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第2話 18年前の禁忌

 大教会に足を運ぶ詩応。講堂の最後列の席の後ろに立っている。

 フォーマルウェアとして、青っぽいブレザーの制服を用意してきた。セーラー調の襟と、スカートの裾を正す。

 予定の時間通りに、聖女アリスが教壇に立つ。それだけで、感嘆の溜め息が会場を包む。年頃とは思えない、麗しく荘厳な雰囲気を纏っている。

 ブルーのブラウスに白ケープの装束の聖女は、用意していたタブレットを開く。

「……私は、アリス・メスィドール。ご存じの方も多いと存じます」

と非常に滑らかな日本語で話すアリス。7カ国語を操るマルチリンガルだが、アジア圏のそれは日本語だけだ。

 美麗な声で、オーディエンスに語り掛けるアリス。会場内の誰もが、その話に虜になる……1人を除いて。

「女神ソレイエドールが導かれる未来を、私は皆さんとこの目に焼き付けたい。信者として、より一層の邁進をお願いしたい。それが、私の思いの全てです」

との言葉で締めたアリスを、拍手が讃える。それに合わせて手を叩く詩応は、しかし釈然としない表情を浮かべていた。そもそも彼女が本物のアリス・メスィドールなのか、その疑問が拭えないからだ。

 60分のスピーチの後、閉会の言葉が司祭から告げられ、出席者は一様に満足の表情で講堂を後にする。詩応もそれに混ざろうとしたが、後ろから呼び止められた。

「私のスピーチ、不満だったかしら?」

詩応が振り向くと、そこには先刻まで壇上にいた聖女が立っている。目ざとい……詩応はそう思った。

「私は彼女と話をしたい。2人きりに」

とアリスが言うと、後片付けも放置して誰もいなくなる。

 ドアが閉じられると同時に、アリスは言った。

「……シノ、だったかしら」

「どうして名前を……」

「シブヤで命を落とした殉教者、シア・フシミの妹。あの事件は、本当に忌々しいものだったと聞いているわ」

と、アリスは言う。詩愛姉の死が、フランスでも知られていたとは。

 そう牽制した聖女は

「シノ。私は空港で、貴女が血の旅団信者と会うのを見た」

と本題を切り出した。詩応は

「彼は、アタシのフレンドです」

と答える。アルスと再会した一部始終を見られていたのか。

「じゃあ、隣にいたあの男女は?グルなのかしら?」

その言葉に、詩応は苛立ちを滲ませる。流雫と澪をグル呼ばわりされるとは。

 思わず険しくなった目付きに、アリスは図星だと悟った。

「太陽騎士団と血の旅団は、歩み寄ってはならない。あの邪教はノエル・ド・アンフェルを引き起こし、我々を貶めようとした。日本でも、それぐらい知られているでしょう?」

諭すような口調に、ボーイッシュな少女は

「はい」

と即答する。知っている、どころの話ではない。

「では何故……」

「大事なフレンドだからです」

と詩応は断言する。

 「……確かに教団として、交遊関係まで制限はしていない。しかし、相手は邪教」

「その信者から聞きました。貴女と同じネックレスを持つ聖女が、テネイベールと同じオッドアイをした少年を、近寄るなと拒絶したと。襲撃された自分を助けた、にも関わらず」

そう言葉を返した詩応は、本来崇めるべき聖女に疑問をぶつけた。

 「アタシが知りたいのは一つだけ。聖女は今日来日した貴女1人だけのハズ。……では、昨日空港で彼が見たのは一体?」

その言葉に、アリスの眉間が動く。

 「……私に答える必要が有るとでも」

「有るとは思っていません」

「それなら余計な……」

と言葉を被せるアリスに、更に詩応は被せていく。

「ですが、もう1人の貴女はテネイベールに似た少年に助けられた。それだけは事実です」

「……アタシは、ソレイエドールの導きを信じる者。しかし、ルージェエールを崇める者やテネイベールに似た目をした者にも、対等に、公平に接したい。それが、アタシの信念です」

と続けた詩応は、頭を下げるとドアを開けて講堂を後にした。

 静まり返った講堂に立ち尽くすアリスは、その背中を見つめる。

 ……末端の信者が、あそこまで自分に突っ掛かってくるとは思っていなかった。不愉快でしかない。だが、詩応が突き付けた言葉が、深く突き刺さった刃のように感じる。

 ……もう1人の自分。彼女は何処にいるのか。そして、その存在を部外者が知った。恐らく、厄介なことになる。

「……シノ。貴女は疫病神なのかしら……?」

アリスはそう呟き、ドアを開けた。


 「……これが聖女の態度なの……?」

と、最初に口を開いたのは澪だった。

 渋谷駅前、トーキョーアタックの慰霊碑のすぐ近くのベンチに座る少女。その脇を固めるのは、日本人には見えない2人。

 アリスが他の者に退出を命じている間、詩応はスマートフォンの通話ボタンを押していた。相手は唯一連絡先を知る少女、澪。

 そして3人は、教会から少し離れた場所……渋谷駅前の広場でイヤフォンを使って会話を盗み聞きしていた。正しくは、流雫と澪が聞き、アルスは流雫がフランス語に同時通訳したものを聞いている。

 「聖女と云う立場がそうさせる。個人の見解が制限される、宗教で上に立つとはそう云うものだ。同情する気は無いがな」                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      と言ったアルス。その隣で流雫は、或る言葉が引っ掛かっていた。

