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第10話 遠隔監視

 病院を後にした日本人とフランス人の4人。入ったファストフード店は混雑し、2人ずつ分かれざるを得なかった。澪と詩応はテーブル席、流雫とアルスは隣同士カウンター席だ。

「……アリシア曰く、フランスでもアリスのことは騒ぎになっているらしい」

とアルスは言った。日本と違って、流血沙汰にはなっていないことが幸いだ。

「総司祭は昨夜の一件以降、コメントすら出していない」

「黙秘は肯定、そして否定できる材料も無い……」

と流雫は言い、フライドポテトを摘まむ。

 「それ以上に気になるのは、誰がミヤキを殺したか、だ」

とアルスは言った。

 執着しているのは、それが一連の事件の鍵を握っていると思っていたからだ。義憤の暴走では説明が着かない。

 「……教団関係者としてクローンをよく思わないヴァイスヴォルフ、奴にとってクローンを生み出すミヤキは相容れざる相手だ」

「でも、黒幕とは云え殺害に関与したことがバレれば、総司祭になる思惑も水の泡……」

「ああ。だから殺す気は無かったし、何なら危害を与える気すら無かった。二度と教団にクローンが関与しない、それだけでいいハズだからな」

と言ったアルスに、流雫は問う。

「じゃあ、教団の関係者が殺すよう命令したと……?」

「ああ、それも本国の人間だと俺は見ている。日本人でアリスがクローンだと辿り着いたのは、お前が初めてだろうしな。無論、日本に仲介者がいる必要は有るが」

「フランスの……」

と呟く流雫に、アルスは言う。

 「憶測だが、1人だけ可能性を否定できない奴がいる」

「誰?」

その問いに、アルスは一呼吸置いて答えた。

「アデルだよ」


  小さめの声で繰り広げられたフランス語のラリーは、店内の雑踏に容易く掻き消される。しかし、流雫とアルスにとっては好都合だった。

「前聖女の……」

と流雫は言う。アデルに関しては夜中、アルスから一通り教わっていた。

 「資質を理由とした失脚は前代未聞だ。本人にとっても最大の汚点だろう。だが、総司祭の過干渉がそうさせた。アデルもその意味では被害者だ」

一度は聖女に選ばれたのだから、やはりその点は評価されるべきだ。だからこそ、聖女をモノ扱いした総司祭は間違っていた、とアルスは思っている。

「そして、よりによってクローンに聖女の座を奪われた……」

「養子とは云え、マルグリットはマルティネス家の姓を名乗る。それが次の聖女に選ばれれば、再び総司祭一家の座を手に入れることができる」

と言ったアルスに、流雫は言葉を被せる。

「でも総司祭は……」

 「アデルは聖女に返り咲くことはできない。しかし、マルグリットが聖女になることで、手に入れられる地位が有る」

その言葉で、彼が何を言いたいか瞬時に判った流雫は、答えを口にする。

「……元聖女が総司祭……」

「そうだ。聖女経験者が総司祭に即位するのも前代未聞だ。何しろ、総司祭は過去男だけだったからな。それだけでも快挙になる。そして、アデル本人の名誉も取り戻せる」

「……ミヤキの殺害を画策したのはアデルだとして……」

「東部教会とパイプを持つ何者かが間に入り、実行犯に直接指示を出した。それなりの地位を有するか、地位は無くても特別な関わりを持つか……」

とアルスは言い、フィッシュバーガーの包み紙を丸めた。

 ……あくまでも、アデルが次期総司祭は自分だと思っていて、マルグリットの戸籍が変わらない前提だ。しかし、マルグリットが養子を解消すれば、次期総司祭の座はヴァイスヴォルフが射止めることになる。 

 選ぶのは兄か、戸籍上の妹か……。

「……どっちに転んだところで、何も無く終わるワケが……」

と流雫は呟く。その瞬間、アルスのスマートフォンにメッセージが届いた。

 それに目を通す2人は、同時に眉間に皺を寄せ、そして頷いた。


 アリシアからのメッセージは一言だけだった。

「聖女交代は無し」

2人は、少しだけ残っていたフライドポテトを一息に頬張ると、飲みかけのコーラを手に新宿駅前の喧噪に紛れる。店の前で端末を耳に当て、通話時間のカウントが始まると同時に

