朝一、信者に緊急の招集メールが届いた。渋谷の大教会にて緊急集会を開き、教団の未来についての重大発表を行う。来場するように、とのことだ。それにはモンドリヒトと署名が入っていた。
「……動き出したか……」
と詩応は呟く。それに反応したのは同室のアルスだった。日本語は判らないが、何か有ったことだけは想像できる。
流雫とアルスはホテルでもよかったが、ほぼ連日それも如何なものか、と思った澪が、半ば強制的に家に泊めさせたのだ。母の美雪は寧ろ歓迎した。
アルスは詩応の希望で同室になった。ルーツが同じ教団の信者同士、話したいことが有ったからだ。それは澪の部屋だった。
その部屋の主は、リビングで流雫と一夜を明かすことにした。流石に客人をリビングで、と云うワケにはいかない。流雫も客人ではあるのだが、恋人だから例外だ。尤も、夫婦のようだと2人から揶揄われたが。
キッチンを借りた流雫が蕎麦粉の生地を練る隣で、澪はコーヒーを淹れる。先にリビングへ下りたアルスは、
「集会、本国に生配信する気だな」
と言った。正午からだから、フランスは5時か。生配信、それは公開処刑と同義だ。
「ハイリッヒの即位を最高の形で演出したいワケか……」
と流雫はフランス語で続く。
……ハイリッヒのことはよく知らない。ただ、即位に値するとしても、経緯が経緯だけに認めるワケにはいかない。
とは云え、流雫は単なる部外者だ。口を挟むことはできないし、ただ全てを見守ることしかできない。
流雫は生地をフライパンに流す。この間だけは、何もかも忘れていられる。
流雫特製ガレットを平らげた4人が2組の男女に別れたのは、渋谷駅でのことだった。
今日に限っては、信者しか入れないようになっている。詩応だけは中に通されたが、アルスは入口近くで不測の事態に備えるしかない。2人は、もう1組がやっているように、スマートフォンを通話状態にする。
流雫と澪は、渋谷駅前に残ることにした。それはアルスの提案によるものだった。
10人ほどの集団が持つ縦長の幟には、背振と名前が印刷されている。演説の準備なのか。ただ、文殊が代わりに登壇するだろう。大臣である父は昨夜倒れたが、退院したと云う話も無い。
時間が重なったことは単なる偶然なのだろう。しかし、もしそうでないとするなら、この演説に時間を合わせたのか。
それならば寧ろ、2人は駅前で背振を見張っているべきだ。フランス人の少年は、そう思っていた。これから教会で起きることと無関係とは思えない。
ハチ公広場の端にアンプが置かれると、数十人の支持者が集まってくる。流雫と澪は、トーキョーアタック慰霊碑の前に立つ。この広場の全てが見渡せるからだ。
予定の時間から2分だけ遅れて、演説が始まった。背振は、父の容態が依然不安定な中で、その理念を継ぐことが自分の任務であることを強調している。
その言葉に耳を傾ける2人は、それに共感できる部分を見出すことはできなかった。
背振は、視界の端に昨日の不敬な高校生を捉える。特に日本人らしくない見た目の男で、そうだと判った。
改心して支持する気にでもなったのか。今なら昨日の非礼を水に流してやってもいい。背振はそう思いながら、口調を強めた。
……クローンを認めない太陽騎士団の上層部と、クローンを活用したい背振。理念は相反するが、金や利権が絡み双方がウィンウィンになるのならば手を組む。
そう云う連中に弄ばれた聖女や医者、名前すら蹂躙された女神、その全てを救いたい。祖国の色を纏ったオッドアイの主とその恋人は、その思いを抱えている。
通話状態でリンクした2人は、互いの死角をカバーしつつ、微かな異変を探そうとしていた。何かが起きるとすれば、微かな違和感や異変が前兆として有るハズだからだ。
アリスは、急遽仕立て直された聖女の装束に身を包む。肩が気になるが、ケープで隠れているからあまり問題ではない、と思っている。
「私は聖女……」
と呟く。数日前の来日以降、何度口にしたかも判らない。
聖女として、大きな任務を果たす。それが、ソレイエドールをルーツとする教団に対して、今果たすべきこと。
「行きましょう、聖女アリス」
とセバスが言い、聖女の手を取った。
黒い車に数分だけ揺られ、アリスは大教会に着いた。すぐに特別室に通されると、そこにはモンドリヒトがいた。2回ほど顔を合わせたことが有るが、それだけだ。