 「……余計な……」

と口にする流雫に、澪が続く。

「……知られてはマズいことを、聖女は隠してる?だから余計な口を挟むな、と?」

「……聖女が2人いること。メスィドール家どころか教団にとっても大問題……」

「……影武者どころの話じゃないな……」

とアルスは口を挟む。……影武者でないなら、隠したい理由は一つ。それは、少し前にレンヌで流雫とアルスが話したことだった。

「……クローンに手を出した……」

2つの国の言葉が重なった。


 2週間前。

「じゃあ、メールにエアチケット情報を送ったから、アプリにダウンロードしてね」

目線をPCの画面からアルスに移しながら、アスタナは言った。

 急に決まった日本への渡航で、アルスは流雫の両親が営む旅行代理店を訪ねた。以前短期留学した時にも、この淑女にはコーディネートで世話になった。今回も頼んだが、何より流雫が接点になっている。

 パリから引っ越して15年。今の宇奈月クラージュ家の実家は、小さなオフィスが1階に有り、上階が居住区域。そのリビングにアルスを招いた流雫は、紅茶を淹れる。

 テレビを点けると、ドキュメンタリーが流れていた。特集はクローン。

「胎内で生まれない命か……」

「欧米は倫理面で規制するだろうから、やはり中国が先行するだろうな」

と、高校生2人は口にする。年頃らしくない話題だが、互いに知的好奇心は旺盛な方で、話が合う。

「胎内と云う聖域で生まれなかったから、命とは認めないのか」

「でも生きている。命を認めるべきじゃないのか」

と返したアルスに、流雫は問う。

「……血の旅団としては?」

 「基本的には賛成だ。人工的であれ、命を宿すもの全てを尊重する。その理念は太陽騎士団と共通だが、あっちはクローンには反対している。ただ、どっちが正しいか、なんてナンセンスでしかない」

とアルスは答え、紅茶に口を付ける。

 ……時代が変われば、それぞれが新たな解釈をするだろう。無論、それが新たな火種になることは、容易に想像がつくが、それはまた別の話だ。


 太陽騎士団のトップが、教団としてはタブーだったハズのクローンに手を出した。もしそれが事実なら、大スキャンダルになる。だから隠したい……と云うのも頷ける。

「……だとすると、何のためにクローンを生成したんだ……」

とアルスは言う。それが最大の疑問だった。

 「待たせた……!」

と言いながら、詩応が駆け寄る。澪が立ち上がりながら

「聖女との話、全部入ってましたよ」

と言うと、アルスは続く。

「聖女に向かってよく言った」

「アンタたちをバカにされて、黙ってられないからね」

そう言った詩応は、1人ベンチに座ったまま腕を組み、下を向く流雫に目を向ける。

 「……流雫?」

「……アルス、聖女アリスの弟の名、知ってる?」

と問われたアルスは

「セバスチャン。セブと呼ばれてる」

と言った。

「セブ?」

リピートした流雫は、しかしその名に聞き覚えが有った。

 ……プリィに弟がいた。会ったことは無いが、彼女は確かにセブと言っていた。そして。

 流雫はスマートフォンでアリスの写真を検索し、首から下を手で隠す。……10年以上前の面影を、6インチの画面に見た。

「アリスが、プリィ……!?」

目付きを険しくした流雫の声に、誰より早く反応したのは澪だった。

 「プリィ……?」

「レンヌに住んでた頃に、何度かだけ遊んだことが有って」

と流雫は答える。

 彼女の両親は、流雫の両親にとって大口顧客だった。父が仕事の話をしている間に、母が見守る中で子供同士遊ばせていただけに過ぎない。とは云え、人の顔を覚えるのは得意な流雫の記憶には、鮮明に残っている。

 「プリィが、弟をセブと呼んでた。メジャーな名前だから、単に人違いかも……とは思うけど」

と流雫は言う。だが、澪は

「……もし、アリスがプリィだとして……何故アリスを名乗ってるの?」

と問う。アルスは翻訳アプリを見ながら

「聖女は代々アリスを名乗る決まり、なんてものは無い。名乗るだけの特別な理由が有るんだろう」

と答えた。流雫は呟く。

「……理由か……」

 プリィと云う名を捨てなければいけない理由。彼女の過去に何か有ったのか……?

 しかし、此処でこうしていても何も始まらない。4人はNR線の改札へ向かった。


 山梨県東部の都市、河月。河月湖を中心とする観光で知られる。都心から快速列車とバスに乗って2時間近く。4人が辿り着いたのは湖畔のペンション、ユノディエール。流雫の日本での住処だ。

 流雫の父、宇奈月正徳。その親戚、鐘釣夫妻が営む。名前は、開業を手伝ったアスタナが生まれ育ったコミューンに因む。普段は流雫も手伝いをこなす。

 親戚夫妻は3人を歓迎した。部屋は男女で別れ、澪と詩応には端の客室が割り当てられた。アルスは流雫の部屋だ。

 夜、ディナータイムの片付けを終えた流雫はアルスがバスルームにいる間に、スマートフォンを耳に当てた。その後で少し外に出たかったが、生憎の雨だ。出る意味が無くなった。

「ルナ?どうしたの?」

とスピーカーから声が聞こえる。アスタナだ。気になることが有るから、話すことにした。

「昔、何度か一緒に遊んでた子のこと……覚えてる?」

「プリィ?覚えてるわ。彼女が気になるの?」

と母は答えた。日本に留学経験が有り、その間に今の夫と交際を始めたが、それだけでは説明が付かない程に日本語が上手だ。

「……一つだけね。名字……」

「フリュクティドール」

と母は答える。

「プリィ・フリュクティドール?」

と流雫は声に出す。

「……何か有ったの?」

「……少しね。どんな子だったか……」

と言った流雫に、アスタナは

「……顧客のことだから、本来はタブーだけど」

と言った。


 流雫の一家がパリに住んでいた頃のこと。当時パリの太陽騎士団中央教会を統べていたフリュクティドール家が、国内外の移動や宿泊の手配を宇奈月クラージュ夫妻に頼んでいた。一家がレンヌに引っ越した後もその関係は続き、司祭は時々レンヌを訪ねていた。

 その時にプリィを連れていて、話の間リビングでルナと遊ばせていた。

 フリュクティドール家との関係は今でも続いているが、プリィはパリの名門校で神に関する学問を究めようとしているらしい。弟セバスチャンと同様に。だからこの数年会っていない。


 「サンキュ、母さん」

と流雫は言う。それだけ聞き出せれば十分だろうか。

「……ルナ、何が有ったか知らないけど、女神の手を放してはダメよ?」

「ミオのこと?判ってるよ」

と答え、また連絡すると告げた流雫が通話を終えると同時に

「どうした?」

と言いながら、アルスが部屋に戻ってくる。

「プリィ、パリのフリュクティドール家だった。今はセブと一緒に寄宿舎にいるらしい」

と言った流雫に、アルスは

「プリィ・フリュクティドールがアリス・メスィドール……?」

と呟く。もし流雫が間違っていないなら、関係性は何だ……?