「アリスは聖女のままなのか!?」

と驚き気味の声を出す。メッセージが予想外だった証左だ。

「本部の上級司祭が、そう発表したわ」

「カトリックでの枢機卿クラス……教団の総意としてか」

とアルスは言った。

 聖女を認めるのは、本部にいる8人の上級司祭の役目。それ以外の政治的な事柄は、全て8人と総司祭で決められる。そして、失脚の是非を巡っては満場一致で否決された。

 総意、それは公式に認められたと云うこと。当然、買収しただの何だのと疑惑が持ち上がるだろう。納得しない結果は、大体陰謀論で括られがちだからだ。

 「ヴァイスヴォルフが総司祭になることは無い」

「そうよ。不服だとしても、決定には逆らえないわ」

とアリシアは言う。

 当然ながら、8人の司祭は決定的な証拠を掴んでいるだろう。その上で失脚は無いと決めたのなら、覆す術は無い。

「……アデルが総司祭に返り咲く可能性も、杞憂に終わったか」

と言ったアルスは安堵の溜め息をつく。しかし、その言葉が引っ掛かるアリシアは問う。

「アデルが……?」

「ああ。ただの妄想に過ぎないが……」

とアルスは言うが、アリシアは恋人の言葉を妄想だとは思っていなかった。今までが今までだからだ。

 「……外れていればいいけど」

とアリシアは言った。それと同時に、店を出た澪と詩応が近寄ってくる。他愛ない話で盛り上がっていたが、流雫とアルスが外に出て行ったのは見えていた。

「何か有ったのかい?」

と問う詩応に、通話を切ったアルスは

「アリシアからだ。聖女は交代しない。教団の総意だ」

と答える。流石に驚く詩応の隣で澪は

「これで全て終わってほしいけど……」

と言った。そう云うワケにはいかないことぐらい、判っているのだが。

 「流雫はどう思ってるんだい?」

と問う詩応に、フランス人2人の遣り取りが聞こえていた流雫は

「……2人が狙われる……」

と答えた。

 聖女が失脚を免れた以上、その座から引きずり下ろすために最も手っ取り早いのは、アリスを消すこと。そして、そのオリジナルのプリィも。オリジナルにアリスに成り済まされては不都合だからだ。今は事実上保護されている状態だが、油断禁物だ。

