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*22* まさかのパターンに絶句

「わーお、絶景だねーえ!」


 気がついたら、青空と、だだっ広い庭園の景色がひろがっていた。


「ってあらら? リオちゃん大丈夫? おーい」


 草むらにへたり込んで呆然としていたら、長いおみ足を曲げてかがみ込んできたヴァンさんに、ツンツンとほほをつつかれる。


「ポカンとしちゃって……かーわいっ!」

「むぐっ……」


 そうこうしていたら、ぎゅむっと抱きしめられた。


「はなっ、はなしてください……!」

「はー、小動物みたいでかわいいなー、エルにはもったいないや。私がお嫁さんにもらいたいくらい」

「だから、意味がわかりませっ……!」


 ジタバタと抵抗していたときだ。


 熱烈ハグをしてきたヴァンさんの胸を押し返そうとして、『あること』に気づく。


「…………えっ?」


 まぬけな声がもれた。


 しかたないでしょ。だって……


 そのときだった。石のように固まったわたしの背後で、ヒュオオ……と風が渦巻く。


 直後、まばゆい閃光が走り、突風が吹きおろす。



「──気はすみましたか?」



 いまとなっては、聞き慣れた声がした。


 おだやかなトーンに、どこか底冷えのするオーラをまとわせていたけれど。


 ついさっきわたしたちがテレポートしてきた場所に、ミルキーホワイトの髪をなびかせた美青年がたたずんでいる。


「あらまぁ……お早いお越しで。てゆーか早すぎでしょ? さては商団ギルドの臨時ポータル使ったな」

「リオの位置情報は把握しています。ためらう理由がありませんね」

「はっ、まさかハンカチに細工してたな!? やだー、ストーカーだー! リオちゃーん! いますぐそのハンカチ捨てたほうがいいよー!」

「誘拐犯にストーカー呼ばわりはされたくないですね」


 この際だからいうけど、わたしは戦慄していた。


 なぜなら、エルが真顔だったから。


 いつもにこにこと笑顔だった、あのエルが、だ。


「あなたの自由奔放なふるまいには寛容でいたつもりですが、さすがに度をこえています」


 サク、サクと草むらを踏みしめながら歩み寄ってきたエルが、わたしを抱いたヴァンさんを見おろして、にっこり。


 ただし、蜂蜜色の瞳はみじんも笑っていない。


「愛人いじめがお好きとは、ほんとうに意地が悪いですねぇ……?」


 そのひと言が、すべてを物語っていた。


「あはっ」


 茶目っけたっぷりにおどけてみせたヴァンさんが、右手の中指にはめた指輪をはずす。


「そう怒らなくてもいいじゃない」


 次に聞こえてきたのは、ハスキーだけど、女性みたいに高い声だった。


 いや、『みたい』じゃない。


 突風で脱げたフード。なびく藍色のポニーテール。


 細い輪郭線に、ぷっくりとしたくちびる。


 瞳は鮮やかなマゼンタで、うすくチークを散らした左の目もとに、泣きぼくろ。


「笑顔で人が殺せるわよ、私の愛しのエル?」


 間違いない。


 ヴァンさんは、女性だったんだ。


 だって、さっき押し返そうとしてふれた胸が、やわらかかったんだもん。


「貴婦人ともあろう方が、変声の魔法具を使って男装してまで各地を放浪しているだなんて、だれが予想できますかね」

「あら、そんな私の愛人に立候補したのは、きみでしょう?」

「ビジネスパートナー、です。お間違いなきように」

「つれないわねぇ」

「……えぇっと」


 ヴァンさんは女性で、エルが愛人で。


 ということは、つまり……


「んふふ、びっくりさせちゃったわね。あらためて、私はヴァネッサ・カーリッド。お会いしたかったわ、リオちゃん?」


 そういうことに、なっちゃうよね……!