 「……待てよ?」

とアルスが更に呟く。

「どうしたの?」

「フリュクティドール家とメスィドール家は親戚関係だったな……。例えばアリスがクローンだったとして、プリィをベースにアリスを生成した理由は何だ……?」

と言ったアルスに、流雫は続く。

「……人工的にアリスを生み出す必要が有った……?」

フランス語のラリーが止まる。数分にも感じられる数十秒の静寂を破ったのは流雫だった。肝心なことを知らなかった。

「そもそも、総司祭や聖女の条件は何なんだ?」

「総司祭一家の条件は、聖女を有すること。聖女は、その地位に相応しいだけの信仰心と多方面の知識を備える必要が有る。聖女がいてこその総司祭の地位だ。アナクロな気がするのは、俺だけじゃないハズだが、宗教とはそう云う……」

と、突然言葉を切ったアルスは

「……そうか……それなら有り得る……」

と呟く。怪訝な表情を浮かべる流雫のオッドアイを見つめ、アルスは言った。

「クローンをメスィドール家の聖女にする必要が有った」

 「クローンを?」

流雫は怪訝な表情でアルスを見つめる。

「メスィドール家には男しかいなかった。だからプリィをベースにしたクローンを生成し、アリスと名付けて育てる必要が有った。それなら……」

「クローンが聖女……」

「教団としては禁断の存在が、最上級の地位に立つ。シノが聖女から釘を刺されたのも、そう云う理由なら納得がいく」

とアルスは言う。

 「……そこまでして、総司祭の地位が……」

「地位を欲している奴らは少なくない。ノエル・ド・アンフェル以降、フランスではこのテの争いが増えたとは聞いている。シノは呆れるだろうな」

と言ったアルスは流雫のベッドに身体を預け、続けた。

 「……シノは或る意味では、聖女に近いのかもな」

その言葉に、流雫は

「だと思うよ」

と続けた。リップサービスなどではなく、一緒にテロと戦う中でそう思うようになっていった。

 ……詩応がいなければ、日本の乗っ取り計画を阻止できなかった。当然、ノエル・ド・アンフェルやトーキョーアタック、そしてこの銃社会化の真相も暴けなかった。だから流雫は、詩応を尊敬していた。


 幼少期から姉の背中を追い続けた詩応は、その死の真相を追う中で、新幹線で首を切られた。その後遺症が残った。手を挙げると、痙攣したかのように震える。

 それでも、銃を手に戦えた。全員で生き延びるために。だから今こうして、流雫のペンションにいて、澪と同じ部屋で過ごしていられる。平和で最高の時間に感じられる。

 詩応はアルスと相部屋でもよかった。流雫と澪が同じ部屋であるべきだと思っていたからだ。アルスにも恋人がいるし、自分にも地元に同性の恋人がいる。互いに手を出すことは無いだろうから、そうでもよかった。

 だが、流雫はそうしなかった。澪が自分の次に詩応を慕っていることを知っている。だから、折角だし長い夜を2人きりで、と気遣ったのだ。

「流雫には敵わないな」

「そうでしょ?」

と満面の笑みを浮かべる澪。最愛の少年を認められたことが嬉しい。

 澪は、詩応に後ろから抱きつく。

「詩応さん……」

そう名を呼んだ澪は、彼女が生きていることを感じていたかった。

 あの日、詩応を殺されたと思って泣き叫んだ澪は、無意識に彼女の生に執着を見せるようになった。何時かの流雫に彼女を重ねていたのも、余計にそうさせる。

 時々重苦しくも感じる澪の献身が、詩応は寧ろ好きだった。だから詩応も、澪の力になりたいと思っている。

「アタシは死ねないからさ、アンタたちのために」

と詩応は言った。恋人のため、澪や流雫のため、テロなんかで死ねない。

 澪の、抱き締める力が少しだけ強くなる。今この瞬間に伝わる身体の熱を感じて、彼女が生きていることに安堵していたかった。

 こんな澪に誰より愛される流雫は、世界一の幸せ者だ……詩応はそう思った。


 来客にベッドを与えた部屋の主が部屋を出る。窓の外は少しだけ明るい。このペンションの名物、モーニングの準備だ。

 静かに閉めたドアの音で、アルスは目覚めた。フランスは、未だ日付が変わっていない。ブロンドヘアの少年は勝手にカーテンを開けると、スマートフォンを耳に当てた。

 「……着いたばかりの日本はどう?」

と問うた恋人に、アルスは

「最悪だ。新たな問題が起きた」

と答え、続けた。

 「聖女アリスが2人、日本にいる」

「……はい?」

アリシアの反応は、或る意味当然だった。アルスが一通り説明すると、赤毛の少女は恋人に言う。

「……アンタの読み、少し外れてるわ。メスィドール家には女子がいなかったワケじゃない。いたの」

 「その言い方……、お前……?」

そう言ったアルスの表情が容易に想像できる。アリシアは通話相手に軽く頷き、告げた。

「そう、アリスは死んでるの。正しくは誕生から2時間後だけど、そのことを届け出なかった。だから、戸籍上は産まれてもいないわ」

「……じゃあ」

「死んだアリスの代わりが、プリィをベースにしたクローン。元の細胞や遺伝子を、フリュクティドール家が何故提供したのかは判らないけど」

「どうしてそのことをお前が?」

「パパよ。太陽騎士団の問題を調べるうちに、辿り着いたらしいの」

とアリシアは言った。

 リシャール・ヴァンデミエール。世界的規模の通信社、アジェンス・フランセーズの記者。専門は国内問題だが、かつて娘を経由して流雫に協力する形で、日本の銃社会化の真相を全世界にリークした。