「だから……これは僕が持ち続ける」

と言って、流雫はプリィのネックレスを鞄から取り出す。

 プリィが持っていないことは、既にバレているだろう。だが一方で、今でも撹乱に使える可能性は残っている。

「あたしも、流雫の思いと同じだから」

と澪は言った。それに呼応するかのように、詩応は頷く。その様子を見ながら、アルスはアリシアにメッセージを入れる。

「日本は心配無い」

 それと同時に、流雫と澪のスマートフォンが鳴る。その主はニュース速報だった。

「日本のクローン問題に対して、関係機関が見解を発表」

クローンの関係機関が……?澪は詩応と、流雫はアルスと読むことにした。


 小城が三養基と完全なヒトクローンの研究を進め、フランスで男女1体ずつ生成に成功したのは事実。

 その上で、日本ではそのノウハウを活用することにより、100パーセント適合する臓器の生成で臓器移植のドナー不足をカバーすることに焦点を当てて研究を続けている。

 一方で、小城はクローンがフランス発の教団を統べる存在になることは想定していなかった。三養基はその意図が有ったが、小城が知ったのは彼女の死後のことだ。

 あの事件で見られるように、クローンは倫理的にも問題を孕む禁断の存在で、ヒトクローンにおいては慎重に慎重を重ねた在り方の研究が、引き続き求められる。


 小城の署名入りの文書をAI翻訳で読んだアルスは、思わず鼻で笑った。

「アリスが聖女になった原因はミヤキ、俺は生成しただけだから無実……とでも言いたげだ」

しかし、アルスは小城のような性格を見ると1発殴りたい衝動に駆られる。ただ、周囲に与えた影響を鑑みれば、1発では済まないだろう。

「でも、もし小城が一連の事件の何らかに関与しているとすれば……」

と言った詩応の隣で、流雫は何も言わない。

「流雫?」

と詩応が名を呼ぶが、流雫は

「少し、1人になりたい」

と言って、その場を離れる。

「……ルナなりに整理したいんだな」

とアルスは言った。

 幼馴染みが渦中の人物、そして恋人まで危うく殺されるところだった。思うことを整理するのに、1人きりになりたい時だって有る。

 それは判っている。ただ、もう一度立ち上がる時、隣にいるべきはあたし……。そう思う澪の背を、詩応が優しく叩く。ボブカットの少女は頷いた。


 アリスが聖女続投。ダンケルクからの一報に、新宿駅でタクシーを降りたばかりのヴァイスヴォルフは天を仰ぐ。渋谷までの戻る予定だったが、今はその気にはならない。

 教団にとって禁断の存在だが、短期間での聖女交代劇が相次ぐことは、逆に教団内の混乱を招くリスクが有る、と云うのがその理由だった。教団の理念より政治的な思惑を優先した……、司祭に対して不信感を抱くが、言っている事も一理有る。

 しかし、聖女は禁断の存在だ。世論に押されるか、教団が安定した段階で早い時期に交代するだろう。その時まで待つしか方法が無いのなら、そうするだけだ。今は下手に動くべきではない。次の聖女はマルグリット……もといマルガレーテ以外有り得ないからだ。

 それよりも気になるのは、小城のことだった。背後に誰がいるのか。数分の沈黙の後、ヴァイスヴォルフは一つの可能性を口にした。

「まさか……アデルか?」

 地方教会のうち、特に日本の信者と結びつきが強かったのは東部だった。それ故、アデル本人に対する人気は高く、失脚をよく思わない連中も少なくなかった。アリスが殺されかけた時の教会前の様子は動画で見たが、聖女を蹴落とした悪魔への女神による断罪……そう捉えた信者が多かったことを意味している。

 ……アデルの裏にも誰かいるのか。そう思ったドイツ人は片っ端から顔を思い浮かべていく。

 ……1人だけいる。

「奴か……」

とドイツ語で呟くヴァイスヴォルフは、フランスでインストールしたトラッカー専用アプリを起動させる。

 ……この近くに有る。プリィ以外の人間が持っているところまでは知っている。……奴は何を知っているのか、何を企んでいるのか。直接対峙するしかない。

 ヴァイスヴォルフは踵を返した。


 端の段差に座る流雫は、頭を抱えて俯き、喧騒をBGMに目を閉じる。ヴァイスヴォルフと云う男についての整理には、どうしても1人になることが必要だった。

 ……この所で、流雫はプリィと再会した。彼女はトラッカーを隠したネックレスを持っていた。日本へ発つと決まった後に家族から渡されたと言っていた。

 それが、本来はプリィを狙うためでなかったとするなら。製作者から家族に渡す前に間に入った何者かが、トラッカーの情報を入手して悪用を企てた。

 そして、プリィは空港と台場で狙われ、代わりに手にした流雫は秋葉原で狙われた。今も狙われる可能性は残されている。

 一方、別の何者かが三養基を殺したのは、アリスの正体をバラし、クローン生成と云う悪行を断罪するためだった。

 そしてマルティネスの死も、想定外ではなく鎮魂の儀を実行するために引き起こされた。元総司祭を弔う場で、その地位を剥奪したクローンと一家を断罪する……公開処刑としては最高のタイミングだった。