 ──ヴァネッサ・カーリッド。


 彼女こそ、エルをひろったという、カーリッド家の奥さまなのです。



  *  *  *



「意味わかんないんだけど」

「大丈夫、わたしもいまだによくわかってない」


 あれから数分後、遅れてノアが庭園にテレポートしてきた。


 エルとヴァンさん……ヴァネッサさんをまじえて事情を説明したけど、しかめっ面だ。


 ヴァネッサさんは長身だし、指輪型の魔法具で声も変えてた。わたしも本気で男性だと思い込んでたよ。


 いろいろと衝撃的すぎて、理解が追いつかない。


「僕だけならまだしも、リオにちょっかいを出さないでください」

「いじめてるわけじゃないわよ。一応愛人なんだし『一夜くらい過ちを犯してみる?』ってためしに持ちかけたら『奥さまはお疲れなんですね』ってハーブティーを淹れるだけ、お姫さまだっこでベッドに連れて行ってすらくれないツンツンエルくんが、ベタ惚れした女の子を見つけたっていうから、会いたくなっただけ」

「ほかに余計なことはしていませんね?」

「リオちゃんにエルの好きなところをみっつ訊いたわ。無回答だったわね、どんまい!」

「そうですか、今夜は僕が寝かしつけてさしあげますね、奥さま?」

「やだ、それ物理的なやつ。ぶん殴ってお屋敷に強制送還するときのトーンじゃない! きれいな顔して物騒な男だわー!」


 エルとの舌戦を聞きながら、ヴァネッサさんの言い方は、前科があるひとのそれだなぁ……と他人事のように思う。


 ちなみにエルとはひと回り年が違うらしい。ということは、三十代……わー、同世代だ。前世を含めたらだけど。


「ま、いいわ。リオちゃんたらコロコロ表情が変わって面白いから、さっさと手篭めにしちゃいなさい。どうせ溜まってるでしょ?」


 なんだろう、すごく強烈なことを、サラッと話題に出された気がする。


「リオに変なことしたら、俺が許さないよ」


 たぶんノアは、ヴァネッサさんの言葉の意味を理解してはいないだろう。


 でも不穏な空気を感じ取ったのか、あいだに割り込んでわたしを守ろうとしてくれる。ありがとう、ノア……


「余計なお世話ですし、はしたないですよ」


 ため息まじりのひと言で、エルに『その気はない』ってことが証明された。エルもありがとう……


「あらら。リオちゃんのまわりは紳士ばかりねぇ」


 ヴァネッサさんのほうはオープンすぎて、いっそ清々しいです……言わないけど。


「でも、長いこと女の子を抱いてないみたいだから、覚悟しといたほうがいいわよ、リオちゃん? 戦場に身を置く者は、性欲が強いからね」

「んなっ……」


 ふいにヴァネッサさんに耳打ちされて、絶句。


 べつに、初耳じゃない。娼館街で身をもって思い知らされたことだし。


 だからわたしが言葉を失ったのは……ヴァネッサさんの言動。


 最初からそう。ヴァネッサさんは、エルとわたしが結ばれることを望んでる……? ……なんで?


「リオに余計なことを吹き込まないでください、ヴァン!」


 思考停止していると、エルに両耳をふさがれる。


「今日はこのへんにしとこうかしら。邪魔者は退散しようっと。またね、リオちゃん」


 くすくすと笑いながら手をふるヴァネッサさんに返事をすることもできず、ただ、遠ざかる背中を見送った。


「まったくあのひとは……ご気分を害してしまいましたよね、ごめんなさい」

「いえ、大丈夫です……びっくりしただけです。ちょっと、変わった方ですね」

「野良猫のごとく男娼をひろって公然と愛人にしてるんです、かなり変人です」

「あはは……」


 前にエルが「奥さまとのあいだに愛はない」って言っていたけど、それって恋愛的な意味ってことだよね。


 あのおだやかで紳士的なエルが、ずけずけと本音をぶつけてるんだ。信頼や親愛はあるんじゃないかな。


 ヴァネッサさんも物言いはあけすけだけど、気さくで親しみやすいし、悪いひとではないのかも。


 せめて、わたしとエルをくっつけようとする理由がわかったらなぁ。訊いたら教えてくれるのかな?


「リオ、あなたがなにを考えているのか、手に取るようにわかります。おねがいですから、みずからヴァンの魔の手にかかりに行こうとしないでください」


 うん、だめみたいだ!


「はいはい、そこまで! そっちの面倒事にリオを巻き込むのも、いい加減にしてよ。俺たちはあそびに来たんじゃないの」


 しびれを切らしたノアが、エルとわたしを引き離すようにあいだに入る。


「もちろん、僕も立場はわきまえているつもりです」


 すっと蜂蜜色の瞳を細めるエル。


 その面持ちは、真剣そのものだ。


「城内のフロアマップを入手しました。ふたりとも、こちらへ。ご案内いたします」


 エルはそういって、迷いのない足取りで、颯爽と庭園をあとにする。


 ──旧ブルーム城。


 街を見おろす壮大な城が、青空のもと、わたしたちを迎え入れた。

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