「西部教会は女子に恵まれず、不妊の病を克服したメスィドール家にとっては待望の第一子。それも女子。そうして注目された女子誕生は、最悪の結末を迎えた。それは双方にとって大ダメージ。予定通り産まれた、とする他に手段は無い。だから出生届も死亡届も出さず、クローンに手を出した」

「一家のプライドのためにタブーを犯したのか」

とアルスは言う。

 「一家と教会のために、が正しいわね。教会にとって望ましい形、その答えがクローンだった」

「何が教会にとって望ましい、だよ」

「西部のレンヌだけじゃない。中央パリ、南部マルセイユ、東部ストラスブール、そして総本部のお膝元、北部ダンケルク。総司祭一家がどの地方出身かは、地方にとってのプライドと権益に関わるわ」

「フェミニストの標的よりも厄介なことが多過ぎるのかよ」

と言ったアルスは、怒りよりも呆れが勝っていた。創世の女神も今頃嘆いているだろうか。

「これが血の旅団の話なら、アンタなら司祭に詰め寄って喧嘩してるわね」

とアリシアは言う。図星だ。アルスは苦笑を浮かべるしか無かった。

 「……聖女アリスも、プリィのことを追っているハズよ。ただフランスに連れ帰すだけならいいけど……」

と言ったアリシアに、アルスは問う。

「ただ、ルナはファーストクラスに座るプリィを目撃している。高校生でファーストだぞ?しかも1人旅。家族もよく認めたものだが、認めるだけの事情が有ったのか」

とアルスは言った。

「認めるだけの事情ね……確かに引っ掛かるわ」

そう言ったアリシアはPCを開く。

「血の旅団に影響が及ばなければいいけどね」

「レンヌの街には既に及んでるがな」

そう言ったアルスの耳に、ドアを叩く音がした。もうモーニングの時間か。

「ルナが呼んでる、また連絡するよ」

「気を付けて」

とアリシアが言うと、アルスは通話を切った。……話を切り出すのは4人揃った後だ。先ずは、ルナ特製ガレットを堪能するだけだ。


 ユノディエールの隠れ名物は、流雫特製ガレット。蕎麦粉を使ったクレープのことで、ブルターニュ地方の郷土料理。オーダーが入れば焼くだけだが、毎朝ほぼ全員がオーダーする。

 シャンボンハムと目玉焼きが乗った、スイーツではないクレープ。それも、皿の上に盛り付けられ、ナイフとフォークで食す。惑いながらも、詩応は口にする。……澪やアルスが絶賛する理由が判る。

「流雫って料理が特技だったんだ?」

「日本でも故郷の味を楽しめるようにと、母さんから教わったんだ」

と言って微笑む流雫。両親と離れて生活する元フランス人の少年は、その過去を逆手にモーニングでペンションを隠れた有名宿泊施設にした。

 中性的な顔立ちの裏に宿す芯の強さは、一緒に戦った者にしか判らない。……そう、流雫は弱くない。弱いワケが無い。それが、ダイニングの端にいる3人の認識だった。

 食後に淹れた紅茶を啜ると、4人は再度東京に出ることにした。

 高速バスで新宿に着くまでの間、窓側の席に座る澪は、流雫に寄り掛かって微かな寝息を立てている。詩応曰く、昨日は2人ガールズトークで盛り上がり、夜更かししていたらしい。

 通路側に座る流雫も、軽く目を閉じる。先刻アルスから軽く聞いた話を思い出していた。

 ……名門がタブーを犯してでも手に入れたい総司祭の座。無宗教の流雫には、その価値は全く判らない。

 高校生の分際で生意気だとは言われるだろうが、地位や権威が人を狂わせることを流雫は知っている。そして、それに足下を掬われることすら。

「……セブ……」

と流雫は、小さな声で呟く。

 ……プリィの弟が、本当は姉と同じ寄宿舎ではなくメスィドール家にいるとすれば。そもそも寄宿舎の話自体が真実じゃないとすれば。フリュクティドール家は何を隠しているのか。

 セバスチャンが、或る意味プリィよりも重要な鍵を握っている気がする。


 新宿に着いたバスを降りると、4人は下のフロアに向かった。シンジュクスクエアと呼ばれる小さな広場は、かつて流雫と澪、そして詩応が戦った場所でもある。犯人と戦っていた2人に帰国したばかりの流雫が合流し、雨が降る犯人を仕留めた。