 そして、あの場で銃撃が起きた。しかし、あの場にいなかったヴァイスヴォルフにとっては想定外だっただろう。最初からそう狙っていた輩がいる……。

 そう、ヴァイスヴォルフが目を付けていた敬虔な信者は全て、何者かの支配下だった。義憤の暴走、それ自体最初から計算されていた。

 仮にアデルが関与していたとしても、彼女だけでは到底無理な話。彼女を崇拝する、日本にいる何者かが大きな見返りを対価に協力したのだろう。

 全てはヴァイスヴォルフが殺害や襲撃そのものに関与していない、と云う前提だ。立場と将来を鑑みれば、牽制球を投げ釘を刺す程度に留めるだろうからだ。

 そして、ミヤキがクローンのデータを持ち出した理由。わざわざ盗むように持ち出したのはプライドのため、それは合っているだろう。しかしその理由は……。

 「……流雫」

と名を呼ぶ声がする。顔を上げた流雫のオッドアイは、ボブカットの少女を捉える。

「1人にしたかったけど……」

とだけ言った澪は、流雫の後ろに座り、互いの背をくっ付ける。

「こうすれば、1人だけど独りじゃないから……」

と言った澪に、流雫は言う。

「……色々思うことが有って。でも、真相が見えてきた」

「……流雫がしてきたことは間違ってない。何一つ」

と澪は言った。

 流雫の全肯定ボットだと思われてもいい、今の流雫が間違っているとは思っていない。だから澪には、彼を否定する理由が無い。

「……こうして何度、澪に助けられてきたんだろう……」

「何度でも、あたしは流雫を助ける。流雫があたしを助けた、それ以上に」

と澪は言葉を被せる。

 隣に立ち、時には背中を預かる。だから屈するワケにはいかない。その想いは何が有っても揺るがない。


 恋人たちの、そして最強の戦士たちの束の間の休息。それに終焉をもたらしたのは、男の声だった。

「……テネイベール……」

2人は同時に顔を向け、目を見開き、そして反射的に立ち上がり正対する。流雫は無意識に、その名を口にした。

「ヴァイスヴォルフ……!」


 ツヴァイベルク。アルスはその名前を思い出す。何度か耳にしたことが有ったからだ。

 「20年前、後に血の旅団を結成する過激派の連中を、片っ端から追放したことでも知られている。異名はムッシュ・エピュラシオン。ミスター粛清と云う意味だ」

とアルスは言う。彼が生まれる2年前から、その異名は変わっていない。

「今度は、クローンと云う反乱分子を粛清しようとした?」

「アデル失脚の報復として。そうとしか思えない」

と詩応に答えるアルスは、流雫との通話をキープしたままアリシアへのメッセージを打つ。

「ツヴァイベルクが怪しいと言われている」

その返事がポップアップで画面に踊ったのは、1分後のことだった。脳が痺れるような感覚に襲われるアルスは、流雫との通話を解除し、アリシアのスマートフォンを鳴らす。

「アルス!?」

何が起きているのか判らない詩応に、アルスは言った。

「ツヴァイベルクが刺されたらしい」

それと同時に、アリシアとの通話時間のカウントが始まる。

 「速報が出てる。ダンケルクは大騒ぎよ」

「まさか……!!」

一種の焦燥感を浮かべるアルスに、赤毛の少女は一呼吸置いて答えた。自分もそう陥りかけていたからだ。

「犯人はアデルの使用人。父レロワの仇……その可能性が有るわ」

 通話の隣で詩応は、フランス発の出来事に襲われながら

「……シンジュクスクエア……?」

と呟く。

 この界隈で、日本人3人にとって最も思い入れが有る場所。流雫が1人で整理したいなら、選ぶのは先ず其処だろう。

 今なら渦中の男もいる。行くしかない。

「アルス、行くよ!」

と詩応は言い、アスファルトを蹴った。


 トラッカーは本来、プリィを見守る目的でネックレスに仕組まれた。しかし、ツヴァイベルクはその情報を盗み、背振と小城に渡した。信者でない背振を経由したのは、政界に近い立場とのパイプのためだ。そして、プリィの家族はそのことを知らないまま、ネックレスを娘に渡した。

 情報を盗んだのは、既にアリスの正体を知らされていたツヴァイベルクの報復だった。アデルを聖女に復帰させることは不可能だが、その身内を聖女に選出させることは可能。だから次に推すのはマルグリット。

