「誰か! 負傷者だ! 早く手を貸してくれ!」
「こっちも頼む……」
冒険者風の2人の男がギルドの扉を蹴り開けて叫ぶ。その腕には、血まみれで意識を失った魔法使いと思しき若い女性がもたれていた。
「ちょっと! どうしたの!? この傷……!」
受付カウンターにいた私とエレン先輩は、慌てて駆け寄った。
「リリカ! ギルドマスターを呼んで!」
「は、はい!」
私は走った。ギルマスのいる奥の部屋へと。
「どうした!? ……って、おい、これは……!」
奥から出てきたギルドマスターが顔をしかめる。
「ぐぬぬ……あいつが、あいつが……森の奥から……」
負傷者がうめきながら、か細くつぶやいた。
「あいつ? 何が出たんだ!? エレン、処置を頼む!」
「了解。リリカ! 清潔な布とポーションを至急用意して!」
エレン先輩は冷静に指示を出し、負傷者の手当てを始める。
――次々と負傷者が担ぎ込まれてきた
「マスター、負傷者が次々と……!」
私が戻ると、ギルドの中はすでに大混乱だった。
「リリカ! 負傷者の数が尋常じゃない! もう何人来たかわからない!」
「えっ、そんなに……!」
ギルドの中には、血まみれで担がれてくる冒険者たちが次々といた。彼らは皆、森からの帰還者だった。
「おい、こいつもだ! 早く!」
「こっちも! ポーションが足りないわ!」
「もう、ポーションは底をつきそうよ!」
「マスター、これ以上の負傷者は受け入れられません!」
「いや、これは、まだ来るぞ! まだ森からの帰還者がいるはずだ!」
「おいおい……こんなに負傷者がいるなんて、どういうことだよ……」
ギルドの中に、重い沈黙が落ちた。
「なあ、これって森で何か……起きてるってことだよな?」
「いや、待てよ。まさか、先の帝都大戦で封印されし魔獣が動き出したとか……?」
「やめてくれよ、冗談でもそんなこと言うなって!」
「でもこの数の負傷者、ただの群れじゃ済まないぜ……!」
「ポーション、もうこれで最後……」
「えっ、もう? これじゃ次の襲撃があったら……」
ギルドのあちこちから、不安と絶望の声が漏れ出す。
「マスター、これ以上の対応は無理です! 人手も、物資も――!」
「……くそっ! なんなんだ、一体……!」
マスターが頭を抱える。後ろでは、まだ別の冒険者が担がれてきていた。
「リリカ、大丈夫?」
「……え? あ、うん……」
エレン先輩が私の顔を覗き込んでくる。
「震えてるじゃない。報告書、手が止まってるよ」
「……なんか、私……役に立ててないなって」
「何言ってるの。こういう時ほど、現状を記録するのが大事なんだから」
「でも、目の前であんなに血を流してる人たちがいて……私、ただカウンターで紙とペン持ってるだけで……」
「リリカ!」
「……はい」
「あなたが今、笑顔でそこに立ってるだけで、何人の冒険者が救われてきたか、わかってる?」
「笑顔……なんか、今はそんなの通じない気がして……」
ふと視線を感じる。受付前、足を引きずった男が、私のほうをじっと見ていた。
「大丈夫……ですか?」
思わず、そう声をかけていた。
「……君、受付嬢……か……」
「はい。……血、すごいですね。でも、大丈夫。エレン先輩がきっと……」
「……君の顔、見たら、ちょっと気が楽になった……」
「……えっ……?」
その瞬間、胸の奥がカッと熱くなった。
「……ありがとうな」
彼が目を閉じた時、私はハッとした……。
――《笑顔のちから、パワースマイル「無償の笑顔」》
「マスター!」
私はカウンターから身を乗り出して、声を張った。あまりに大きな声に、周囲の冒険者たちも振り返る。
「……リリカ?」
「私、武器も魔法も使えません。でも!」
言葉に詰まりそうになった喉を押し出すようにして続けた。
「でも……私は、ギルドの受付嬢です! この場にいる皆さんのために、私にできることが、あるはずです!」
しんと静まり返るギルドの空気。たくさんの視線が私に突き刺さるようだった。
「……何か、いい案でも思いついたのか?」
マスターが問い返してくる。試すような、でもどこか期待を込めた声だった。
「いいえ、いまは何もありません。でも……」
私は受付前の、倒れかけた冒険者を振り返る。
「でも、私は『笑顔』を忘れません。このギルドで、絶望している人に、一人でも多く希望を届けたいんです!」
「お前……笑顔で何が救えるってんだ?」
誰かがぽつりとつぶやいた。けれど、その声に、私はしっかり応えた。
「心です。……人の、心です」
その時、私の中で何かが弾けた。目には見えないが、静かに、しかし確かに私の身体全体から何かが解き放たれているのを感じた……。
「……その通りだな」
その声は、ギルドの奥から聞こえてきた。
「レイさん……」
漆黒の外套を羽織った男が、いつの間にか背後に立っていた。冒険者のひとりが、思わず息をのむ。
「彼女の言う通りだ」