 だが、詩応は姉の死の理由を聞かされ、雨に濡れながら泣いていた。澪は詩応を抱いて慰めようとし、流雫は何もできない無力感を抱えていた。

「美桜……。僕はどうすれば……2人の嘆きに触れられる……?」

と。

 「あれ……?」

澪が声を上げる。広場の端、碧と白の衣装の少女が立っている。

「プリィ……」

と名を呟く流雫。何故、彼女が此処にいるのか。とにかく話をしたい、何が起きているのか知りたい。

 しかし、この前の拒絶が頭を過る。アルスは血の旅団信者だとバレなければいいが、流雫はそのオッドアイの時点で拒絶される。

「あたしたちに任せて」

と澪は言い、隣で詩応も頷く。今は2人に任せるしかない。流雫は頷く。

 流雫に背を向けた澪は、小さな声で呟く。

「……流雫は無力じゃない」

それは小さいながらも、しかし流雫には確かに聞こえていた。


 八芒星のネックレスを揺らす少女に近寄る2人。その片割れに見覚えが有る聖女は、

「あ……」

と声を上げる。澪は英語で問う。

「……プリィ・フリュクティドール?」

「……その名前……」

何故その名前を知っている?それが少し不思議だった。澪は言う。

「あたしの恋人が、昔貴女と遊んだことが有る……そう言ってて」

「昔……?」

「ルナ。名前、覚えてませんか?」

その問いに、プリィは思い出す。ルナ・クラージュ・ウナヅキ……。

「……貴女は?」

「あたしはミオです」

「アタシはシノ」

と2人は名乗り、本題を切り出す。

 「……一昨日、警察署でルナに近寄るなと言った。その理由も、太陽騎士団の地位故のものでしょ?」

「でも、アンタは聖女じゃない。アンタのクローンが聖女。それなのに、聖女のネックレスを持ってる。……どう云うことなんだい?」

2人からの問いに、プリィは問い返す。

「……私から聞き出して、何を……」

「アタシたちは、アンタを護りたい。1人で日本に来た理由も重そうだし」

「……あたしもシノも、敵じゃない。それだけは、信じてください……」

と言った詩応と澪に、プリィは答えた。

 「……私は、聖女アリスの身代わり」


 「……私は、聖女アリスの身代わり」

そう言ったプリィに、澪は

「……え?」

と声を上げる。

「身代わりって……」

 「アリスは私を元に生成された。ただ、クローンは不測の事態が起きやすいもの。その時は、私がアリスになる。本来はそうだった」

「本来は?」

澪は問う。今は違う?

「でもアリスは安定期に入った。だから私の、身代わりの役目は終わった」

と答えたプリィに、詩応が問う。

「じゃあ、そのネックレスはもう……」

「……」

プリィは何も言わない。

「アタシは、太陽騎士団信者であることを誇りに思います。だからこそ気になる。本国フランスで何が起きているのか……」

と詩応は続くが、聖女の装束を纏った少女は沈黙を守る。

 ……誰にも言えないだけの理由が有るのか……。そう思った澪に、プリィは言った。

 「ルナは何処……?」

その言葉に、先に反応したのは詩応だった。プリィは自分より断然上位で、信者である詩応にとっては敬愛すべき存在。だが、今はただ我が侭な少女にしか見えない。

 「この前は拒絶したのに今になって……!」

「詩応さん!」

澪は咄嗟に詩応を宥める。言いたいことは判る、しかし今は冷静でなければ。本質を掴むためには冷静さを欠かないこと、それは流雫から学んだ。

 「……ルナに会って、一体何をする気ですか……?」

と、澪は問う。冷静だが、声色は穏やかではない。

「……ルナの目を見て、咄嗟に破壊の女神を連想した。それほどまでに敬虔な信者なのは認めます。だからこそ、理由が判らない以上は……」

 「セバスチャン」

と詩応が口を挟む。見開かれるプリィの目を、詩応の目線は外さなかった。

「面識が有ったルナになら、弟のことを話せる。だから会いたいんじゃ?」

詩応の言葉がもたらした数秒の沈黙の後、プリィは頷く。

「その通りよ」

その英語に、今度は澪が数秒黙り、そして言った。

 「……ルナを二度と威嚇しないと、約束できるなら」

その言葉に、プリィは再度頷く。

「澪?」

と詩応が問う。何故会うことを認めたのか気になる。

「……今の彼女にとって、流雫に会うのは絶対に果たすべきこと。それなら、威嚇しないことぐらい簡単でしょ?」

と言った。

 ……仮に、プリィがライトノベルで有りがちなパーティークラッシャーだったとしても、澪は心配していない。その意志を悉く粉砕するのが流雫だからだ。


 「流雫!」

と少年を呼んだ澪の隣、詩応に挟まれる形でプリィが歩いてくる。かつての面影を残しながら、更に美しくなっているのが判る。

 3人がほぼ同時に止まると、澪は流雫に

「……あたしと詩応さんは少し離れるわ」

と言い残し、詩応と2人で去って行く。

「俺も」

と言って、アルスも続いた。……血の旅団とバレないためにではなく、折角の再会だから邪魔者は消えるのみ。

 そうして、流雫とプリィだけがその場に残された。

 ……レンヌで最後に会って12年、まさか再会したのが東京だとは。

「プリィ……12年ぶりかな」

「ルナ……この前は」

と言い掛けた少女を流雫は

「無事でよかった」

と遮る。自分を威嚇した理由も知っている、だからどうでもよかった。

 そして流雫は、本題を切り出す。

「……プリィ、どうして日本に……」

「……現実逃避」

とプリィは答える。

「……セブは……もう私の弟じゃない。だけど私の弟」

「それって……」

と言った流雫の頭に、疑問が浮かぶ。プリィは言った。

「……セブはメスィドール家に売られた。教会の政治的道具として」


 1年前、セブはメスィドール家に買われた。プリィからすれば、人身売買でしかない。大事な弟を100万ユーロで売られたことに対する憤りは、今でも大きい。

 フリュクティドール家が弟を売ったのは、財政的に困窮していたからではない。アリスに何か有った時、瓜二つのプリィがアリス・メスィドールを名乗る取り決めを、家族が秘密裏に交わしていた。そしてその時のために、セブをメスィドール家の長男だとして置くことにした。それは、メスィドール家の基盤が西部だからだ。

 ブルターニュとペイ・ド・ラ・ロワール、2つの地域圏を基盤とする西部教会。特に中心となるレンヌは昔から血の旅団が強い。今でこそ2つの教団で歩み寄りは見られるものの、メスィドール家をはじめとする西部教会の上位には、血の旅団を拒絶する人だって少なくない。