 そのために、アリス失脚を至上命題とし、そのオリジナルもメスィドール家に揺さぶりを掛けるために狙うことを画策した。

 「プリィ襲撃の成否は判らない。奴らにとっては、外見上無事であっても、揺さぶれた時点で成功だろう」

と言ったヴァイスヴォルフの前で、唇を噛む流雫と澪の耳に

「澪!流雫!」

と呼ぶ声が聞こえる。その後ろからアルスも追ってくる。

「詩応さん!?」

「アルス!?」

声を重ねる2人に

「緊急事態だ!」

と言ったアルスは、ヴァイスヴォルフに目を向ける。

 「お前は血の旅団の……」

「ルナのフレンドだ、ルートヴィヒ・ヴァイスヴォルフ」

とだけ言ったアルスは、一呼吸だけ置いて続ける。

「ダンケルクでツヴァイベルクが刺された。アデルの使用人が犯人らしい」

同時に、詩応は同じ事を澪に告げる。

「……どう云うこと……なの……?」

突然のことに頭の整理が追い付かない澪の隣で、流雫は言った。

「父を殺したのはツヴァイベルクだと、確証を掴んだ……?そして使用人が代わりに……」

 「……マルティネス家に、サン・ドニに行くよう指示したのは俺だ。そして現地での同伴者も手配した。目論見通りなら、アリスの証拠を掴ませ、ダンケルクで話し合いになり、今頃は聖女の是非を巡る審議が進められていただろう、平穏裏に」

「だが、同伴者にツヴァイベルクが近寄り、マルティネスを殺害するよう指示した。アリスが日本で公開処刑される舞台を整えるために」

とヴァイスヴォルフに続く流雫の後に、アルスはドイツ人を睨みながら言った。

「才能と敬虔さは認めるが、遣り方に問題が有ったな。総司祭の座を急いだ結果か?」

「問題だと?」

 「ツヴァイベルクは自業自得だ。だが結果としてアリスは撃たれ、ルナまで死ぬところだった。我がルージェエールの守護で生き延びたが」

と、崇める戦女神の名を強調したアルスは、ヴァイスヴォルフの頭を鷲掴みにする。

「ぐっ!?」

「混乱を招いたお前に、総司祭の資格は無い」

アルスの声は、生意気を通り越して殺気を感じさせる。

「アルス……放してやるんだ」

と流雫は制する。

 澪を殺されかけた恨みは有る。だが、生きている以上それは後回しで構わない。今はもっと大事なことが有る。

 ……ルナがそう言うのなら、今は黙る。そう決めたアルスは、ヴァイスヴォルフの頭を突き放した。

「ルナの慈悲に免じてやる。今回だけはな」

 流雫はそれに言葉を被せる。

「……セフリの刺客が僕を狙うだろう、トラッカーを追って。逃げ延びたいなら、戦うしか無い」

昨日使い果たした銃弾は補填した。6発、弾倉に収まっている。それだけが武器だ。教会の扉を壊そうとした時のような真似は、二度とできない。

「でも殺さない。全てを吐かせたい」

と言った流雫に、アルスは続く。

「だから俺はルナの味方だ」

 私刑には走らない。あくまでも、犯人を警察に引き渡し、その口から真相を明らかにさせたい。アルスが流雫に好感を持つ理由でもある。流雫とアルスの後ろにいる2人の女子高生も、表情は同じだ。

 過度な自信は、何時か足下を掬うことを知っている。だから、自信は控えめにしか持たない。しかし、希望だけは絶対に見失わない。今までも、そうやって戦ってきた。

 「鎮魂の儀の時、いなかったのは何故だ……?」

と流雫が問う。ヴァイスヴォルフは数秒置いて

「セフリに会っていたからだ」

と答えた。


 マルティネスの死が知れ渡った直後のことだった。

「折角だし会わないか?」

と、背振に呼び出されたヴァイスヴォルフは、指定された都心の貸会議室に向かった。父の秘書と云う仕事を午後だけ休むことにした文殊と、1対1だ。尤も、相手にとっては或る意味仕事の話だが。