「聖女アリス・メスィドール。今日までご苦労だった。禁断の存在だったことは残念だ」
と言ったモンドに、アリスは
「クローンを認めない教団の理念に、従うだけのことです」
と言葉を返し、机の上に置かれた宣誓書に目を通す。今日の発表の証拠として、効力を持つ。
アリスは、次期聖女にハイリッヒ・ツヴァイベルクと書き、最後に自分の名前を署名する。左肩が不自由なアリスの代わりに、セバスが手早く宣誓書を折り畳み、モンドに渡す。
「……最後まで立派だった。聖女アリス」
そのドイツ語に、フランス語で
「私は聖女ですから」
と返したアリスは、セバスの前を歩いて礼拝堂のドアを開けた。
アリスが礼拝堂に現れた瞬間、最前列の左端に立つ詩応は
「始まる」
とだけ、イヤフォン越しにアルスに伝える。満員の礼拝堂は、それだけアリスの去就についての関心の高さを窺わせるが、予想に反して静かだ。
配信のためのカメラが目立つ中、アリスは視界の端に詩応を見つける。しかし、すぐに目線を逸らした。
原稿用のタブレットなど必要無い。アリスは頭に浮かぶ言葉を紡ぐ。
「……私は今日で聖女を退くにあたり、次期聖女を指名します。ハイリッヒ・ツヴァイベルク。司祭リター・ツヴァイベルクの長女は、誰よりも我らが太陽騎士団の聖女に相応しい存在」
その言葉に、モンドは口角を上げた。
アリスの宣言の後、宣誓書を読み上げるだけだ。それが事実上の勝利宣言になる。
詩応は流麗な日本語で宣言する聖女を、ただ見つめている。そして、イヤフォンマイクを通じてアルスに聞かせる。
フランス人の少年は、教会のフェンスに寄り掛かりながら、イヤフォン越しの宣言に目を閉じる。日本語は判らないが、何を話そうとしているのかは何となく判る。
「彼はモンドリヒト・ツヴァイベルク。ハイリッヒの兄で、今回のために来日しました」
その聖女の紹介で、モンドに全ての目が向く。アリスの正体が禁断の存在である分、妹に対する期待は大きい。そのことを、兄として誰より感じ取っている。
「女神ソレイエドールを信じる全ての者に、勝利の祝福を。それが、私の最後の祈りです」
と言い残し、祭壇を下りるアリス。詩応とは2メートルしか離れていない。
代わりに登壇したモンドは、宣誓書をスーツから取り出す。
……フランス人以外の聖女は初めてのこと。そして、初めて地方教会の聖女候補以外から聖女を輩出した一家として、その名は栄光の頂に鎮座する。
「信者諸君、私がモンドリヒト・ツヴァイベルクだ。緊急集会に集まって頂き、光栄だ」
その言葉を皮切りに、英語のスピーチが始まる。教団の理念の下に在る自分について語り、妹について語り、そしてクローンについて否定的に語ったモンドは、最後に宣誓書を開く。
フランス語で書かれた文字を英語で読む、勝利者となる男。眼前のオーディエンスの脳に、勝利宣言となる自分の声を焼き付かせる。
「この書を以て、私はハイリッヒ・ツヴァイベルクを次期聖女に指名することを宣誓する」
と声を弾ませて読み上げるモンドは、最下段に目を移す。最後に署名された名前を口にすれば、アリスの聖職は終焉を迎える。
だが……壇上で全ての注目を惹き付ける顔が引き攣る。勝利を宣言するための、最後の一言が出てこない。ただ文字を言葉にするだけなのに、口にすれば全てが台無しになるのだ。
礼拝堂は異様な光景に包まれる。
詩応とアリスの目が合う。互いの視線に、光が見えた。
イヤフォン越しに、モンドの声が詰まった。その瞬間、全ての風向きが変わるのを感じる。
アルスは目を開け、詩応とテレパシーでリンクしているかのように、声を重ねた。モンドが口にしたがらないのは、断罪の剣と化した少女の名前。
「プリィ・フリュクティドール」
「どうしました?私の名前を読み上げるだけでしょう?」
と言ったのは、端で壁に背を向けて立つ聖女。痛まない、自由に動く左手を自身の胸の上に置く。
「待て!」
反響するモンドの声を掻き消すように、アリスは……否、プリィは礼拝堂に力強い声を響かせた。
「プリィ・フリュクティドールは、以上のように宣誓します」
その瞬間、大きな困惑の響めきが上がった。目に怒りを滲ませるドイツ人は歯を軋ませ、
「……非常事態が発生した。全員礼拝堂を出ろ。カメラも止めろ。日を改めて開く」