 日本で太陽騎士団が狙われ続けた事件の解決に尽力したのが、レンヌに住む血の旅団信者だった。それが知れ渡ると、血の旅団への評価が高くなった。それに対する焦燥感から、メスィドール家から聖女を輩出し総司祭一家となることを、西部教会全体の至上命題に定め、実現させた。


 そのレンヌに住む血の旅団信者こそ、アルスとアリシアなのだ。

 太陽騎士団の仕業に見せ掛けたテロを、日本で次々と起こした宗教テロ集団がいた。正しくは、日本で生まれたカルト教団の総司祭が、自身と関係が有った政治家が所有していた不法難民を駒として、太陽騎士団の仕業にみせたテロを起こしていた。

 目的は、社会的評価が高い太陽騎士団を排除し、支持する政治家を日本の政治の舞台から引き摺り下ろし、自分たちの教団が政治を牛耳るため。しかし、その目論見は流雫たちによって打ち砕かれた。

 アリシアの父リシャールの署名入り記事が、そのターニングポイントになったことで、2組の一家の功績とされるようになった。それが逆に、西部教会の顰蹙を買った。

 だから、レンヌで自動車爆弾テロに遭遇した時も、太陽騎士団の連中はアルスを険しい目で見ていた。そして、一緒に戦っていた……つまりはグルだとして流雫も。


 「教団にとっては、これが最も安全な形。でもアリスは安定期に入り、もう万が一の事態は起きないと言われてる。それでも、セブは戻ってこない。だから、セブを取り戻したい」

と言ったプリィは、コンクリートとガラスに囲まれた地上から、狭い東京の空を見上げる。

 「……セブは、フリュクティドール家に戻る。そして、セブが望んだ人と結ばれる。それが私の願いよ。私には、それができないから。聖女候補とされた者には、愛する人を選ぶ権利そのものが無いもの。だから、セブには自由であってほしい」

そう言ったプリィの顔には、諦めと寂しさが漂っている。

 それなりの立場の一家に生まれ、或る程度未来を決められた身。そして、ただでさえ少ない選択肢は様々な外的な都合が重なり合って、やがて消える。だから愛する弟には、自分が望む未来を手に入れてほしい。

 流雫は何も言えなかった。プリィに比べれば、その意味では断然恵まれているからだ。

「……でも、取り戻す、なんてできるワケない。そのために犯罪を犯すなんて、それこそやってはいけないことだから。だから、現実逃避したいの」

「だから日本に?」

「そう。まさかルナに、あんな形で会うとは思わなかったけど」

とプリィは言う。そして、自分が狙われるとは。もし、あの場に偶然流雫がいなければ、咄嗟に足下のタオルを顔に当てていた。そして、今頃は棺に寝かされて飛行機でパリへ帰国していただろう。

 見知らぬ地、東京で命を救われたのは、やはり女神ソレイエドールの導きなのか。プリィはそう思った。

「……現実逃避しようにも、上手くいかないものね」

と言ったプリィは、寂しげに笑いながら流雫を見つめた。


 「……でも」

と澪が言った。シンジュクスクエアは2フロア構造で、そのアッパーデッキに3人がいる。女子高生2人は、階下の2人を見下ろしていた。その端でアルスは1人、フランス語が並ぶスマートフォンの画面と睨めっこだ。

 「何故プリィが狙われたのか……」

「猛毒を塗られそうになったんだっけ?」

「ええ」

と、澪は詩応に答える。

「教団にとっての重要人物を殺そうとする……」

「聖女アリスと間違えたのか」

「最初からアリスではなく、プリィを狙う気だったのか……」

そう言葉を重ねる2人の隣で、

「……待てよ……おい……」

と呟くアルスの目つきが険しくなる。それに気付いた詩応が名を呼ぶ。

 「アルス?」

「……どうなってんだよ……!?」

とだけ言ったアルスは、スマートフォンを握り締めると

「プリィに話が有る!」

とだけ言って、地面を蹴った。


 「ルナ!」

と名を呼ぶ声が聞こえた。

「アルス!?」

「……プリィに話が有る」

そう言って、階段を駆け下りたブロンドヘアの少年は、流雫の隣に立つ。突然の邪魔者に、プリィは怒りを湛えた瞳で問う。

「誰ですか!?」

「俺はアルス。ルナのフレンドだ」

と答えたアルスは、プリィの言葉を待たず質問を投げ付けた。一つだけの、しかし大きな質問を。

「……何故セバスチャンも2人いるんだ……!?」


 プリィの目を、驚きと焦りが支配する。そして

「セブが2人……!?」

とだけ声に出した流雫に、アルスは

「配信されない記事だ」

と言ってスマートフォンを突き付ける。

 ……アルスが見ていたのは、赤毛の恋人から朝方に送られてきていた長文の記事だった。配信されないながら、その冒頭にはリシャール・ヴァンデミエールの署名が入っている。

 パリ近郊サン・ドニの生物化学研究施設から、機密データの流出が確認された。物理デバイスにコピーされたものが持ち出されたことが、データのアクセスログから判明したのだ。

 暗号化されたデータは、しかし簡単に解読された。それには、フリュクティドール家のプリィとセバスチャンの遺伝子情報が含まれていた。

 移植手術における理想、適合率100パーセントの臓器を確保することが、クローン開発の本来の目的だったが、生成したのは全身全て。しかも生後すぐの話。何故そうする必要が有ったのかは、入手した情報からは何も判らない。

 生成された男女1体ずつ、計2体のクローンは、特に不具合を起こすこと無く、安定期にも入り順調に生きている。そして、女子のそれは人工的生命体初の聖女に選出されたが、男子は今も全てがベールに包まれたままだ。


