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第14話 はじまりのギルドにて

「……ん?」


 埃っぽい木の匂い。薄暗い室内。

 私の頬に、ざらりとした感触と、何かがコツコツと当たる感触があった。

 意識が浮上する。


「リリカ、目を覚ましなさいってば! もうっ、こんなところで突っ伏して、一体どうしたっていうのよ? 大丈夫なの、本当に?」


 耳元で、少し焦ったようなエルナ先輩の声が響き、身体を揺さぶられた。

 私はゆっくりと顔を上げた。

 目の前には、見慣れないけどどこか安心する顔。エレン先輩が、心配そうに私を覗き込んでいた。

 その背後には、くたびれた様子のギルドマスターが、腕を組みながら、やはり心配そうにこちらを見ている。

 口数は少ない彼も、こんな時にはちゃんと気にしているのが分かる。


(――ここは……どこ!?)


 瞬時に、膨大な情報が脳に流れ込んでくる。

 日本の市役所で暴漢に刺されたこと。

 真っ白な空間で、女神さまに《パワースマイル》という謎のスキルをもらって、異世界に転生したこと。

 そして、このギルドで「リリカ」という名前の受付嬢として働いているという、見慣れない「記憶」。

 それらの記憶が混在して、私の頭はパンクしそうだ。


(――私……木下翔子……? いや、リリカ……?)


 混乱する思考とは裏腹に、私の体は、なぜかこの場所と、この緑色のワンピースの制服に、妙にしっくりと馴染んでいた。


「リリカ? 本当に大丈夫? 顔色が悪いわよ。さっきから突っ伏してて、どうしたのかと……」

 エレン先輩の声が、私の耳に心地よく響く。

「だ、大丈夫です! エレン先輩! マスターも! ちょっと、寝ぼけてたみたいで……。ご心配ありがとうございます!」

 私はとっさに、市役所での経験で培った最高の笑顔を浮かべた。もちろん、意識して《パワースマイル》を発動させたわけじゃないけれど、自然と口角が上がる。


 エレン先輩は少し呆れたような顔をして、「もう、心配させないでよ」と小さく笑った。


「フン……」


 マスターは短く唸るように鼻を鳴らした。

(彼の眼差しは、どこか諦めにも似たような、けれど確かに気遣いの色が混じっていた)

 それ以上は何も言わず、奥の部屋に戻っていった。


   * * *


 私がギルドの受付嬢「リリカ」として働き始めて、数日が経った。

 ギルドの日常は、王都からの伝令が来たり、帝国の使者が情報をくれたり、駆け出しの冒険者が初級レベルの依頼をこなしたりと、基本的には穏やかで地味だった。

 王都と帝都を結ぶ街道の真ん中にある、まさに「場末」の支部といった感じだ。


 ――そんなある日のこと。


 私がギルドの玄関の前でホウキで掃除をしていた、ちょうどその時だ。

 帝国側からの街道を一人の旅商人の男が、ふらふらとこちらに近づいてきた。

 ちょうど私の目の前で、その男が倒れ込んだ。


「ひっ!」


 思わず短い悲鳴が漏れた。彼は全身を怪我で汚し、息も荒い。


「だ、大丈夫ですか!? ほら、中へ!」


 私は慌てて彼をギルドの中へ引き入れた。

 マスターや先輩受付嬢のエレンさんが駆け寄ってくる。

 私はとっさにギルドに備え付けの回復ポーションを取り出し、彼の口元へ持っていく。


「ふぅ……あ、ありがとう……助かった……」


 旅商人は、少しずつ息を整えながら、私に感謝の言葉を述べた。

 私は心なしか、私の《パワースマイル》が彼の顔から緊張を少し取り除いたような気がした。

(――《パワースマイル》……この顔で、このスキルが、どう役立つっていうの? ただの笑顔じゃないのよね? いや、笑顔の魔法ってこと? まさか、本当にこの笑顔で人助けができるの……?)


 落ち着いた旅商人から事情を聞くと、彼の言葉は、この辺境の地に、これまで感じたことのない、具体的な危機感をもたらした。


「……近頃、魔物との遭遇が増えてきてましてな。特に、帝都側の街道途中の森が……最近、とくにやばいらしい。私も、なんとかここまでたどり着けたが……」


 彼の言葉に、マスターとエレンさんの顔が険しくなる。


   ◯


 今から思えば、旅商人を助けたことが始まりの合図だったのかもしれない。

 あれから、ギルド支部は久しぶりに活況を呈するようになった。


 魔物の増加問題に対処するため、隣国の帝国からの使者がギルドにクエスト依頼をしていったりしつつ王都へ向かう。

 また王都からの下っ端兵士なども、ギルドに寄っては帝国側の森へ魔物討伐に向かうようになったのだ。

 兵士や冒険者たちは、その帰りにもギルドに立ち寄っては、報酬を受け取ったり、食堂で食事をしたり、宿泊施設で体を休めたりしていく。


 場末のギルドとはいえ、食堂や宿泊施設も併設しているのだ。

 忙しい時には近隣の村から、コックや、食事の配膳、宿の掃除やベッドメイクなどの手伝いに来てくれるほどだった。


 ギルドはにわかに活気づき、私の仕事は、まさに「てんてこまい」といった状態になった。

 だが、私は前世の市役所で培った事務処理能力と対応力をフル稼働させ、次々と依頼をこなしていく。市民の困り顔を笑顔に変えてきた経験が、ここ異世界でも役立っている。それと、これまで真面目にギルドの受付嬢をつとめてきた数年のリリカちゃんの記憶のおかげでもあるかな。


 私(翔子)にとっての初めての異世界の仕事は、慌ただしくも充実していた。


(――私、ファイト!!)


          ―― 第15話へ つづく ――

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