってきたな…」
串伊那陀姫が、そっと呟いた。
そうして、100回近く、様々な理由で短い生を終え、ネコの魂は何度もこの部屋に戻ってきた。その琥珀色の瞳には、最初の静けさとは違う、深い疲労と諦観の色が浮かんでいた。
***
101回目の生。
また、ネコは家猫として生まれた。でも、やっぱり飼い主に捨てられた。
もう、何度目だろう……このパターン……。
雨の中、小さな体で震えながら、道端でうずくまる。お腹が空いた。寒い。もう、どうでもいいか……。
そんな時だった。
「あらあら、まあ……こんなところに、子猫ちゃん」
優しい声がして、暖かい手にそっと抱き上げられた。見上げると、しわくちゃの笑顔のおばあちゃんがいた。
「うちに来るかい? 少しなら、ご飯もあるよ」
それが、おばあちゃんとの出会いだった。
おばあちゃんの家は古くて小さかったけれど、とても温かかった。
初めてもらった温かいミルク。
日向ぼっこができる窓辺の特等席。
そして、優しく撫でてくれる、おばあちゃんの大きな手。
人間の手って、暖かくって優しくて気持ちいいから好き!
最初は警戒していたネコも、少しずつ心を開いていった。
おばあちゃんの膝の上で丸くなるのが、一番安心できる場所になった。おばあちゃんが編み物をしているそばで、うとうとするのが好きだった。
おばあちゃんが「タマ」と呼んでくれる声が好きだった。
「にゃあ」
おばあちゃんが笑うと、なんだか胸のあたりがポカポカして、自然と尻尾が小さく揺れた。これが「幸せ」ってやつなのかな。ずっと、ここにいたいな。
ネコは初めて、生きることに意味を見出した気がした。
***
穏やかな日々は、永遠には続かなかった。
ある朝、いつものように「おばあちゃん、起きて」と顔をすり寄せても、おばあちゃんは目を覚まさなかった。冷たくなっていた。
「にゃあ? おばあちゃん?」
ネコには、何が起こったのか理解できなかった。
ただ、いつもと違うことは分かった。
何度も鳴いてみた。
体を擦り付けてみた。でも、おばあちゃんは動かない。返事もない。
お腹が空いて、体が震えてきても、ネコはおばあちゃんのそばを離れられなかった。独りぼっちの部屋で、ただひたすら鳴き続けた。助けを呼びたかったけれど、ネコにはその術がなかった。
時間が経つにつれて、部屋の空気が変わっていくのを感じた。おばあちゃんの匂いが、少しずつ、知らない匂いに変わっていく。それでも、ネコは寄り添い続けた。
おばあちゃん、怖いよ……。
おばあちゃん、どこにも行かないで……。
やがて、鳴く力も尽きて、ネコは冷たくなったおばあちゃんの腕の中で、そっと目を閉じた。
おばあちゃん……どこ……。
***
気がつくと、また、あの白い部屋にいた。
ぼうぜんと立ち尽くすネコの魂。
また……ここか……。
でも、今度は何かが違った。
部屋の向こうに、優しい光を放つ魂が見えた。見覚えのある、温かい気配。
「……!」
ネコの魂が一瞬、固まった。
次の瞬間、まるで何かに突き動かされるように、その魂に向かって駆け寄るように跳んだ。
そして、ありったけの想いを込めて、鳴いた。
寂しかったこと。怖かったこと。会いたかったこと。
そして、ありがとう、と。
言葉にならない、魂の叫び。
「みゃーーー! みゃーーー! うにゃん! うわぉん、おんおん!」
「みゃー! みゃーみゃーみゃーみゃー!!」
身体中震わせシッポがちぎれそうな勢いでブンブン振っている。
いつまでも鳴き続けるネコの魂を、おばあちゃんの魂が、ふわりと優しく包み込んだ。穏やかな、慈しみに満ちた微笑みが見えた気がした。
言葉はなくても、確かに二つの魂は再会し、通じ合っていた。
「……魂って、こんなに……温かいものなんだ…」
私は、思わず呟いていた。胸が熱くなって、視界が滲む。隣を見ると、
やがて、ネコとおばあちゃんの魂は、寄り添うようにして、さらに柔らかな光の中へと昇っていった。きっと、穏やかで、温かい場所へ行くのだろう。
――今回付与されたスキルは……
《SSS級スキル:運命の出会い「いつも一緒」》
***
「もうっ!! SSS級とかあるなら最初から出しなさいよ!!」
目を擦りながら鼻声で呟いた。
「ふぅ、一件落着、じゃな」
神様が、いつもの調子で言った。
私は、二つの魂が消えていった方向を、まだ見つめていた。
魂は巡る。
何度も、何度も。
でも、あの短い時間の中で確かに結ばれた絆は、きっと消えない。そう思えた。
「……大変だったけど、良かったですね」
「うむ。しかし、山田くん」
神様が、ニヤリと笑う。
「人間以外の魂は、時にこういうドラマを生むからのう。……次は、もっと手強いのが来るかもしれんぞ?」
「ええっ!?」
隣で
……私の女神としての日々には、まだまだ困難が待ち受けているらしい。
主にタイミングが悪いスキルガチャのせいじゃないのと思いつつ、お茶請けのせんべいをほおばった。ああ……しょっぱいなぁ。
―― 第7話 おわり ――