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*23* トリアージ

 エルの案内で、そのむかし、パーティー会場として使われていた大ホールへやってきた。


 怪我をしたひとたちは、この一ヶ所にあつめられている。


(さぁ、いよいよだ)


 気を引きしめて、マジックバッグからステーショナリーポーチを取り出す。


 中には治療に必要な道具が一式そろっているけど、まず手に取るのは──


「それは?」


 カラフルな紙の束を目にしたエルの蜂蜜色の瞳が、丸みをおびる。使い道が想像できないんだろう。


「文房具屋さんでたまたま見つけた便せんを使って、ちょっと工作したものです」


 デザインとしては、本文を書く罫線の下の余白部分に、上から黒、赤、黄、緑のボーダーラインが入っているもの。


 そのラインの境目にローラーカッターでミシン目を入れて、罫線と垂直に細長く四等分。


 切り離したそれぞれの余白部分に、しおりみたいに糸をつけたこれは、リオさん特製アイテムだ。


「ノア、これからわたしがすることを、よく見ておいてね」

「わかった」


 真剣な面持ちでうなずいたノアをつれて、まず最初の負傷者のもとへ。


「こんにちは。わたしは『ギルド認定薬術師』のリオといいます。まずはじめに、お名前を教えていただけますか?」


 負傷者の右手首に特製アイテムの糸をくくりつけながら、簡単な質問をする。


 こうした現場で、治療師ヒーラーのわたしが真っ先にすべきこと。


 それは、『ふりわけ』だ。



  *  *  *



 トリアージ。


 災害時など、傷病者が多数いる場合、治療の優先順位を決めるために用いられる現代の分類法。


 わたしは前世で学んだ知識を動員して、今回の任務に、これを取り入れることにした。


 トリアージの区分は、次のとおり。



【Ⅲ】

 緑タグ 優先順位3位:傷病者が自力で動けるもの、軽傷

(軽度外傷、小骨折、小範囲熱傷)


【Ⅱ】

 黄タグ 優先順位2位:バイタルは安定、数時間待機可能

(頭部外傷、開放骨折、熱傷)


【Ⅰ】

 赤タグ 優先順位1位:バイタルが不安定、ただちに処置が必要

(大出血、重症熱傷、ショック、呼吸困難)


【0】

 黒タグ 優先順位4位:救命不可

(死亡判定)