 「セブのクローンが……いた……!?」

そう言ったのはプリィだった。アルスはその反応に違和感を覚える。

「……お前、何か知ってるんじゃないのか?」

「プリィ……何が起きてるんだ?」

と、アルスと流雫は問う。

「し、知らないわよ……!」

と答えたプリィは、しかし動揺を禁じ得ない。

「どうして、セブまで……」

「……何も知らないんだな……」

と流雫は言った。全てを知っていた上で隠している……とは思えない。隠していても、今問い詰めるのは逆効果だ。

 「アリスとは事情が違う。セバスチャンを生成する理由が何も無い」

「アリスのセブが生きてるなら、私のセブを引き取る理由も無い……」

と言い、俯くプリィにアルスは言った。

「……お前の教団の中枢で、何が起きてる?」

 「お前の?」

プリィは思わず口にする。同じ教団であれば、こう云う言い方はしない。まさか……。人形のように整った顔が、再度怒りに満ちていく。

「まさか、血の旅団……!!」

「御名答。レンヌ、プリュヴィオーズ家の末裔だ」

とアルスは言った。

 西部教会にとっての、或る意味最大の敵。それが目の前にいて、しかも流雫のフレンドとは。プリィは無意識に叫んだ。

「ルナ!!よりによって邪教なんかに……!!」

「ルナは無宗教だ。お前の敵じゃない」

とプリィの言葉に被せるアルスに、彼女を怒らせる意図は無かった。遅かれ早かれ正体を明かすことになるのなら、早い方がよかった。それだけの話だ。

 だが、上級職に就くプリィにとっては、ルナが邪教の人間と連んでいることに、戸惑いと怒りを覚えることは当然だった。裏切られた……その感覚さえ抱く。

「じゃあ何故……!」

「……ノエル・ド・アンフェル、トーキョーアタック。僕を祖国から追い出し、かつての恋人を殺した2つの事件。その真相を掴むために、僕はアルスの力を借りた。それしか無かった」