と英語で指示を出す。即座に配信が打切られ、関係者が来場者を退場させる。詩応にも男が寄るが、セバスが
「彼女は特別だ」
と言い、プリィの隣に立たせる。そして、礼拝堂は4人だけが残った。その瞬間、モンドが口火を切る。
「……大事な儀を台無しにしやがったな!!」
「私は自分の名を署名した、それだけです」
と言ったプリィを、セバスが援護する。
「俺が渡した宣言書を、お前はすぐ仕舞った。あの場で目を通していれば簡単に気付いただろうが、ハイリッヒの名前に満足し、アリスの名前でないことに気付かなかった。何事にも慎重なお前らしくない」
「書かれているのは聖女の宣誓ではなく、偽物の私見に過ぎません」
とプリィは言った。
……澪が新宿で取調を受けている最中、アルスはアリシアからツヴァイベルク家について聞き出していた。
そのことを流雫に伝えると、シルバーヘアの少年は言った。
「プリィが聖女になる」
宣誓書に署名することはアルスが知っていた。血の旅団も同じだからだ。それは絶大な効力を持つが、もし聖女ではない名前が書かれれば、それは書き損じの書類でしかない。そして、もし聖女の名を他人が書けば、一家まとめて追放される。だからツヴァイベルクも、成り済まして署名することはできなかった。
プリィが聖女を装い、自分の名を署名すれば、ハイリッヒ指名を阻止することができる。もし署名した時点でバレても、ツヴァイベルクが自ら招集を掛けた集会をドタキャンすることは立場上できず、当初の目的を果たすことはできなかった。
流雫は、その戦略に勝算が有った。東京の空港でプリィを助けたにも関わらず、彼女に
「近寄るな……!」
と威嚇されたからだ。幼馴染み相手ですら容赦なかったが、その一件はプリィがアリスを完璧に演じられる確信をもたらした。そしてプリィも身代わり、影武者としての役目を果たそうとした。アリスのオリジナルである自分だけが、成功させられる。
プリィが、流雫の戦略を伝えたアルスに頷くまで、数秒も掛からなかった。
「クローンの聖女に偽物……教団を冒涜する気か!」
その言葉に反応したのは詩応だった。
「プリィとアリスを襲い、ヴァイスヴォルフまで殺そうとした。一連の混乱で教団の地位すら貶められようとしている。太陽騎士団を冒涜しているのは誰だ!?」
その言葉に続くように、2日前の惨劇の痕が残る扉が開いた。
ブロンドヘアの少年は、プリィの言葉が引き起こした小さな混乱に乗じて教会に入った。そして今、聖なる場に立っている。
「アルス!」
と声を上げる詩応とプリィ。モンドはその侵入者を無意識に睨む。
「お前は血の旅団の……!!」
「お前まで俺を知っているのか。ならば話は早い」
と言ったアルスは、詩応の隣に立つ。そして、鋭い目線をモンドに向け、脳を揺さぶる言葉を放った。
「レロワ殺害とアリス暗殺未遂に、リター・ツヴァイベルクが関与していた証言が出た」
「誰が戯言を!!」
と声を張り上げるモンドに、アルスは冷静に言葉を放った。
「お前の妹、ハイリッヒだ」
マルティネス家のアデルとマルグリットは、ハイリッヒと個人的な交遊を持っていた。アデルの失脚後も、定期的に連絡を取り合っている。アリスの就任後は、彼女の連絡先もアドレス帳に連なった。
ハイリッヒに何らかの思惑が有るワケではない。ただ聖女やその従者とほぼ同世代の同性同士、仲よくしたかっただけだ。
しかし、父リターは教団に誰より相応しい存在であることを娘に求め、その障害となる失脚した元聖女のことを忘れさせたかった。
ハイリッヒは表向きはそれに従ったが、裏では2人との関係を保っていた。そして、レロワの死を受けてアデルを慰めたいと思った彼女は、やがて父と兄が関与していたことを突き止めた。
アリス暗殺未遂が起きた時も、ハイリッヒは正体をバラされた聖女に味方しようとした。既に家族を擁護する気は無かった。
その全てを、ハイリッヒはダンケルクの当局に話すことにした。教団の平和のため、何より仲よくなった3人のため。彼女たちの平和が、何よりも大事だった。
「ソースはアジェンス・フランセーズ。記者とのパイプを使って入手した速報だ」
とアルスは言う。
アリシアからのメッセージは、アリス登壇と同時に届いた。日本では配信されない記事だ。
「一家を裏切ったのか……!」