 自作のトリアージタグを装着した最初の段階で、もっとも重症度の低い緑タグがいちばん下にきている。


 ここから、治療優先度に対応した色が下にくるように、タグをミシン目から切り離していく。


 そうして、だれを優先して治療すべきか一目でわかるように、ふりわけるんだ。



 大ホールにあつめられた傷病者は32名。


 そのうち緑タグが31名で、黄タグが1名だ。


 トリアージ区分に則って診察、ふりわけをしたら、怪我をしたひとたちのうち、まず黄タグ、次に緑タグと、優先順位ごとに治療をしていく。


 身動きが取れない黄タグの傷病者は、右足のふくらはぎ部分を開放骨折した冒険者の男性だった。


 開放骨折っていうのは、骨折した際に皮膚がやぶけて、骨が露出した状態のこと。


「大丈夫? ノア」

「……うん、だいじょう、ぶ……」


 なかなかにグロテスクな光景だったもので、見慣れていないノアには、刺激が強かったみたいだ。


 開放骨折は上級ポーション、そのほか緑タグに相当する軽い外傷は低級ポーションと、なんとか手持ちの魔法薬であらかたの治療をすることができた。


 ノアは顔を真っ青にしながらも必死にお手伝いしてくれて、わたしが治療を終えたあと、ガーゼや包帯で患部を保護する処置をやりとげた。



  *  *  *



 治療に没頭すること数時間。


 傷病者は全員動けるまでに回復したので、エルに声をかけて、一般のお部屋に案内してもらうことに。


 ちなみに、数名で一部屋を使う相部屋形式にしてもらっている。


 そのほうが、なにかあったときに個人個人の部屋を回るより、わたしも対応しやすいからね。


「さすがにくたびれたなぁ~」


 人影がなくなり、静まり返った大ホール。


 ツンと鼻にくる薬品のにおいを逃がすために、窓や扉をあけて、換気をする。


 ついでにバルコニーへ出てみると、まぶしいオレンジ色の景色に目がくらんだ。


「きれい……」


 切り立った崖の上にある旧ブルーム城。


 目下にひろがるミニチュアサイズの街には、昼間見たような人通りがまったくない。


 よくできた模型みたいに、ただそこにあった。


「……ねぇ、リオ」


 バルコニーの手すりにもたれ、茜に染まる街をながめていると、背後からノアの声がした。


 ふり返ると、ノアがフードを脱ぎながら歩みよってくるところだった。


 ふたりきりのときはこうして素顔をさらすノアだけど、その面持ちは強ばっている。


「俺、あんまり役に立たなかったよね。ごめん……」

「治療のこと? びっくりしちゃうのもしかたないよ」


 ノアの元気がないのは、血まみれ惨状に圧倒されて、うろたえてしまったことが理由なんだと思う。


 こういう現場では、意外と女性のほうが精神的に強いって言われてる。月経があって、日常的に血を見慣れてるからね。


 前世でも医学生として病理解剖を見学したとき、ご遺体にメスを入れて摘出した臓器の計量や写真撮影をするんだけど、同級生の男子が気分不良で離脱してた。


 もちろん、みんながみんなそうってわけじゃないことは、補足しておく。


「なんか俺、血のにおいが苦手みたい……」


 そういえば、大怪我をしたワイバーンにいち早く気づいて、顔をしかめていたっけ。


 決まりだ。ノアは人間わたしより嗅覚がするどい。ノアが特別なのか、インキュバスという種族的なものが関係しているのかまでは、わからないけど。


「無理して、わたしのお手伝いしなくてもいいんだからね?」

「……ううん。リオの力になるって決めた。こんなとこでへこたれてられない。負けない。がんばる」


 夕暮れ時のちょっと冷たい風が吹き抜けて、ノアの艶やかな黒髪がなびく。


 決意を示すように、ぎゅっとにぎられた手は力強くて。


「いっぱい、がんばる。リオが重いもの背負っても、俺も持ってあげられるように、強くなるからね」


 真正面にあるサファイアの瞳は、どこまでも澄んでいる。


 ……なんて純粋で、ひたむきな子なんだろう。


「ノアはやさしい子だね」


 思わずジーンとしちゃって、照れ隠しにぎゅっとハグをする。


(……あったかいなぁ)


 独りで死んで、独りで生きてきたけど、いまは、ノアがそばにいてくれる。


 わたし、いつの間に独りぼっちじゃなくなってたんだろう。


「はわ……リオが、ぎゅってしてくれた……」


 そうこうしてたら、ぎゅううっと抱きしめ返されます。


「むぐ……ノアくん、ちょっと苦しいかもです……」

「だってぇ……思う存分リオのことぎゅってできるの、久しぶりなんだもん」


 わたしより背の高いノアが、わたしの首すじにぐりぐりと頭をこすりつけてくる。


 あー、ブルームに来るまでは、思うようなスキンシップができなかったからかな。甘えたモードに突入しちゃってる。


「ねぇリオ、もう人目を気にしなくてもいいでしょ? 今夜はいっぱい、ベッドで『よしよし』してくれる……?」


 おぉっとぉ。出ました、無自覚ノアくんのうるうるおねだりです。


 言い方はこどもみたいに可愛らしいけど、内容はえっちなお誘いですからね。本人に下心はないのが困ったところ。


「しっぽも、さわってほしいなぁ……」

「えーと、それはですね」

「俺は気持ちよくなって、リオも魔力補充できる。いいこと尽くしでしょ? 魔力いっぱい注いであげるから、ポーションたくさん作ろうね」


 そうなんだよ。魔力量カッスカスのわたしにとって、ノアは大容量バッテリーみたいなもんなんだよ。


 くっ……なんて断りづらい……!


「リオのこといーっぱい『食べる』から、夕食はいいや」


 はにかんだノアが、とどめとばかりに、ちゅっとほほにキスを落とす。


「ごほうびは、まだおあずけ。ふふ、シャワー浴びてくるね」


 内緒話をするみたいに耳もとへささやきかけられたら、もう頭をかかえるしかない。


「……あざといぞ」


 ネイビーのローブをはためかせながら、軽やかな足どりで行ってしまったノアの背が見えなくなると、脱力。


 ベタベタに甘えてくるノアとのスキンシップが、嫌とは思えないから、なんだかなぁ……


「流されてちゃだめなのに、わたしっていうアラサー女子は……はぁ」


 ため息をついたところで、はたと呼吸が止まる。


(……あ、れ)


 じぶんでつぶやいたことに、衝撃を受けていた。


(どうして、だめなんだっけ……?)


 ノアはわたしのことを好きだって言ってくれてる。


 わたしも、ノアといるのは楽しい。


 なのに、どうして、なにが『だめ』なんだろう。



 ──受け入れちゃえばいいじゃん。なにもかも。



 そうささやきかけてくる『わたし』が、わたしのなかにいる。



 ──好きだよ、リオ。



「わたし……わたし、は」



 まっすぐに想いをつたえてくれるあの子に、どんな言葉を返せばいいんだろう……?

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