流雫の声に足音が混ざる。流雫の視界の端に、階段を駆け下りた澪と詩応が映った。

「でもノエル・ド・アンフェルは血の旅団が……!!」

「判ってる。それでもアルスに頼りたかった」

滑らかなフランス語の応酬は、2人の女子高生には何と言っているか判らない。しかし、僅かなフレーズだけは聞き取れる。

 ……アルスに頼りたかった。アルスしか頼れなかった。

「邪教に頼ってまで、恋人の仇討ち?」

その声の主を睨んだのは、流雫ではなかった。

「ルナを敵に回す気か?」

とアルスは言う。あくまでも冷静に、そしてプリィのために。

 「ルナを敵に回せば、お前の味方は日本ではいなくなる。誰一人な」

「ミオやシノは!?」

とプリィは返す。特にシノは信者、彼女は味方のハズ……。

 しかし、アルスは一蹴した。

「2人はルナの味方だ。国籍や宗教すら超えた結束に、教団内の地位如きが敵うと思ってるのか?」

「……私を脅してどうする気?」

「脅す気は無い。現実を言っただけだ」

とアルスは言いながら、2人の女子高生に目を向ける。詩応は無意識にその名を呼ぶ。

「アルス……!?」

「何でもない」

と英語で答えるブロンドヘアの少年は、あくまで2人には落ち着いた声で言う。……関わってほしくない。だが。

 「ミオ、シノ!私の味方だよね!?」

と、2人に向いて問い掛けるプリィ。その目には焦燥感が滲んでいる。

「……味方?」

「邪教と手を組んでないよね!?」

「邪教……!?」

とだけ日本語で繰り返した詩応の隣で、澪の表情が険しくなる。

 ……フランス語で捲し立て、英語で同意を求めてきたプリィは、邪教と云う言葉を使った。……血の旅団を邪教扱いした。そして、焦り気味に味方かと問うてきた。

 「……ルナに何を言ったんですか……!?」

と英語で問う澪の声は、怒りを辛うじて抑えているように聞こえる。

「ルナが、邪教と手を組んでた!仇討ちなんかのために!」

プリィの言葉に、アルスは諦めの表情を滲ませ、流雫は唇を噛む。

 「プリィ……?」

とだけ、落ち着いた声で名前を呼ぶ澪は、息を止める。青い瞳が、険しい目付きのダークブラウンの瞳を捉えた刹那……。

 「っ!!」

肉を打つ音が、新宿の空気を切り裂いた。ブロンドヘアが大きく揺れ、少女の視界が歪む。

「っ……!!」

「澪!!」

突然のことに、詩応が慌てて澪の肩を掴む。ボブカットの少女は泣き出す寸前の、詩応が苦手な表情を滲ませていた。

 「澪……!」

「流雫を……美桜さんを……バカにした……っ……!」

そう声を張り上げる最愛の少女を、流雫は無意識に抱き寄せた。その熱に感情が決壊した澪は、最愛の少年にしがみつく。

「流雫……っ……流雫ぁ……っ……!」

流雫は、泣き叫ぶ澪の頭を優しく撫でる。

 ……流雫をバカにされて、美桜さんの死すらもバカにされた気がした。我慢できなかった。

 どれだけ流雫が、寂しさを抱えて生きてきたか。彼の隣に立てるあたしは、少しは判っていると思いたい。

 それだけに、プリィの言葉を看過することはできなかった。笑って遣り過ごすことが大人の対応ならば、大人じゃなくていい……そう思えるほどに。


 痛む頬を押さえながらも、何が起きているのか判らないプリィに、アルスは近寄って言った。

「だから言っただろ、ミオはルナの味方だと」

その言葉に、プリィは何も反応しない。完全に予想外だった澪のリアクションに、未だ混乱していた。そして詩応も、プリィに険しい目を向ける。

「……アンタが聖女だとしても、アタシはアンタを認めない」

叛逆とすら受け取れそうな詩応の言葉に、アルスは続いた。

「これが現実だ」

 詩応は敬虔な信者だが、何より澪の味方だ。その澪は流雫の絶対的な味方……。流雫を敵に回したことで起きた連鎖反応は、規模こそ小さいがダメージは大きい。

 教会で寵愛されてきた少女にとって、先刻のアルスの言葉は信じられないものだった。しかし、誰もプリィに味方していない現実が、目の前に有る。

 「教会の力は、信者にとって絶大で絶対だ。だが、教会は所詮荘厳な檻に過ぎない」

「教会を檻呼ばわり……!」

「教会と立場に囚われる運命を、生まれた瞬間に押し付けられた。敵対する宗教とは云え、お前が可哀想だ」

プリィは言い返さない。

 アルスの言葉が間違っていないことは判っている。しかしよりによって、血の旅団信者に同情されるとは……。

「お前にとって俺は敵だろうが、俺はお前を敵とは思っていない。俺の敵は、祖国フランスを貶める奴だ」

とアルスは言い、数秒間を置いて切り出した。

 「……お前が望むなら、俺は力を貸す」

「それ、私に血の旅団を頼れと……!?」

「クローンに比べれば、血の旅団と組むことぐらい可愛いものだ。そうだろ?」

とアルスは言った。そこに不敵な笑みは微塵も感じられない。

 それ以外の選択肢が無いのか、プリィは頭を巡らせる。

「俺の望みはただ一つ。祖国の平穏だ。一宗教の内部問題ごときでテロを起こされて、人を殺されてたまるか」

そのアルスの言葉が、プリィに刺さる。

 「ノエル・ド・アンフェルを引き起こした教団に、祖国の平和を語られるとはね……」

とだけ呟いたプリィに、流雫は言った。誰もが耳を疑う一言を。

「……僕はプリィを助ける」


 「……え……?」

その言葉に誰より驚いたのは、ブロンドヘアの少女だった。そして澪は、しがみついたまま最愛の少年の名を呼ぶ。

「流雫……?」

 「僕はプリィを助ける」

と、日本語でリピートした流雫は、澪を抱いたままプリィに顔を向ける。

「流雫?一体……」

と問うた詩応に、流雫は答えた。

「今のプリィは、太陽騎士団すら頼れない。聖女アリスがいるから。……今、日本で力になってやれるのは……僕だけだと思ってる」

「でもアンタは……」

「プリィは空港で殺されかけた。……昔遊んだだけにせよ、襲撃や暗殺なんかで死んでほしくない……それだけのことだから」

と言った言葉に、澪は顔を上げながら

「……それでこそ、流雫だわ……」

と、小さな声で続いた。

 ……流雫が、美桜に弔う意味でもテロと戦わざるを得なかったことをバカにされた。彼自身、それについて思うことは有るだろう。

 だが、今目の前に立ちはだかる脅威や謎に立ち向かうためには、その感情をどうするべきか……。流雫は流雫なりの答えを持っていて、明確に言える。

 ……流雫に対して盲目的な部分が有る、と言われれば否定しない。しかし、自分は後回しでも相手にとっての最適を意識する、その本質を肯定したい。だから、澪が選ぶべき選択肢も決まっていた。

 顔を上げ、流雫から離れた澪は言った。

「……流雫がそうするのなら、あたしも力になる」

その言葉に、目の前のカップルを見つめる詩応は、やはりだと思った。

 だからこの2人の味方で在り続けると、何度目かの決意をした。2人に救われてきたから、その分2人の力になりたい。……そう、あくまでこれは流雫と澪のため。そう言い聞かせた後に

「今のプリィを認めるワケにはいかない、でも流雫と澪の力にはなるよ」

と言った詩応に

「サンキュ、澪も伏見さんも」

とだけ続いた流雫は、その特徴的なオッドアイの瞳で、プリィの瞳を捉えた。そして数秒だけ置いて言った。 

「……プリィは独りじゃない。僕たちがいる」

 その言葉に、アルスは口角を上げる。……遅かれ早かれ、流雫ならそう言うと思ったからだ。そして、プリィに向かって言った。

「……お前とセブのために、3人は立ち上がった。後はお前次第だ」

その言葉に、プリィは背中を押される。

 ……アルスも含めたこの4人が、今の彼女に味方する全て。自分と自分が愛する弟のために、自ら手を差し伸べたのだ。一度は敵に回したハズなのに、味方しようとしている。

 ……その手を掴むしか、他に無い。

 彼女は覚悟を決め、正対する3人の目を見つめた。国境や宗教を超えた結束……アルスが今し方言った言葉に、教会に囚われてきた少女が触れた瞬間だった。


 「……血の旅団とプリィが一緒……!?」

スマートフォンの画面に流れるフランス語を声でリピートした、ブロンドヘアの少女の表情が険しくなる。

「一体何をする気……?」

と呟くアリスは、その行動が不可解でしかない。

 旅費を出す家族も家族だが、プリィは1人で日本に行った。そして血の旅団信者と会っている。昨日講堂で盾突いてきたシノ、そして2人のグルらしきカップルも一緒だろうか。

「アルス・プリュヴィオーズ……」

と、タブレットを見ながら呟くアリス。

 同じレンヌを基盤とするプリュヴィオーズ家は、ヴァンデミエール家と共に、日本での宗教テロを解決したとして注目されている。メスィドール家にとっては警戒すべき存在だ。

 その末裔が日本にいる。プリィと密会するためにわざわざ日本を選んだのか、別の理由が有るのか。そして、グルと思しきカップルもだが、何よりシノが気になる。

 ……昨日の言葉は、所詮は末端信者のイキった戯れ言。そう一蹴できればいいのだが、それで済むとは思えない。

 プリィを捕まえなければ。それが果たせるまで、日本を離れることはできない。

「聖女アリス、登壇の時間です」

とスーツの男が言う。

「判ったわ、セブ」

とアリスは言い、原稿のアプリを立ち上げながら応接室を後にした。

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