部屋にいたはずの彼は、突然自身を襲ってきた大きな魔力の波動に包まれた。
それは世界の
自らをどこかへと連れ去ろうとするそれは、すでに如何なる力をもってしても逃れられるものではないと察した。
直接的な害が無い事を確認した彼は、あっさりと抗う事を諦め、なるようになるだろうという気持ちでその流れに身を任せた。
そして眩しい光が彼を包み込む。
それはどこか懐かしさすら感じる。
肉体から分離した魂が優しく運ばれていくような感覚。
それは一瞬のこと。
すぐに身体の感覚を取り戻し、自分がどこかに転移したことを認識する。
そしてゆっくりと目を開けると、そこはまるで彼の見知らぬ場所だった。
石造りの高い壁に囲まれた広場。
多くの武装した兵士たち。
正面の兵士の後ろには、明らかに身分の高そうな格好をしている男が一人。
この壁は城壁で、ここはどこかの城の中だろうと予想する。
まるで中世ヨーロッパのような風景。
周囲の気配を感知し、三百人ほどの兵士に囲まれていることを確認する。
広場にいる兵だけでなく、城壁の上にも弓矢を携えた兵士が控えている。
そこで彼は疑問に思う。
何故、彼らは今にも倒れてしまいそうなほどに疲弊しているのかと。
まるですでに長い戦いを終えた後のような疲れ切った表情。
彼らは例外なく苦痛の表情を浮かべ、多くの者が膝をつき、手にした剣や杖でなんとか身体を支えている状態だ。
まぁ、周囲には十二人ほど完全に意識を失って倒れている者もいたのだが……
まずは自分の状況を整理する。
自分を囲うようにして立ち並ぶ兵士たち。それはここに自分が来ることを知っていたからに違いない。つまり自分は何らかの目的の為に、目の前にいる者たちによって喚び出されたのだろう。
その目的はまだ不明。
しかし、ここが先ほどまで自分のいた世界とは違うというのははっきりとしている。
その理由に彼の中に喜びの感情が沸き上がる。
「シリウスよ……これは……」
身分の高そうな格好の男――ロバリーハート王――が隣に立つ男に問う。
「恐ろしいほどの強者の気配……身に宿している魔力も私めでは測り知ることができませぬ……それほどまでに人外の力を持つ者であるとしか……」
シリウスと呼ばれた全身を白のローブに包んだ初老の男が苦し気に声を絞り出して答える。
しばらく様子を伺うことに決め、大人しく彼らの会話に耳を傾ける。
「しかし――この者の力をもってすれば、間違いなく我が国を救うことが出来るでしょう!!」
突然の絶叫。
しかし、そこで最後の力を振り絞ったのだろう。叫び終わると同時に糸の切れた人形のように崩れ落ち、隣の兵士に抱えられるようにして意識を失った。
――国を救う?勇者召喚的なやつか?
《言語理解》は問題なく作動していたので、彼らの会話を聞き取ることが出来た。
多少彼らとの距離は離れているが、彼にとってその程度の距離は関係なかった。
――勇者よ!魔王を倒し、我が国を救ってくれ!!とか言われるのだろうか?
――俺に魔王を倒せとか……何の冗談だよ……。
心の中で苦笑する。
「余にも……あの者が尋常ではない存在だというのは解る……。だが、本当に……あのようなモノを隷属させることなど出来るのか……」
――不穏な単語が聞こえたな。
「王よ……心配はございません……」
倒れたシリウスの隣にいた黒のローブの女が答える。
気丈に振舞ってはいるが、やはり他の者と同様に立っているのがやっとのようで、何とか言葉を繋ごうと懸命に気を張っている様子だった。
「この召喚の儀は……喚び出した者を世界の理に取り込み……契約上定められた王を絶対的な主とし……この世界において元よりそうであるものだとして隷属させます。あの者がいかなる力を持っていたとしても抗うことなど出来ず、疑問を抱くこともなく王の奴隷としていかなる命令にも従いましょう……」
物騒な話は更に加速していく。
彼は自分の内側に意識を巡らす。
頭の先から足の指先まで自分の状態を確認していく。
――ん?んん?
聞こえてきたような隷属状態にされているような感じはどこにもなかった。
思考もはっきりしている。手足の感覚も自分の意思で動かすことに問題はなさそう。
試しに魔力を体内で練ってみるが、それもこれまでと何の差異も感じなかった。
それとも本当にこの世界の理とやらに組み込まれてしまっていて、自分では認識することが出来ないのだろうか?
そんなことを考えていると、わずかながら首元の違和感に気付く。
手を当てると、そこには皮で出来たチョーカーのようなものが着けられていた。
「あの者の首に着けられている首輪こそが……召喚陣に組み込まれている魔道具。奴隷の証たる『隷属の首輪』でございます。あの者を喚び出す際に……その魂を世界の理へと取り込み……存在全てを支配するもの。決して外す手段は無く……あの者は死ぬまで召喚者たる王に絶対の服従を誓います……」
――あぁ……首輪なのかぁ……。一瞬おしゃれだと思ったのが恥ずかしい……
そして首輪へと魔力を流し――鑑定する。
隷属の首輪に組み込まれていた術式が頭の中に展開される。
初めて見る術式に気持ちが高まった。
そして、静かに解析を始める。
「王よ……まずはこの状況を何とかいたしましょう……。あの者に命じてくださいませ……。この威嚇の様な気配を止めよと……」
王の盾となっている騎士も限界が近いのだろうか、王に背を向けたままで言葉を絞り出す。
ロバリーハート王は不安な気持ちを押し殺し、真っすぐに正面に立つ男を見据える。
「ロバリーハート国が国王、ダミスター=ロバリーハートの名において命じる!今すぐこの場にある威圧を解くのだ!!」
その場にいる兵士全ての耳に届いたその声は、震える身体を懸命に押し殺してのものとは思えないほどの威厳を感じさせるものだった。
「よし」
そんな空気をまるで読まないような気の抜けた彼の呟きと同時に、その手に触れていた隷属の首輪は、こなごなに砕け――光の粒子となって霧散した。
――え?
その場にいた全ての人の心の声が聞こえた気がした。
瞬間――それまで場を支配していた謎の圧から解放される。
しかし、誰もそのことを意識することが出来ずに、ただただ目の前で起こったことに呆然とする王と兵士たち。
世界中の時が止まったかのような静寂。
そんな中、彼は自分が生まれたままのあられもない姿でいることにようやく気付いたのであった。