と怒り心頭のモンドを
「ハイリッヒを裏切ったのはお前らだ!」
とアルスが一喝した。
「人を殺してでも即位させたい、それほど聖女の座が重要なのか?」
「邪教の末端信者に何が判る!?」
そう怒鳴ったモンドに、プリィが歩み寄る。そして。
「っ!!」
乾いた音が響くのと、少女の掌が痺れるのは同時だった。モンドの視界が右に曲がる。
「異教は邪教じゃない」
礼拝堂に響く声は、詩応の背筋を震わせる。数日前、彼女が血の旅団を邪教呼ばわりし、澪に頬を引っ叩かれた光景が蘇ったからだ。
「私利私欲のために人を殺め、陥れる。それこそ邪教のやり方。だから今私は、聖女アリスの代わりに此処にいるのです。この教団に潜む悪と戦うために」
と言ったプリィの隣に、セバスが立つ。宛ら聖女を護る騎士だ。
「聖女の続投も失脚も、正当な手続きの下でならそれに従うべきだ。しかし、正当でないものに従う義務は無い」
とセバスは言った。その意味では、あくまで正当な手段を望んだヴァイスヴォルフの方が上手だった。
「……アリスは何処だ?」
とモンドは問う。それに答えたのはアルスだった。
「トラッカーを使えば簡単だろう。今はアリスが持っている」
モンドはスマートフォンを取り出し、
「アリスを捕まえろ」
と通話相手に命令する。そして4人に顔を向けると
「お前らは全員粛清だ、叛逆の罪でな」
と言い残し、礼拝堂を出る。
「ムッシュ・エピュラシオンの息子らしいな」
と呆れながら言ったアルスの隣で、プリィがセバスを抱く。セブはアリスといるべきだからと、プリィの従者として彼女についてきた。そして役目を果たした。
「トラッカーはルナが持ってるハズ……!」
と焦り気味に詩応が言うが、アルスは
「だからだ。ただでさえごった返すシブヤだ、人のバリケードに阻まれる」
と言葉を返す。とは云え、何が起きても不思議ではない。
「アンタは2人を頼む。ルナが心配だ」
と言い残し、扉を開けようとする詩応にアルスは
「待て、俺も行く」
と言う。今の大教会を見ると、プリィとセバスは此処から離れた方がいい、と思えるからだ。
「……シブヤ駅まで走るぞ。ルナとミオを護る」
と言ったアルスに、2人は頷く。幼馴染みとその恋人に対するせめてもの恩返し、だからできることをするだけだ。
そしてフランス人は、メッセンジャーアプリの通話ボタンを押した。
澪は腕時計に目線を落とす。大教会がどうなっているかが判らないが、詩応とアルスがいるから心配は無い。
そう思った澪の隣で、2人の通話が切断される。流雫の通話相手がアルスに変わったからだ。
「モンドがシブヤ駅に向かった。お前の居場所を求めてな」
「トラッカーでアリスを捜してるのか……」
と流雫が言うと、アルスは答える。
「俺とシノも向かってる。2人も一緒だ」
その言葉に、流雫は数秒だけ唇を噛むと、早口のフランス語で何か言う。全て聞き取ったアルスは問う。
「正気か?」
「正気だよ」
そうスマートフォン越しに言葉を交わす2人には、勝機しか見えない。死なないために、それが前提だから正気でなければ話にならない。
小さな溜め息に、残っていた寸分の迷いや不安を溶かして捨てる流雫。そして2人は、魔法の言葉を口にする。
「行けるところまで行け」
「だが死ぬべき場所は其処じゃない」
少しだけ口角を上げるアルスは
「すぐに着く」
と言い、通話を切る。流雫は再度隣にいる澪との通話を始める。
イヤフォン越しと生の声が同時に、澪の鼓膜を震わせる。
「……かなりリスキーね」
と澪は言ったが、常に流雫を信じている。それに賭けるだけだ。
聞き流すだけの演説の主役、背振は更に語気を強める。しかし流雫は、車の脇を走る電動スクーターに目を奪われた。
ヘルメットを被り、緑色の服を着た男はスクランブル交差点の端でスクーターを乗り捨てた。フードデリバリーの配達員らしき大きなバックパックを背負い、人集りへ走る。
「まさか……」
そう呟く流雫の目に不穏が滲む。澪がその顔に目を向けた瞬間、シルバーヘアの少年は地面を蹴った。
「逃げろ!!」
流雫が叫んだ。しかしその声が届く前に、爆発音に似た銃声が響く。周囲の時間が一瞬止まった。緑の服の男の腕付近から煙が上がり、背振の顔がそれに向く。それこそが狙いだった。