 「色々大変だ、君の教団も」

それが本題の切り出しだった。

「マルティネスの死は想定外だったが……」

「教団にとっても大きな損失だろう。人の死は、何時だって居たたまれないものだ」

と文殊は言い、濃いめのコーヒーを啜って続ける。オートクチュールの黒いスーツを着熟す男は、政治家の息子らしい威厳を見せびらかしているように、ドイツ人には思えた。

 「居たたまれないと言えば、ミヤキが殺されたことは知っているか?」

「ああ」

「アリスのクローン計画は、これからどうなるのか……」

と背振は言った。小城からオフレコだと言われているが、目の前のドイツ人は或る意味当事者で、唯一の例外だ。

「俺は帰国後が怖いな。慌ただしくなる」

とヴァイスヴォルフは言い、自分とほぼ同世代の男に鋭い視線をぶつける。

 「誰がミヤキを殺したのか」

「通り魔だろう。白昼堂々人殺しなんて、それ以外有り得ない。可哀想なものだ」

と背振は答える。確かに、ネットニュースでも通り魔の犯行と云う見方が強い、と報じられていた。

「……ミヤキが残したノウハウと遺志を、オギが受け継ぐ。クローンは人々を、社会を救う。何のために、政府が金を出していると思う?」

と言った背振の目には、国益の先に有る私益しか映っていない。

 私益のために、税金と云う他人の金を好きなだけ投入できる、或る意味では聖なる職業。その地位に立つことが、背振の目下の目標だ。

 総司祭の座を狙う自分を見ているように思えるヴァイスヴォルフは、思わず目を細める。

「この過渡期を乗り越えれば、日本は必ず再生する。俺はどんな批判にも打ち克ち、やがて賞賛される」

と背振は言い、無限に湧き上がる自信を不敵な笑みとして露わにする。

 ……その自信が落とし穴にならなければいいが。ヴァイスヴォルフはそう思いながら、コーヒーカップを空にした。

 三養基を殺した犯人の自供と教会での混乱は、会議室を出ると同時に知った。部下からの連絡で、今は教会に戻るべきではないと言われ、急遽ホテルを確保した。

 アリスの失脚は不可避、それだけは実現した。しかし、望まない形だった。部屋では少し高い酒も開けたが、上質な酔いを味わうことができなかった。予想外の事態への苛立ちが駆逐していた。


 「頭痛い……」

とアルスは呟く。

 耳障りがよくカッコいいことを並べているが、実態は単に私利私欲に塗れているだけだ。日本で政治に携わる連中は、どうしてこうも腐っているのか。


 新宿の雑踏に紛れるのは、フランス語だけではない。

「……?」

澪は目線をずらす。右奥に不穏な視線を感じたからだ。詩応もそれに続く。

「流雫!」

ボブカットの少女が叫ぶと同時に、大きな銃声が響いた。ヴァイスヴォルフの目が見開かれ、身体が前に崩れ、そのままマネキンのように倒れる。

「が……っ……!!」

「ルートヴィヒ!!」

アルスが名を叫び、ヴァイスヴォルフに駆け寄る。流雫は目を見開きながらも、奥に目を向ける。怪しい男が1人。

「待て!!」

流雫は叫び、地面を蹴る。

「流雫!!」

澪がそれに続く。

 「シノ!救急車!!」

アルスが叫ぶと同時に、詩応はスマートフォンを耳に当てる。その隣でアルスは名を呼ぶ。

「ルートヴィヒ!!」

背中を血で染めるヴァイスヴォルフは、敵対する教団の信者に身体を仰向けにされるが、その声に反応しない。苦悶の息を吐くだけだ。

 ……澪の声が響き、ヴァイスヴォルフは撃たれた。最初から狙う気でいた……つまり新宿にいることを知っていた……!?

「シノ!撃て!!」

アルスは、ヴァイスヴォルフの首から外し、地面に置いたネックレスを指しながら、詩応に言う。

「は!?」

「撃て!!」

アルスは叫ぶ。

 何か有る……本来の目的外だが仕方ない。詩応は銃口をネックレスの真上に向け、八芒星のチャームの中心を狙って引き金を引く。

 火薬が爆ぜる音と同時に、音を立てて跳ねるチャーム。抉れた金属にプラスチックの薄い板が見えた。

「基板……やはりか……!」

「どう云う……!?」

と問う詩応に、アルスは答えた。更なる混乱の気配と戦いながら。

「ルートヴィヒも、トラッカーで監視されていたんだ……!」

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