レイの視線が、私からマスター、そしてギルドの仲間たちへと順番に向けられる。
「俺は……森から這って戻ってきたとき、最初に見たのが、あの受付嬢の笑顔だった」
「……えっ?」
「『おかえりなさい』って……たったそれだけなのに、なんだか、ああ、まだやれるって……思えた」
「……俺も……」
静かに、別の冒険者が口を開いた。
「リリカさん、覚えてないと思うけど、俺が初めて依頼失敗して戻ったとき、誰よりも先に『お疲れさまでした』って言ってくれた。……あれ、めっちゃ嬉しかったんだよな……」
「お、おう……俺も……あの笑顔なかったら、何回折れてたか……」
ぼそぼそと、だが確かな声で、あちこちから声があがる。
「すげぇな……そんなの、本人は気づいてないんだろうな……」
「……気づいてないです、正直……」
私は、頭をぺこりと下げた。
「でも……そうだったなら、うれしいです」
「――そうだよなあ!」
「……!」
マスターが思いっきり手を叩いた。
「受付嬢があそこまで言ってんだ! お前ら、どうするよ!」
「いやもう、立ち上がるしかねぇでしょ!」
「森は確かに怖ぇ……けど、このまま沈んでちゃ、ギルドが終わる!」
「ポーションもねぇし、剣も折れてるけど、心はまだ折れてねぇ!」
「誰がうまいこと言えって……でも、俺も行くぞ!」
空気が、変わった。
さっきまで誰もが絶望していたのに、今は皆が武器を握り直している。
「マスター! 討伐組の編成、俺がやります!」
「よっしゃ、在庫確認も手伝うぜ!」
「リリカさん、リスト整理は任せてください!」
「……ありがとう、みんな……!」
気づけば、私はカウンターの中で、自然と笑っていた。涙が出るくらい、うれしくて。
「ふふっ……やるわね、リリカちゃん」
後ろから声がして振り向くと、エレン先輩がいつものクールな微笑みで立っていた。
「え……私、なにか変なこと言っちゃいました?」
「ううん、全然。むしろ最高だった」
エレン先輩は、私の隣に並んでカウンターの帳簿を開きながら、ぽつりと続けた。
「ここまで持ちこたえられたの、あなたの『笑顔』のせいだと思ってたけど……そうじゃなくて、おかげだったんだって、今さらわかった」
「エレン先輩……」
「ポーションも魔法も、もちろん大事よ。でもね、傷ついた人が最後に縋るのは、誰かの『言葉』だったり、『表情』だったりするのよ」
「……誰かの笑顔、か……」
「その『誰か』になれるって、すごいことよ」
先輩のその声は、ほんの少し震えていた。
「……ありがとう、エレン先輩。今、やっと自分の居場所がわかった気がします」
――翌朝。
雨もやみ、朝日がギルド内を照らした。
扉の影から、ひとりの男が歩み寄ってきた。
「リリカ」
「レイさん……?」
彼はまっすぐに私を見て、無駄な言葉を挟まず言った。
「旅立つ……」
「……え?」
「魔物の出現頻度、明らかに異常だ。森の向こうで、何かが起きてる。俺はそれを、確かめなきゃならない。しばらくはここにもこれないだろう……」
彼の眼差しはいつも通り無表情に見えたけれど、その奥には迷いのない光があった。
「危ない場所に……行くんですか?」
「危なくない場所に意味はない」
「レイさんって、ほんと不器用ですね……でも、らしいです」
「……リリカ」
「はい」
「お前の笑顔は、このギルドにとって、そして多くの人にとって――かけがえのないものだ」
「……!」
「誰もがそれを、今日、思い出した。なら、お前はここで……光になれ」
レイは、それだけを言い残し、静かに踵を返す。
「……気をつけて」
その背中に向けて、私はただ、小さく呟いた。
ギルドの扉が開き、まばゆい朝日に照らされたレイの後ろ姿が輝いていた。
「……いってらっしゃい」
声にはならなかったけど、心の中で確かにそう言った。
「……レイさん、ありがとう。あなたの言葉、絶対に忘れません」
扉が、音もなく閉じられた。
しばらくその場を動けずにいた。私の中に、ひとつの穴がぽっかりと空いたような気がしていた。
でも――
「それでも、前を向かなきゃね」
彼が私に残した言葉は、今、胸の中心で温かく灯っていた。
ギルドのカウンターに戻ると、書類の山が相変わらずそびえていた。ああ、現実は変わらない。でも、私の中は変わった。
「……このペン、重く感じなくなったな」
誰も見ていないのをいいことに、私はふっと笑った。
「私、リリカ。異世界で『受付嬢』として生きると決めた」
もう迷わない。
「戦えなくてもいい。魔法が使えなくてもいい。私は、ここで、人を支える」
そう思った瞬間、書類の山が、まるで“希望”のかたまりみたいに思えた。
「この笑顔で、誰かの心に光を灯せるなら――それが、私の『力』なんだ」
朝日が、窓から差し込む。
「……よし」
私はペンを持ち直して、笑顔で小さく呟いた。
「――私、ファイト!」
―― 受付係のゆううつ編 おわり ――