二度目の銃声。文字通り銃口が煙を噴くと、背振自慢のオートクチュールのスーツに血が滲む。数秒前まで覇気に満ちていた男は、一転して薄れる意識と戦っていた。ここで気を失えば、間違い無く死ぬと判っている。
男はバックパックを、捕まえようと駆け寄る数人に向かって放り投げる。それは1人の男に当たり、その瞬間爆音を伴って炸裂した。
「くっ!!」
流雫は咄嗟に澪の前に出ると顔を腕でガードする。一瞬熱風を感じたが、それだけで済んだ。しかし、数人が吹き飛ばされ、地面に叩き付けられる。
「誰が黒幕だ……」
と流雫は呟きながら、黒いショルダーバッグから銃を手にする。
……背振すら粛清したい人物がいる。だとすれば、思い付く限りは1人。
「小城……?」
と澪は呟き、流雫に続いて銃を取り出した。
小城と背振は、半ば蜜月だったハズだ。いや、蜜月に見えていただけだとすれば……?
「……背振を消したいのは、小城とツヴァイベルク……?」
と流雫は言った。
ヴァイスヴォルフが言っていた通りなら、双方に面識が有る。そして裏で背振やヴァイスヴォルフが邪魔になった。
ヴァイスヴォルフもアリス失脚を画策していたが、あくまで平穏裏に、自然な形での実現を目指していた。しかし、ツヴァイベルクはそれより早い失脚を目論んだ。マルグリットの即位を阻止するために。
「ヴァイスヴォルフを口止めしたのは、背振じゃない……?」
その流雫の言葉に、澪は問う。
「どう云うこと?」
その瞬間、男が2人に目を向ける。手にするのは背振を撃った銃。
「……あの男も……小城の刺客……?」
そう言った流雫と澪は、視界の端で互いの瞳を捉えると、すぐさま左右に跳ぶ。1秒前まで2人がいた場所に銃弾が飛んだ。
「違法銃……」
と澪は言う。
ハンドガンベースではあるが、護身用として出回っているものとは明らかに違う形状をしている。分解しただけで違法となるが、人を殺す目的を持って改造したのか、もしくは……。
「……小城の関与を隠すために、背振が新宿に出て行ったのなら……」
その言葉に
「何のために?」
と問う澪。流雫は答えた。
「アリスのクローンも、小城と大臣である父の取り決めが後押しになったんだ。背振が囮になり、小城の関与を隠すことができれば、小城を失うクローン事業の行く末を気にしなくて済む」
背振の演説で、流雫が何よりも気になったのは、父親を意識しているような言葉が多かったことだ。
大臣である父親の理念を受け継ぐ。そして極秘裏に始まったヒトクローン計画も成功させる。その頑なな決意は、背振と云う名字が持つ呪縛のように思える。背振だけではない、プリィのように聖女の可能性を何らかの形で持つ者も全て、そうなのだ。
「……全ては父親のために……?」
と言った澪に、流雫は
「そうとしか思えない」
と答える。
父親の功績を護るためには、小城も護らなければならない。だから背振は、汚れ役を引き受けるしかなかった。
不意に空が暗くなる。昨日と同じだ。何時雨に襲われるか判らない。早く決着を付けたい、そう思った流雫は地面を蹴る。
「死ね!」
男は流雫に銃を向ける。しかし左右に動く身体に照準を合わせられない。苛立つ男が引き金を引く、しかし煙を伴う銃声が決着を付けることはできない。
「澪!」
流雫の声がイヤフォン越しに聞こえる。それに呼応する少女は、引き金を引いた。
2発の小さな銃声と同時に、男の腕から銃が引き剥がされる。小径の銃弾を手首に2発受け、歯を食い縛りながら呻く。
「ぐぅっ……!」
その声を、爆発音が掻き消した。
落とした銃がコンクリートに衝突した瞬間、銃身が爆発し、飛び出した銃弾が男の胸部を貫いた。
「がほぉっ!!」
断末魔の声を上げた男はその場に倒れ、身体を痙攣させるが、数十秒後には動かなくなる。
「流雫っ……!」
顔を引き攣らせる澪の隣に駆け寄った流雫は、華奢な身体を抱き寄せ
「澪は悪くない」
とだけ言った。
それは、澪も判っている。しかし、犯人と云えど目の前で人が死ぬことに耐性は無い。
「……暴発した……」
澪の言葉に、流雫は
「……自作銃……」
と続く。
銃に関する設計図と3Dモデリングのスキルが有れば、金属の3Dプリントで銃を作成することはできる。ただ、やはりそれだけの設備は、裏で協力者がいれば不可能ではない。だとすると、やはり小城が背後にいるのか……?
「お前は……!?」
と突然ドイツ語が聞こえる。流雫と澪はその方向に目を向ける。何と言っているかは判らないが、その見た目から目の前の男こそモンドだと判る。
「聖女アリスの身を案じて、僕が代わりに持ってる」
と流雫はフランス語で答える。
「身を案じてだと?」
「アリスは僕のフレンドだ。クローンだったとしても、殺されるワケにはいかない」
と流雫は言った。
誰一人、死んでいい人などいない。未熟故の綺麗事でしかなくても、流雫はそれが正しいと思い続ける。
「アリスは何処だ!?」
「教えるワケにはいかない」
流雫は答える。破壊の女神を連想させるオッドアイの主は、今のモンドにとって駆逐しなければならない。
「ならば吐かせるまでだ」
と言ったモンドは、銃を手にする。日本人以外で持つのは違法だが、背振が秘密裏に貸し与えたのだ。ただ、あくまで護身用であって、脅迫するためではない。
「流雫……!」
澪は咄嗟に銃を構える。先に銃口を向ければ、相手に正当防衛を成立させる。それは判っていても、今のモンドには流雫さえ粛清する意志が見て取れる。死なせるワケにはいかない。
「それが答えか……」
と言った流雫の背後から
「澪!流雫!」
と、惨劇の渦中に声が響く。
「詩応さん!!」
「伏見さん!!」
と反応する2人の向かい側で、
「お前は……!」
とドイツ人が声を上げる。先刻大教会で会った少女が、此処まで追っていた。
「アタシは2人の味方……手を出すな」
と英語で言った詩応は2人の前に立つ。
「伏見さん、澪を頼む」
とだけ言い、流雫は地面を蹴った。詩応は誰より澪ファーストで動く、だから任せていられる。
近寄ってくるシルバーヘアの少年を睨む側近を、背振は軽く手を挙げて制した。
「お前……」
と弱々しく呼ぶ背振に、流雫は一つだけ問う。
「……全ての元凶は小城なのか?」
「……そうだ……」
とだけ答える。どうせ助からないと諦めている、だからそう開き直っている。
流雫にとっては、その一言で十分だった。本当に戦い、思惑を破壊すべき敵が漸く明確になった。
背振に背を向け、右手首のブレスレットにキスを交わす流雫。同時に澪も、左手首のブレスレットにキスする。
……アリスが死んでも、クローン事業には影響が無い。三養基のデータさえ有ればよかったからだ。そして未成年で絶命しても、事故や暗殺と云う不測の事態であれば、プロジェクトは成功したことになる。成長時の不具合が原因ではないからだ。
後はデータを死守したがる三養基を粛清し、思い通りの展開にする……そう画策していたのだろう。だが、その思惑は崩壊している。それどころか、自分の関与が疑われている。
全てが水泡に帰さないように、全ての障害を排除するだけだ。もし小城がそう思っているのならば、誰を標的にしたって不思議ではない。
「……思惑は、必ず葬ってみせる」
とだけ言った言葉に、背振が一瞬だけ表情を緩めたことは、流雫は知らない。
背振の名を呼ぶ声が背後から聞こえる。流雫は聞こえないフリをして、唇に隠れた歯を軋ませた。勝手に抱えそうになる悲しみに抵抗するかのように。